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河港水門…2

(『河港水門…1』のつづき)
FI2618191_1E.jpgレンガの壁面は、長年に渡って、通航する船に擦られたり、ぶつかられたりしたのでしょう、ご覧のとおりの傷だらけです。
こちらは六郷水門とは違って、現在でも結構な排水量の独航艀が出入りする、「河港」の名に恥じない規模の水門ですから、傷だらけの壁面も盛んに通船のあるあかし、「名誉の負傷」と言ってもよいのでしょうが、フェンダーくらいはつけてやりたいですね。

手前と向こう側に見える、壁面に彫られた短い溝は何でしょう。非常用の角落しをはめる溝としては、天端まで続いてないのが妙ですから、防舷物のようなものが、はめ込まれていたのでしょうか。

FI2618191_2E.jpg船溜東側を見たところです。
凄まじい量のパイピングは、味の素の川崎事業所のもの。左手を渡るトラスで、船溜対岸にある、同社川崎事業所・西工場と、もろもろの配管や配線が結ばれている模様。
つまり、この船溜は、味の素の敷地に挟まれているわけです。

それもそのはずで、河港水門の建設に当たっては、当時の多摩川改修工事事務所長・金森誠之の勧めにより、味の素(当時は『鈴木商店』)が多額の寄付をしており、運河には味の素の専用荷揚場も造られたからです。

現在ではご覧のとおり、護岸にフェンダーやビットは残されているものの、柵が作られており、岸壁としては使われていないようですが、ごく最近まで現役であった様子がうかがえて、かつての賑わいをしのぶことができます。

FI2618191_3E.jpgこちらは西側、クレーンと繋船設備の見える写真奥は、川崎宇部生コンクリート株式会社の建材岸壁。先ほど「多摩川こわい…3」で出会った、独航艀はここにもやって、運んできた砂を下ろしていたのです。

なお、河港水門と運河計画については、熊谷雄二氏による「水の都ヴェネチアと川崎河港水門」(卓話集『川崎の歴史シリーズ』温故知新)に、自ら調査された際の興味深いお話が収録されています、ぜひご覧ください。

FI2618191_4E.jpg水門の裏側を一枚。
配管を渡した橋が頭上にあるので、撮れるアングルは限られてしまいますが、光線の具合はちょうどよろしく、美しいディテールを存分に楽しむことができました。

こちら側は、橋灯ならぬ水門灯が付いているのですね。
夜の表情は、どんなものでしょうか。
撮影地点のMapion地図

FI2618191_5E.jpg水門前面の両翼には、水に親しみなさい、と言わんばかりの、やはりレンガ造りのテラスが設けられています。泥のかぶり方を見ると、満潮時は水面下になるのでしょう。

訪れた人が、ここに立って河水に親しみながら、水門の造形を愛でつつ、なおかつ、大運河への出船入船を眺めさせる、「一粒で三度おいしい」的なビューポイントとする心積もりが、金森誠之にあったのでは…。

もちろん、何の根拠もない妄想ですが、河港水門の、眺めて飽きることのない、豊かなディテールを目にすると、あたらずと言えども遠からずなのでは…とも思えたものです。

(20年9月5日撮影)

(『多摩川こわい…4』につづく)