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吸い寄せられる場所…4

FI2617595_1E.jpg(『吸い寄せられる場所…3』のつづき)
3階の船尾側、子供でにぎわうラジコン船コーナーの脇にあるのは、海上保安庁の、東京海上保安部・港内交通管制室。
当館の側面に設けられた、電光式信号を管理する、東京13号地船舶通航信号所も、兼ねています。

数ある通航管制所の中でも、博物館の館内にあり、しかもガラス越しとはいえ、業務を実際に見ることができるという、大変珍しい存在です。

もっとも、この窓も、業務上の都合があるのでしょう、カーテンで覆われていることが多いのです。このときも、最初は閉まっており、一回りして帰ってきたら開いていたので、すかさず撮影に及んだものです。

FI2617595_2E.jpgブリッジに上がり、左舷側のウイングに出てみると、美しい夕焼け空に浮かぶ、富士山のシルエットが…。

船影も少なくなった西水道を、曳船が一隻、ぽつんと行き過ぎます。

FI2617595_3E.jpgしばらくして、レストラン・クルーズ船、「シンフォニー・クラシカ」が、ゆっくりと航過。

夕闇がさらに迫り、沿岸の建物に、ひとつ、ふたつと灯りがともってゆく…東京の水辺ならではの美しさは、まさに夕暮れ時にあるのではないか、そう思わせる一瞬です。

FI2617595_4E.jpgそしてこちらは、先日のタイトル画像の、すこしあとの一枚。
悠然と過ぎてゆく、おがさわら丸の後ろから、セブンアイランド愛でしょうか、東海汽船の水中翼船が、水煙をあげて追い越す瞬間を、見ることができました。

こんな美しい港湾風景を、苦もなく我がモノとできるのも、立地の良い船の科学館ならではです。

FI2617595_5E.jpg船の科学館を楽しんだ後は、晴海埠頭に向かいました。砕氷艦「しらせ」が、接岸しているのを見たかったからですが、日はとっぷりと暮れたあとで、もちろん写真に収めるのは不可能です。

仕方なく、客船待合所のデッキから、「しらせ」を眺めていると、なにやらハデハデ(笑)な電飾を身にまとった、屋形船らしき未確認水上物体が!
ブレながら、闇夜でもなんとか写真に収められるほど、電飾まみれなのはありがたい(?)のですけれど、こ、この色彩センスは…古典的なキャバレーみたいで、ちょっとくるものがありました(笑)。

どこの何丸だか、ご存知の方、おられますか?

(18年11月12日撮影)

【11月29日追記】この電飾屋形船は、神田川・柳橋の舟宿、三浦屋の大江戸丸と判明しました。(『舟宿 三浦屋』の『乗合屋形船 大江戸丸』および『貸切船総合案内』を参照)
コメント欄でお知らせくださった、がーちゃんさん(ブログ『がーちゃんフォトアルバム』)と、はじめさんに御礼申し上げます。

(この項おわり)

吸い寄せられる場所…3

FI2617594_1E.jpg(『吸い寄せられる場所…2』のつづき)
宗谷の船内に展示されていた、改装後の宗谷の図面です。側面図と、各甲板の上面図が描かれています。

当初は、後部上甲板を木甲板のままフラットにして、小型ヘリコプター2機を運用しましたが、輸送にも使える大型ヘリコプター導入のため、さらに一段重ねて、広い飛行甲板としたときの姿です。

この姿は、当時、非常に斬新なスタイルに映ったらしく、手元にある少年向け工作雑誌のニュース欄や、船舶関連の記事を見ると、「宗谷が後部甲板を空母型に改造」「空母顔負けの飛行甲板」(笑)など、やたらと「空母」の文字が躍る熱狂ぶり!

ヘリコプターを運用できるフネは、まだ国内には少なかった時代ですから、ささやかな飛行甲板にも、「空母」を感じてしまう、少年たちの宗谷に対する熱い想いが、伝わってくるような気がしたものです。

このあと、本館3階のマリタイム・サルーンで開催されていた、南極観測50周年記念の特別展、「南極観測 いま・むかし物語」(平成19年2月25日まで)を拝見したら…やはり当時発売されていた、ソリッドモデル(木製の模型)のキットが、パッケージとともに展示されていて、商品名が「南極観測船宗谷・空母型」! いや~、たまりません!

FI2617594_2E.jpg宗谷を堪能したあとは、本館へ。1階シンボルホールの吹き抜けに、威風堂々と鎮座するのは、幕末期の1700石積み樽廻船、住吉丸の大型模型。

開館以来、変わらずここで、入館者を迎えてくれています。

東回り航路(大坂~江戸間の、太平洋側航路)の華であった、樽廻船。寛政期のレース・新酒番船では、平均速力6.6kt、西宮~品川間57時間のレコードをたたき出した、巨大な面積の主帆には、いつ見ても圧倒される思いです。

FI2617594_3E.jpg2階に上がり、立派な客船や軍艦の模型を楽しんだあとは、ランナバウトや船外機の並ぶ、ぐっと身近なコーナーにも吸い寄せられて…。

こちらは、三信工業(現ヤマハマリン)製の船外機。カットモデルというのが珍しく、毎回立ち止まって眺めてしまいます。もちろんずいぶん前の形式で、今から見ると、なりの割には馬力も小さいのですが、ドライブなど、レイアウトの基本は変わっていないので、自艇の不調時に備えて、イメージをしておくには格好の教材です。

と、エラそうなことを書きましたが、現愛艇になってから、エンジンのケーシングを開けたことがほとんどない…(恥)。いや、最近のエンジンは、ホントに手がかからないんですって…(笑)。昔を思うと、隔世の感があります。

FI2617594_4E.jpgで、やはり吸い寄せられる最たるものが、3階の和船展示コーナー。弁才船の実物大断面模型や、古代から戦後まで、各種和船の精密模型が並ぶ、木の香りかぐわしいフロアです。

写真は、これも私の大好きな(というより、何かにつけて騒いでいる)、河川舟運の雄、利根川水系の高瀬舟模型。帆柱を倒した、空船時の状態です。

全国に散在した、「高瀬舟」を名乗る河川用荷舟たちとは、起源も構造もまったく違った、軽量・柔構造・浅喫水・大積載量の、国内最大級の川舟…。

柳田國男が「門の前からほんの少し離れたところを何百といふ白帆が通る」と、感動とともに回想した、日本の川舟の、代表と言っても言い過ぎではない、そんな舟です。

FI2617594_5E.jpg同じく和船コーナーの、壁一面に展示されたパネル、「弁才船のできるまで」。起工である航据(かわらずえ)から、進水式に相当する船降ろしまでを、当時の図版もまじえて、わかりやすくレイアウトしてあります。

和船の展示は、展示品の管理が行き届いた当館の中でも、訪れるたびに変化が見られて、従来等閑視されていた、和船の研究が進んでいるさまが感じられて、頼もしく感じるフロアでもあります。

話は変わりますが、船の科学館、博物館には珍しく、撮影禁止ではありません。(このあたりにも、創立者の心意気が見えるような気がして、『吸い寄せられる』理由の一つでもあるのですが)
とは言っても、収蔵・展示品をむやみに紹介するのは、もちろん信義にもとるので、館内のご紹介はこのくらいとさせていただき、少しでも興味をそそられた方には、ぜひ実際に、見学していただくことを、お願いしておきます。

(18年11月12日撮影)

(『吸い寄せられる場所…4』につづく)

吸い寄せられる場所…2

FI2617593_1E.jpg(『吸い寄せられる場所…1』のつづき)
陽光に輝く、美しい東京港の出船入船を楽しみながら、食事をしていると、眼下の水面に、大好きなマルコ・ポーロが! 思わず窓辺に駆け寄っての一枚。

波頭が白く見える強風下を、しずしずと落ち着き払った様子で出港してゆく、マルコ・ポーロ。休日にもかかわらず、お客さんの姿が見えませんが、もう降ろしたあとなのでしょうか。

FI2617593_2E.jpg食事を終わって、左舷のベランダに出ると、冷たい強風が頬を刺します。

秋の澄んだ空気のおかげで眺望は素晴らしく、羊蹄丸と、コンテナ埠頭のクレーンの向こうには、東京湾アクアラインの「風の塔」、房総の山々もくっきりと見渡せ、胸のすくような風景を、楽しむことができました。

FI2617593_3E.jpg腹もくちくなったことだし(笑)、落ち着いて見て周るとしましょう。
まずは宗谷から…。

あ、もう涙腺がゆるんできた(泣笑)。



FI2617593_4E.jpg宗谷の船橋に上がり、操舵席周りを見たところです。

青竹色に塗られた従羅針儀や、舵角指針器や各種の圧力計が、こまごまと付いたテレモーターには、立派な木製の舵輪が取り付けられ、その手前床上には、舵手の立ち位置であるグレーチング(木の格子)が敷かれるなど、この時代の船らしい、魅力がいっぱいの一角です。

現在は、護衛艦といえども、艦橋上ではイスに腰掛けての持ち場が、多くなっていますから、この時代の船乗りの忍耐強さ、精神力は、まったく頭が下がるばかりです。

FI2617593_5E.jpgテレモーターの左舷側にあった、真鍮製の説明書。構造図と、メンテナンスにあたっての注意事項などが書かれています。

宗谷を訪れて、いつも感心するのが、このような真鍮の部分が、絶えずピカピカに磨き込まれていることです。ネジ頭などの凹部に、白い粉が少し付着していることから、「ピカール」などの水性研磨剤で、磨いているのでしょう。

メーター類の枠や伝声管の開口部、各部屋の名札、扉の金具類と、プラスチックやアクリルの貴重だった時代、潮気にさらされる船上の部品には、なんと真鍮製品の多かったことか。丁寧に磨かれたこれらの輝きが、再認識させてくれるようですね。

(18年11月12日撮影)

(『吸い寄せられる場所…3』につづく)

吸い寄せられる場所…1

FI2617592_1E.jpg先日、「宗谷と羊蹄丸」でも触れましたが、11月12日午後は、船の科学館を見学しました。
いったい、何回目の訪問になるのか忘れましたが、子供のころから、数十回はくだらないような…。

新しい展示がある、当館発行の本で新刊が出た、などのアナウンスがあるたびに来ているのですが、もはや見学というよりは、灯りにひゅっと吸い寄せられる虫のようで、なかば本能(笑)のような、気がしてきました。

単純に船が好きだ、というのもあるのですけれど、館内外、展示品ともに清掃が行き届いており、訪れるたびに展示に変化が見られるなど、意欲的な姿勢にも、強く惹かれるのです。

FI2617592_2E.jpg屋外展示品の目玉だった、旧海軍の飛行艇、二式大艇が海上自衛隊に引取られてから、寂しくなった感のある前庭ですが、インパクトは飛行艇に及ばないものの、そこここに当館らしい、実のある展示がなされて、飽きさせません。

屋外に従来から並べられている、実験船や潜水艇も面白いですが、最近の展示で、興味深かったのがこれ。5万t級の船舶に使われる、スクリュープロペラの実物です。

説明板によると、直径6m、重量15.3t、素材はアルミニュウム・ニッケル・銅の合金。鋳物にふいたのち、切削・研磨して加工したもので、真鍮に近い色合いの輝きを持った、うろこ状の、なめらかな切削痕が美しいですね。

FI2617592_3E.jpgやはり、和船好きとしては、吸い寄せられるものが…。前庭の海側、かなり隅の方ですが、キャンバスオーニングに覆われて展示されているのは、九十九里浜で使用されていた、エンジンつき木造漁船。

棚板(側板)は二階造り、カブトムシの角のように、細長いミヨシ(船首材)が印象的です。全長14m、全幅2.6m。昭和40年代初頭の建造。片手地引網の展張に、使われたとのこと。

FI2617592_4E.jpg漁船を、艫(トモ、船尾)から見たところです。
板状に張り出した外艫(そとども)の後端に、船名が彫りこまれ、塗料でなぞられています。「カギセ丸」と、読むのでしょうか。

この手の漁船は、海上繋留をせずに、浜に引き上げて保管するため、スクリューを破損しないよう、プロペラシャフトの後端は、ユニバーサルジョイントとなっていて、甲板上から軸受けを引き上げることで、上下できるような構造になっています。

写真にも、スクリューが取り外されたシャフトと、甲板から垂直に降りた、軸受けが見えますね。

FI2617592_5E.jpg到着したのが昼遅くだったので、まずはお腹を満たそうと、レストラン「海王」に直行しました(笑)。ちょうど、ランチタイムとのことでしたので、中華バイキングを注文。時間制限つきの食べ放題です。

東京港西水道を、晴海から羽田まで180度展望できる、フネ好きにとっては、すばらしい眺めのこのレストランがあることも、当館に吸い寄せられる理由の一つです。

注文時間の札が、テーブルに置かれたのを見ると、「食べ残しは××円申し受けます」との注意書きが…。
これで思い出したのは、祖父の代からの付き合いがある、実家近くの一膳飯屋のこと。

お客がゴハンを残すと、主人が大きな声で「残さず喰え!」と怒鳴ることで有名でした。誤解のないように書いておくと、食欲がなければ、「ゴハンを少なめにして」と注文すればいいのですが、つい欲張ってしまう人もいたのでしょう。
主人が引退してからは、表現はソフトになったものの、たまに暖簾をくぐると、「キレイに召し上がれ!」という職人の声が、今でも聞こえてきます。暖簾分けした店も同様で、主人の遺徳は、かつての若い衆に沁みわたっているようでした。

話を戻して…札に書かれた注意書きを読んでから、連れと二人で、「さすがは、旧船舶振興会の肝いりでつくられた博物館だけある、キチンと言うべきことは言うのだな!」と、大いに感心した反面、「こういう注意が、書かれているということは、そういう人が、あまりに多くなった、ということか…」と、暗澹たる気持ちになったりと、複雑な思いで箸を進めたのでした。

スミマセン、あまり関係のない話題で…。

(18年11月12日撮影)

(『吸い寄せられる場所…2』につづく)

川の博物館

FI2617553_1E.jpg(『篠津運河水門』のつづき)
篠津運河水門をあとにして、お次は、茨戸川(ばらとがわ)と石狩放水路の分流点にある、川の博物館(石狩川治水資料館)へ…。せっかくの北海道だからとは言え、我ながら欲深な駆け足コースです(笑)。

この博物館は、石狩川を中心とした、流域の治水事業のあゆみ…特に、明治・大正時代の石狩川河川改修に心を砕いた、工学博士・岡崎文吉の事績に、力を入れた展示を行っていることで知られており、また、石狩放水路の管理棟も兼ねています。
撮影地点のMapion地図

詳細は例によって、川の博物館や、石狩川治水史北海道開発局HP)をご覧いただきたいのですが、可航水路の確保を主眼においた、岡崎の「自然主義」と称する治水哲学には感銘を受けましたし、特に直線水路における蛇行現象の研究は、澪筋の断面図も書き残されているなど、まさに目からウロコで、川に艇を走らせる身としても、この上ない資料でした。

東京近辺で、著名な河川技術者というと、まず、岩淵水門とパナマ運河の青山士(あおやまあきら)が、第一に思い出されるのですが、岡崎の功績もそれに劣らず、旧満州の遼河改修に情熱を注ぐなど、その活躍は多岐に渡りました。

FI2617553_2E.jpg写真は、川の博物館の2階から、ズームをいっぱいに効かせて、なんとか撮影したもうひとつの運河水門、志美運河水門。(Mapion地図)手前の水面は、茨戸川です。

茨戸川は、直線化した石狩川の旧河道で、東京で言う旧中川のように、新河道とは切り離されたため、排水と舟運の確保のため、石狩川との間を、志美運河で連絡しました。

志美運河水門は、前項で紹介した篠津運河水門と同じく、増水時に、石狩川からの背水(逆流する水)を防ぐために、建設されたものです。

FI2617553_3E.jpg博物館前の遊歩道から、悠然たる茨戸川の流れを、しばし堪能。

かつて、ここが石狩川本流だったころは、遡行する船は、このつづら折りの河道を通って、上流の樺戸・浦臼、もしくは創成川に入って札幌を目指したのでしょう。


FI2617553_4E.jpg目を左に転じると、国道231号線が横切る、石狩放水路の入口です。

創成川を含む、3本の運河が流入する茨戸川は、志美運河だけでは、石狩川の増水時に排水できず、洪水が起きやすいうらみがありました。そこで、茨戸川から直接日本海に排水できるように建設されたのが、この石狩放水路です。
昭和57年に完成、長さ2,458m、水路幅50m。写真にも写っていますが、入口水面には、ブイを繋いだフェンスが設けてあり、船艇の進入はできません。

FI2617553_5E.jpg放水路沿い、国道の向こう側には、2本の発電風車が間近に見え、ビュンビュンという風切り音が、ここまで聞こえてきます。
なかなか素敵な風景ですが、あいにくの強風と薄曇りの空模様が、凹凸の乏しい周囲と相増して、寂莫たる雰囲気です。

この先に、放水路水門と、石狩新港がある…。
ぜひ、水門を見てみたい!

もう、札幌に戻らなければならない時間が、迫っているにもかかわらず、足は勝手に動き出していました。

(18年9月30日撮影)

(『石狩放水路水門』につづく)