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永島丸の写真

久しぶりに、なじみの古書店を訪ねたら、ちょっと気になるものが見つかりました。

古びた台紙に2枚づつ、これまた古そうなモノクロ写真のプリントが貼ってあるものが、何枚かバラで出ていました。手に取って写真を検分してみると、隅田川の橋を撮ったものが多いのです。

昔の川景色となれば、捨て置けません。さらによく見ると、2枚組みの一枚は、木橋が写っており、ピントや再現性を見ても、幕末か明治に撮られた雰囲気。もう一枚は、昭和に入ってからのものらしく、現代でもおなじみの、隅田川の鋼橋たちの姿が写され、画像も前者より鮮明です。
どうやら、今で言う定点撮影だな、と見当がつきました。昭和初期と、明治の昔を比べるための、2枚組み写真だったのです。

貴重な写真でもあるので、何枚か買っていこうかなあ、と、本格的に物色を始めると…両国橋を写した組写真に、衝撃的なモノが写っていました!

FI2618117_2E.jpgナント、外輪蒸気船です!!

主題が背後の橋―洋式木造橋時代の、両国橋―なので、全体像が写っていないのが惜しいのですが、2隻の船がフレームに収まっており、特に左の船は、スプラッシャー(外輪カバー)に大書きされた、「永島丸」という船名が、はっきり読み取れます!

帰宅してから、さっそく、関東の川蒸気の百科全書である、「図説・川の上の近代」(過去の記事『川蒸気本の決定版』参照)を開くと…。

永島丸は、通運丸に遅れること約3年の明治13年7月に、池上久蔵を出願者として、上川航路(東京~江戸川・利根川上流および渡良瀬川)に就航。航路の重なる通運丸とは激しい競争になり、船員同士の喧嘩まで起こるほどでしたが、早くも明治16年3月、過当競争に敗れ、3年に満たないわずかな期間で、廃業に追い込まれたそうです。

ちなみに、永島丸船隊は、第一~第五の5隻がありましたが、全て内国通運に買収され、それぞれ第十七号、第十八号、第三号、第十九号、第七号の通運丸となったとのこと。マル通のフラグを掲げて、中には、大正末まで生きながらえた船もあったようです。

川蒸気の写真は、関東に覇を唱えた、通運丸フリートでさえ少ないのに…。最初に出会ったナマ(?)の川蒸気写真が、わずか3年しか存在しなかった、永島丸のそれだったとは!
ともあれ、あこがれの外輪船との思わぬ出会いに、久しぶりに小躍りしたくなるほど、嬉しくなりました。

FI2618117_3E.jpgついでと言っては何ですが、組写真の片割れ、昭和初期編もご覧に入れましょう。

背景は、平成の今でも現役の両国橋。こちらも手前に船が写っています。当時で言う、一銭蒸気…内燃機関の小型曳船が、客用艀を曳航する方式で、現在の水上バスの大先輩に当たります。
写真は鮮明で、曳船のディテールがよく捉えられており、上屋の設けられたポンツン式の船着場とともに、河川舟運史の記録としても、貴重な写真と思います。