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水運関連の本、三題

最近読んだ水運関連の本の中から、特に面白かった3冊をご紹介いたします。

FI2617867_1E.jpgものと人間の文化史139 河岸 
川名 登 著 (財)法政大学出版局 平成19年8月発行 上製本316ページ

河川水運史の研究家である、川名登氏の最新刊です。
江戸期の利根川流域を中心に、河岸とは何かから説き起こし、大量輸送が必要になり、河川に物流のシステムが形成されてゆく過程、それにともなって活況を呈してゆく「内川廻し」「奥川筋」航路の状況、船頭と問屋間のトラブルを通じて描き出される、河岸の人々の生活など、微に入り細をうがつ記述は、水運史研究の第一人者ならではで、豊富な図版と併せて、黄金時代の水運を知るには、格好の一冊と言えるでしょう。

余談になりますが、この「ものと人間の文化史」シリーズは、立川昭二氏の「からくり」を子供のころに手にして以来、内容とラインナップの素晴らしさに、すっかりファンになって、結構な点数を読んできたのですが、中にはちょっと…、と思える内容のものもあり、当たり外れの差が激しい(失礼)シリーズ、というのが、実感としてはありました。

この「河岸」ですが、欲を言わせていただけば、明治以降の利根川水運の記述に、食い足りなさが感じられるものの、関東大水運時代に思いを馳せるには、余りあるディテールが語られており、その点では間違いなく「当たり」の読後感がありました。

FI2617867_2E.jpg水上学校の昭和史 船で暮らす子どもたち
石井 昭示 著 隅田川文庫 平成16年3月発行 並製本212ページ

この本に出会ったときは、正直、嬉しくなりました。近代に入ってからの、港湾荷役に従事する艀(はしけ、バージ)を住まいとした人々のことを知りたいと、その手の本を探しても、なかなか出会えず、残念に思っていた矢先だったからです。

タイトルのとおり、住居が移動する水上生活者の子弟に、未就学の児童が多いことを憂えた人たちが設立した、東京における「水上学校」の消長を中心にした記録です。巻末には、横浜の「日本水上学校」、瀬戸内など他地方の、水上生活児童養護施設にも、それぞれ一章を設けて触れられています。

注目に値するのは、単なる水上学校の歴史に留まらず、生徒の作文を多数引用して、当時の水上生活者の暮らしぶりを、活き活きと再現する章あり、また、なぜ船を住まいとする人々が生まれたのか、明治以降のいきさつについても、一項を設けて解説するなど、類書が少ないことを意識したと思われる、書き方がなされていることでしょう。

全盛期の昭和10年には、東京だけで7,650世帯・18,286人を数える水上生活者が暮らし、高度成長期、その人口を急速に減らしながらも、昭和40年代まで水上小学校が存続したことを知ると、かつて東京の物流が、いかに舟運を頼ってきたかを目の当たりにする思いがします。
私にとっては、まさに「ポンポン大将」(過去の記事『「ポンポン大将」が見たい!』参照)の世界が目の前に広がった感すらして、興奮の一冊でした。
(水上小学校については、『干潮時にすり抜けろ!…1』でも触れています)

FI2617867_3E.jpg桴(いかだ) 
日本いかだ史研究会 編・著・発行 昭和54年11月発行 並製本224ページ

行きつけの古書店で見つけたもの。筏について専門的に書かれた研究書というのも、出会ったのは初めてで、これまた喜んだものです。
山間部から、河川を利用して流下させる運材法は、各地で古くから行われてきたので、郷土史的な本で触れているのはよく目にしますが、一冊の本にまとまっているのは、非常に珍しいのではないでしょうか。

この本は、当時の名古屋市長が序文を寄せており、研究会の所在地も、名古屋の木場にある「名港運輸㈱内」とあるので、ご当地の銘木業者が、業界の歴史を後世に伝えるために編まれたものと推察します。
当然話題も、名古屋と関係の深い、木材産地の雄である木曽と、木曽材を流下させた木曽川・長良川などの河川に関することが中心ですが、古代から続く筏の歴史と、林政の変遷、筏の組み方や航行法などの技術的な側面に至るまで、図版をまじえて詳しく解説され、興味深く読みました。

巻末には、木曽だけでなく、各地の筏の組み方や、運材法も紹介されています。特に面白かったのは、ばらばらに浮いている木をアバ(丸太を環状に連結したもの)で囲っただけのものも、筏の一種として紹介されていること、また、外洋を曳船に引かれる、海洋筏なるものは、数千立米におよぶものもあること…。
今や、港湾荷役の世界で、わずかに露命を保っているのが現状ですが、華やかな時代に思いを馳せると、筏の世界もまた、実に奥が深そうですね。

22年前の「舵」にあった川走り記事

先日、押入れの中を整理していたら、昔の月刊「舵」が数冊、出てきました。

どれも20年くらい前の号です。今と同じく、関心のある記事が載った号だけ買っていたので、ナンバーは飛び飛び。判形がB5判だったのも、隔世の感が…。最近のボート・ヨット雑誌は、「舵」をはじめA4判になり、ページ数も増えましたから、収納には苦労させられます(笑)。

FI2617853_1E.jpg苦言はさておき、懐かしくなり、つい座り込んでパラパラめくっていたら、写真の昭和61年7月号に載っていた、淀川遡航の記事が、目に留まりました。
そうそう、この記事に惹かれて買ったんだっけ…。

この当時は、今ほど川走りに興味がなかったはずですが、根が土木好きですから、吸い寄せられるものがあったのでしょうね。久しぶりに読んでみると、かつての興奮がよみがえってきました。せっかくですから、簡単にご紹介しましょう。

表紙にも大きくタイトルがあるように、巻頭近くの特集扱いで、「KAZI探検隊 淀川をゆく」(四色・7ページ)と、「悪臭漂う川面から美しい近代都市空間を眺める!」(一色・6ページ)の2部構成、結構読み応えのあるボリュームです。

参加艇は、フロントグラスのついた、西ドイツ製の小型インフレータブル「トルネードGT」(全長4.15m、幅1.75m)をフラッグシップに、地元クラブ有志による、数隻のジェットスキー(まだ川崎製のみの時代でしょうから、PWCと書かなくてもいいかな)が随伴するという陣容です。

1日目は、淀川の鳥飼大橋から出発、毛馬閘門を通過して旧淀川に入り、堂島川、土佐堀川と寝屋川を航行する、大阪中心部をめぐるコース。そして2日目・4日目(3日目は雨で休み)は、鳥飼大橋から今度は淀川をひたすら遡航、宇治川に入り、川沿いにある伏見の割烹旅館「月見館」を目指し、そのさらに上流、隠元橋の手前を遡航限界点として引き返すという、これは壮挙と言ってよい探検記…の二本立てです。

特に、宇治川まで遡る記事は、今読んでも圧巻。木津川を宇治川と間違えて遡ったり、淀川中流部でたびたび触洲したり、パドルを突っ込んで測深しつつ進むなど、川走り好きにとっては、手に汗握るシーン(?)の連続です。
小型艇にもかかわらず、船外機艇が苦労している反面、ジェットスキーが「砂洲を飛び越えて」難なく突進するあたりも、この種の艇の面目躍如といったところで、印象的でした。

というわけで、非常に楽しめたのですが、この記事の数年後に、江戸川遡航で苦労した身にとっては、リアル過ぎて笑えない下りばかり…。むしろ、今読んだからこそ、感動が深くなった部分もあるのでしょう。
ともあれ、このような冒険を成し遂げた先達に、あらためて敬意を表したいと思います。

あと、興味を引かれたのは、この淀川遡航の発端が、先に触れた、月見館所有の復元三十石舟が、「毎年数回、淀川下流まで来ては帰っていく」なる情報を得たから、という下り。

さっそく検索して、月見館のサイトを拝見してみると…。
なるほど、今でも三十石舟は運行しており、乗った方の体験を書いたサイトもいくつかあるので、盛業中のようですが、淀川下流まで行くコースがあるかどうかは、残念ながらわかりませんでした。
関西にお住まいの、ぷにょさん(ブログ『まちかど逍遥』)はご存知かしら?

「恋する水門 FLOODGATES」が出ました!

先日、「水門写真集、ついに刊行!」でもお知らせしましたが、写真家・佐藤淳一氏による水門の写真集、「恋する水門 FLOODGATES」を、昨日購入しました。

FI2617796_1E.jpgこんなに本の発売が待ち遠しかったのは、久しぶりです。手にしてまず、本を眺めると、造本、判形とも、旧岩淵水門を表裏いっぱいに配した、カバー写真にしっくり来ていて、すてきな装丁です。待った甲斐があったと、改めて嬉しさがこみ上げてきました。

さっそく写真を拝見してみると…モニター上で見るのも良いですが、やはり印刷物として見られるのは、安心感が違いますね。写真もキレイです。当たり前の感想で申しわけありません(笑)。
私にとって身近な、関東地方の水門が多く収録されており、あ、これは艇でくぐったなあ、こっちはあそこに行った時に訪ねたっけ…と、まずは好き者(?)なりの面白がり方で、本で眺められる喜びを噛みしめました。

また、ウェブサイト「Floodgates[水門]」では、水門1基につき写真1枚の原則が貫かれていて、少々物足りないところもあったのですが、この本では、例えば渡良瀬遊水地第一水門のように、違うアングルの写真が、4枚も掲載されていて、さまざまな表情が味わえるものもあり、ちょっとトクをした気分にもなれました。

これは、ウェブサイトの読者にはおなじみの部分でありましょうが、巻頭と巻末に配された、佐藤氏が語る水門とのなれそめ、解説の中に盛り込まれた、さまざまな意見(サイトの解説に、加筆された部分が特に)も興味深く、全体のページ数から一見すると、文章の量が少ないようでいて、その実非常に読み応えがあった部分でした。

ことに、読者が水門を訪ねる道すがら、目に入る種々の土木構造物に興味を抱いて、そこから派生してくるであろう、色々な土木趣味の広がりを示唆するくだりは、思わずヒザをたたいたくらいです。

水路を走ることを主な目的としていても、現れては消える水門や橋に、吸い寄せられて(笑)しまうくらいですから、水門をターゲットとしている人が、他の土木構造物にもピンと来る、という状況は、容易に想像できます。趣味的に近い立ち位置ということもあり、すでに下地ができているわけで、この方面の今後の展開も、楽しみではありますね。

で、大変申しわけないのですが、本のご紹介記事の例によって、ハテ、と思い当たった部分を一つ…。

瑣末なことですけれど…「楽しい閘門!」の項で、「日本の閘門はどこも水位差せいぜい数十センチのオーダー」とは、いかがなものでしょうか。潮位にもよりますが、数mに達する閘門もあります。

それに、そもそもの成り立ちや規模の違う海外の閘門と、国内のそれを比較されるのは、ちょっと無理があるようにも思えます。また、この項だけ、海外との比較になっているあたりも、唐突な印象を受けました。
「水位差が小さいものより、大きい方が面白いのだから、仕方がない」と言われれば、お好みの問題ですので、それはそれまでですが…。

ともあれ、水門の設計や施工に携わる人のための、教本や学術書ではなく、水門の好きな人が、同じく水門の好きな人々に向けて発信する本、純粋な趣味の本としてはまさに初めてのもので、その意義は大きいと思います。

水路を舟航する皆さんにも読んでいただいて、いつも何気なく通航している水門に、新たな魅力を見出してもらえるならば、皆さんが川を走る楽しみも、さらに増えるのではないでしょうか。

★発行元・㈱ビー・エヌ・エヌ新社のサイトはこちら。「この夏お薦めの1冊」!

「河川航行情報図」が冊子になりました

FI2617677_1E.jpg去る3月15日に、横浜のボートショーを見に行ったときのことです。
国土交通省のブースを見ていたら、係の方が近寄ってきて、「アンケートに答えたら、荒川の航行情報図を進呈する」と、声をかけられました。

わが国で初めて作られた「川の海図」である、「河川航行情報図」は、以前、岩淵の荒川知水資料館(過去の記事『新河岸川…1』参照)でいただいて、すでに活用していたので、一旦はお断りしたのですが、どうも様子がおかしい…。

私の持っている情報図は、大きな紙数枚に刷られていて、筒状に巻いて持ち歩くようなカサのあるものなのに、周りのお客さんが貰っているのは、ビニールの手提げ袋に入った、A4判くらいの冊子なのです。これはまずい、前言撤回! アンケートに答えて、現物を手にしたら、やはり冊子の情報図でした。

家に帰って、冊子を開いてみると、従来のものを縮小し、綴じただけのものではなく、見やすさを考えて、改めて編集されているのがわかりました。水深を記した数字が、ちょっと小さくて読みづらいかな、と思いったものの、使い勝手の点から言えば、格段の進歩です。
発行日を見ると、18年2月とありますから、一年以上たって、ようやく気づいたことになり、お恥ずかしいものがありますが…。

以前の情報図は、3つの区間が一枚に刷られており、使用するには、まずこれを、区間ごとに裁断しなければなりませんでした。
裁断した一枚も、ヨット・モーターボート参考図(小型船舶向けの簡易海図)に匹敵するほどの、結構な大きさで、しかも河口から秋ヶ瀬まで、14もの区間に分けられているのですから、紙芝居のようにせわしなく入れ替えねばならず、見るだけでも大変でした。

私は、油絵用のキャンバスに、ゴムひもで二本の角棒をしばりつけて、海図の天地を挟めるようにした、自作のチャートホルダーがあったので、なんとか使いこなすことができましたが、取り回しや収納に、ご苦労された方も、少なくないでしょう。

欲を言わせていただくと、図に含まれている派川…中川や、綾瀬川などの航路情報も、併せて掲載されれば、より利用価値も増すかと思います。
ともあれ、格段に使いやすくなった「河川航行情報図」が、荒川流域の船長さんたちに、ますます活用されることを、願ってやみません。

河川航行情報図 荒川 (埼玉・東京)試行版
A4判 32ページ 中綴じ
平成18年2月発行
国土交通省 荒川下流河川事務所

両国橋の絵ハガキ

FI2617672_1E.jpgこちらも、「榛名号」と一緒に、古本屋さんで入手したものです。
昭和の初めでしょう、震災復興成った東京の名所を、観光バスでめぐるという想定の4枚組みで、当時のバスガイドさんらしい口調のキャプションが楽しく、時代を感じさせます。発行所は記されていませんでした。

うち一枚に、竣工からまだ間もない、美しい両国橋の姿を写したものがあったので、ご覧に入れます。
西岸下流側から撮影したもので、対岸には、「大鉄傘」とも称された、旧両国国技館の威容が望まれます。橋上に目を転じると、この時代としては、結構な数の自動車と、行きかう人々が見え、街道筋らしい賑わいがありますね。

川面の方も、遠景ながら、いくつかの船影が…。
左端に、川越艜(ひらた)らしい和船が、小さな帆を上げて遡行している姿が見えます。行き先は新河岸川でしょうか、それとも戸田河岸でしょうか。帆柱が、なりの割に低いのは、橋をくぐるさい、帆柱を倒さなくとも、通過できるようにするためなのでしょう。

艜の向こう、「ユニオンビール」と書かれた広告塔の近くには、ダシ(桟橋)にもやう、白塗りの汽船がおり、両国橋の下にも、舳先だけのぞかせた、航行中の曳船らしき姿が見えます。

高い建物が少なく、遠方まではるかに望める、この時代の東京のすがすがしさ。復興橋梁としては、むしろ地味な桁橋である両国橋の、これほどまでに圧倒的な存在感…。70年あまりを経て、周囲の風景は一変してしまいましたが、両国橋が、独特の球形の親柱とともに、変わらぬ姿を留めていてくれるのは、とても嬉しいことですね。