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新富運河を訪ねて…2

(『新富運河を訪ねて…1』のつづき)
FI2618266_1E.jpg新川橋から、西を見たところ。写真左に、桟橋の跡があるほかは、船影も全くなく、航路としての息吹きは、まったく感じられませんでした。

新富運河南岸は、運河沿いに市民公園が設けられているので、緑の豊かな水辺ではありましたが…。

FI2618266_2E.jpg橋の直下に、唯一の船影が…と言ってもご覧のとおり、廃船でした。

浅い水底に腹をつけて、もう10年以上は使われていないのでしょう、不朽を誇るFRP船体も、劣化して方々が欠けていました。


FI2618266_3E.jpg新川橋の周りをウロウロしていたら、盛り下がった気分を、若干持ち直させるような発見がありました。

高欄の橋詰に、写真のような「新富水路」というプレートが、張られていたのです! ほほう、少なくとも地元での呼称は、「新富運河」ではなかったんだ…。まあ、せっかく「運河」の名前に惹かれて、ここまでやって来たこともあり、タイトルはあえて、「新富運河」にさせていただきました。

FI2618266_4E.jpgさらに西へ進み、新川橋から1km強離れた、汐入橋から東を見た風景。ここでようやく、船溜らしい眺めとなり、気分的にもだいぶ持ち直しました。

よく観察すると、航行できる澪筋はかなり限られ、北岸(写真奥)沿いにしかないようです。手前側に見える船は、ほとんど廃船みたいですね。
撮影地点のMapion地図

FI2618266_5E.jpg汐入橋西側の眺め。左手の浜が露出しているあたりには、放置船が多く見られ、杭につないである舟も、頻繁に使われている雰囲気ではありませんでした。

このあたり、まがりなりにも船溜の体をなしているのは、写真の奥右手に、東京湾に通じている水路があるためでしょう。Google航空写真で見た限りでは、この水路もあまり水深はなさそうで、進入時の潮位には気を遣いそうですね。


(20年10月19日撮影)

(『新富運河を訪ねて…3』につづく)

新富運河を訪ねて…1

(『新富運河が気になる!』のつづき)
FI2618265_1E.jpg新日鐵の大工場群の誘惑を振り切り、君津大橋の上まで来ました。
ここは、君津市の最西端を流れる、小糸川河口に架かる橋で、新富運河の入口も、同時にまたぐ橋でもあります。

先ほどまでの晴天がウソのように、にわかに群雲が空を覆い、怪しい空模様になってきました。橋の上から、新富運河をのぞいてみると…。
撮影地点のMapion地図

FI2618265_2E.jpg新富運河の東端部は、ご覧のような垂直護岸に固められた、直線的な細い水路でした。

一見した限りでは、河口部に近い割には、砂州の露出もなく、橋もそこそこの高さがあって、艇で走れそうかも、といった印象でした。が…。



FI2618265_3E.jpg橋の手すりから身を乗り出して、水面をのぞきこんでみると……。
写真では、よくわからないかもしれませんが、水面を透かして、底の砂地が見える! 推定水深0.3m…もう、ほとんど航行はムリと言っていい状況(涙)。

満潮時ならいけるかしら、とも思ったのですが、この日は日中の潮位が高い日で、13時18分の干潮でも、推算潮位124cm。撮影時刻の11時過ぎでこのありさまですから、夜の干潮時には、水底が露出しているのではないでしょうか。

FI2618265_4E.jpgそんなわけで、冒頭からガックリくるモノを見てしまい、大いに盛り下がったわけですが…。せっかく訪ねたのだからと、運河の終点を目指しながら、ところどころで水路風景を拾ってゆくことにしました。

まずは、運河が君津市から富津市に入ったあたり、新川橋周辺の様子を見ることに。

FI2618265_5E.jpg新川橋から東側の風景。クランク状に曲がった運河は、ここで幅を広めて、直線の水路になります。

水面の中央、どこから飛ばされてきたのか、葉のついた枯れ枝が顔を出していました。ここも先ほど同様、せいぜいひざ下くらいの水深しかないようです。
撮影地点のMapion地図


(20年10月19日撮影)

(『新富運河を訪ねて…2』につづく)

新富運河が気になる!

FI2618264_1E.jpgGoogleの航空写真で、千葉県は富津市のあたりを見ていただくとわかるのですが、新日本製鐵などが立ち並ぶ、工業地帯の埋立地の内側、旧海岸線をなぞるかたちで水を湛える、「新富運河」なる水路が見えますね。(左の画像は、Google航空写真を加工したもの)

可航水路のきわめて乏しい、千葉県東京湾岸で、こう堂々(?)と「運河」と表記されては、気にならないはずもなく…イヤ、大いに気なっていたものの、木っ端ブネにとって、湾央を横断するのはちょっとした覚悟がいります。まして天候不順が多かった、今年の週末をいくたびかやり過ごすうち、秋になってしまい…。辛抱たまらず、陸路観察におもむくことにしたのです。

子供のころ、割と千葉県に縁があったのですが、遠足のバスなどで、東京湾岸の工業地帯をかすめてゆくと、ボートのもやう細い水路が、ときおり車窓から望まれるのに、目を奪われた記憶は今でも鮮明です。
思えば、気になり始めてから、ずいぶん長い間うっちゃっておいたことになり、そういった意味では、ン十年来の雪辱を晴らしたような気分でもありました。

FI2618264_2E.jpgそんなわけで、東京湾アクアラインを通って、いざ君津へ。
天気は午後になると崩れ、風は強いとの予報。間違っても、ボートで東京湾を横断したくなるような天候ではなかったのは、幸い(?)と言うべきでしょうか。

長い海底トンネルを抜けつつあるところで、カメラを構えたら…おお、何だか効果線のような、スゴイ絵が撮れた…。


FI2618264_3E.jpg当然のように、海ほたるで引っかかってみました。

まだ晴れてはいるものの、風は耳もとでびゅうびゅう鳴るほど強く、海面には白い波頭がチラチラして、弱虫木っ端ブネ的には、まかり間違っても出たくない海況。
前回「海ほたるで…」のときのように、鏡のような静かな海が目に入った日には、正直言うと口惜しくて、地団駄踏む思いなので、むしろ荒れているほうが、納得(?)できるわけです。
撮影地点のMapion地図

FI2618264_4E.jpg出船入船が眺め放題なのに気をよくして、写真を撮りながらうろついていたら、風裏に当たる南側には、それでも数隻のボートが波に揺られつつ、投錨中なのが目につきました。

もっとも、どれも25ftかそれ以上の大きさで、充分な凌波性がありそうな艇ばかり。
先代艇に乗っていたころ、やむなく波高3mの海を突っ切った経験はありますが、肝の小さくなった今ではとても、そんな無茶をする気にはなれません…。

FI2618264_5E.jpgアクアラインを渡り、館山自動車道を経由、木更津南ICを過ぎて終点近く。ゆるい下り坂の向こうに…おおお! 林立する煙突から、もうもうと煙を噴き上げる工場群、大迫力です。

さて、目指す新富運河はどんな表情を見せてくれるのか…。その前に、工場の方に吸い寄せられてしまいそう…。
撮影地点のMapion地図


(20年10月19日撮影)

(『新富運河を訪ねて…1』につづく)

水郷を見下ろす

(『八幡堀遊覧…5』のつづき)
FI2618168_1E.jpg八幡堀めぐりのあとは、ご当地の守護神、八幡山麓におわす、日牟禮(ひむれ)八幡宮に参拝。
ご存知のように、城下町としての近江八幡を開いた豊臣秀次は、入城わずか5年で自裁、八幡城は廃城となったため、代わって当社が八幡の町のシンボルとして、長きに渡り崇敬されてきました。

都城を模して、碁盤の目に作られた街の山の手に、ちょうど内裏のように神社があるさまは、鎌倉の街と鶴岡八幡宮の関係に似ており、面白く思ったものです。
撮影地点のMapion地図

FI2618168_2E.jpg近江八幡訪問のしめくくりとして、八幡宮裏手にある乗り場から、八幡山ロープウェーで、山頂の城跡へひとっ飛び。琵琶湖や水郷の風景を、眼下に望んでみたかったのです。

ゴンドラ中はガラス張りだけあって、走行中は結構な暑さ…。車内に備えられたうちわで、バタバタ扇ぎながら後ろを振り返ると、ちょうど画面右下に、先ほど通った八幡堀の、新町浜が見えたところでした。
撮影地点のMapion地図

FI2618168_3E.jpg眺望の開けた場所を求めて、城跡の山道をずんずん登り…、ええと、西の丸だったと思いますが、とにかく眺めのよいところへ出ました。

もやがかなり濃くて、遠景が今ひとつではあったものの、かつて「淡海」とも呼ばれた、琵琶湖の水面の雄大さが実感できて、しばし立ち尽くしました。

信長の巨船に始まり、丸子舟が大活躍した水運全盛期から、内水最大の汽船を運航した近代に至るまで、日本一の湖水だけあって、その水運の歴史も多彩で、独特のものがあります。次回はぜひ、琵琶湖を走る船に乗ってみたいです。

FI2618168_4E.jpgぼんやり、琵琶湖を眺めていると、…おっ、水門発見。
田んぼの中を蛇行する川の河口に、1径間のゲートが顔を出しているのを、見逃さいでか(笑)。

琵琶湖の沿岸には、こんな水門がたくさんあるのでしょうね…。ちなみに、地図と照らし合わせてみると、どうもここらしいです。

FI2618168_5E.jpg肝心の水郷も、稜線の向こうにかろうじて、舟乗り場近くの一部分を望むことができました。

中央手前付近に、舟の並ぶ、八幡堀末端部の直線区間が見えます。奥に左手から広がる水面は、西の湖です。あんなに広大に見えた、ヨシ原の中を縫う水路も、水田に挟まれた、ほんの箱庭のように見えますね。ちなみに、写っているコースは、「西の水郷を訪ねて…2」から「西の水郷を訪ねて…4」の範囲です。

暑熱が堪えはしたものの、ほんのさわりとは言え、西の水郷、近江八幡を体験できて、実に楽しい一日を過ごすことができました。

東の水郷とはまた違った、山並みを愛で、ヨシ原に分け入る変化に富んだ水辺風景と、八幡堀の重厚な街並みが、同時に楽しめるご当地の舟遊びは、水運趣味的に見ても、潮来・佐原に勝るとも劣らない面白さでした。船頭さんをはじめ、お世話になった近江八幡の皆さんに、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました!

(20年8月1日撮影)

8月1日の項の参考文献
近江八幡 水都八都 23・24号(07年3月・08年1月発行号)近江八幡観光物産協会
丸子船物語 (橋本鉄男 著)サンライズ印刷出版部
近江八幡の歴史 近江八幡市
舟運都市 (三浦裕二/陣内秀信/吉川勝秀・編著)鹿島出版会

(この項おわり)

八幡堀遊覧…5

(『八幡堀遊覧…4』のつづき)
FI2618167_1E.jpg仏光寺八幡別院の横を過ぎて、住宅の立ち並ぶ、ゆるい屈曲区間を曲がりきると、水辺は急速に草深くなってきました。

史跡散歩から、密林の中に分け入る探検気分へ…次々にその表情を変える八幡堀、水路バカとしては、見ていて飽きることがありません。


FI2618167_2E.jpg実用一点張りの鋼桁橋をくぐると、右手には工場らしい建屋が迫り、江東区の堀割のように、どこか所帯染みた(笑)雰囲気になってきました。都市河川っぽい表情も、また楽し。

工場の土台が石造りであるあたりが、またいわくありげで、興味をそそられます。


FI2618167_3E.jpg木々の間に見え隠れする、赤レンガの古風な煙突は、旧中川煉瓦のホフマン窯跡の煙突。火を落とすことなく、連続してレンガを焼き続けられる構造の窯で、昭和40年代まで現役で稼働していたとのことです。詳しくは「旧中川煉瓦ホフマン窯」(京都の技術・職業教育)をご覧ください。

ずいぶんマニアック(笑)な水路を走ってくれるんだなあ、と勘違いしていたら、レンガ煙突を見せてくれるために、この横までをコースにしたのだと判明。

FI2618167_4E.jpgレンガ煙突を過ぎたあたり、この橋の手前が、八幡堀遊覧の終点です。橋の向こうには、背の低い堰のようなものと、その上には管理橋風の足場が。むう、これは気になる…。

堰のようなものは、一見、鋼矢板を打ち込んだだけのように思えたのですが、「八幡堀水門…2」でもご紹介したブログ、「 215.とりあえず言ってみる ― 思いがけない再会 」(カヤックと過ごす非日常)の写真を見ると、角落し堰で間違いないようです。

写真では、よくわからないかもしれませんが、向こう側の水位は、やはり低いようですね。これで、先ほど八幡堀水門で疑問に思った、水位差の謎が解けました。八幡堀の中心部は、琵琶湖より、水位を高くしてあるわけですね。

琵琶湖は総合開発によって、かつてに比べて水位が下げられてしまい、そのままでは、八幡堀の可航水深(船頭さんによると、1.5mほどだとか)が維持できなくなり、美観的にも問題があります。そこで、閘門と堰を設け、人為的に水位を上げた、ということなのでしょう。
撮影地点のMapion地図

FI2618167_5E.jpg船頭さんは、狭い水路で器用に舟を転回させると、元来た水路を戻り始めました。いや~、八幡堀の豊かな表情には、暑さを忘れて、もうおなかいっぱいです。乗ってよかった!

景観の素晴らしさもそうですが、水位維持の方法も、この手の水路としては新鮮な工夫に思え、街並みの保存と合わせて、並々ならぬ努力が払われていることが理解でき、土木好きの目から見ても、なかなかそそられる水路でした。

(20年8月1日撮影)

(『水郷を見下ろす』につづく)