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クローバー橋周辺

(『クローバー橋を渡る』のつづき)
FI2617952_1E.jpgせっかく来たのだからと、なじみの水路の俯瞰写真を撮ってみました。ほぼ同一地点で四方を望めるのは、十字形の橋ならではです。

まずは小名木川、東方を見たところ。越中島貨物線のトラス橋が、陽射しを浴びて輝いているように見えます。
写真左、大きなマンションのある辺りは、江戸・明治期を通じて有名だった、「釜屋」の鋳物工場があったところ。工業地帯としての江東は、ここから始まったと言って良いかもしれません。

FI2617952_2E.jpg同じく西方。小名木川橋、小松橋の間から、扇橋閘門の赤い扉体がチラリとのぞけます。

こうして橋の上から見ると、横十間川との十字流から、西の小名木川は、水路幅がぐんと広がっており、倍近くあるのがよくわかりますね。これは恐らく、関東大震災後の、帝都復興事業で拡幅されたものでしょう。
当時の「河川運河事業」という図を見ると、小名木川西半部、横十間川を筆頭に、築地川、汐留川などが、整備の対象となったことが描かれており、水運が、物流の重要な位置を占めていた時代をしのばせます。

FI2617952_3E.jpg北方、横十間川可航区間の風景。
「11月11日の川景色」で紹介しましたが、昨年通ったとき、右手前に陣取っていたクレーン付き台船は、左手奥の大島橋近くに場所を移しています。
横十間川独特の、桟道式の遊歩道の工事でしょうか。

十字流上空だけあって、冷たい風が容赦なく体温を奪ってゆきます。ううう、そろそろ退散しますか…。

FI2617952_4E.jpg大島橋西詰まで歩いてくると、一本の立木に守られた、小さな祠があったので、思わずお参り。石柱には「釜屋堀子育地蔵」とありました。その名のとおり、子供がすくすく育つような、霊験があるのでしょうか。

ちなみに釜屋堀とは、横十間川の別名で、先ほど触れた「釜屋」にちなんだ呼び名です。長きに渡り、徳川家の御用鋳物師を務めた「釜屋」の、この地での存在感の大きさが、髣髴できるようですね。

FI2617952_5E.jpg祠の左脇に鎮座していた、この古そうな石仏…?に、心惹かれてしまいました。

星霜を経て、摩滅してしまったのでしょうか。ディテールが極端に乏しい、言わばのっぺらぼうではあるものの、輪郭の曲線はまろやかで、優しさと素朴な味わいがあります。お供え物が新しいのも、近所の方の心遣いがうかがえて、温かい気持ちになりますね。
この小さな仏様も、江戸の昔から、水路をゆくフネブネを見守って来たに違いありません。これからもどうか、横十間川を通る船たちを、よろしくお願いします…。
撮影地点のMapion地図

(20年1月27日撮影)

1月27日の項の参考文献
ゆこうあるこう こうとう文化財まっぷ(江東区教育委員会)
江東古写真館 ~想い出のあの頃へ~(江東区教育委員会)
日本の近代をデザインした先駆者 生誕150周年記念後藤新平展図録(東京市政調査会)

(この項おわり)