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上総一ノ宮で…

FI2617896_1E.jpg11月15日は、上総方面をあわただしく巡る用事があり、日中は、ほとんどクルマで走りっぱなしでした。
幸いだったのは、天気に恵まれたことで、移動のわずかな合間に、水運趣味的に惹かれる物件をいくつか、写真に収めることができました。

東金九十九里道路をひた走り、九十九里IC付近のPAで小休止したら、かたわらを穏やかに流れるいい感じの川が…。帰宅してから調べたところ、真亀川というそうです。
撮影地点のMapion地図

FI2617896_2E.jpgこの蛇行の具合、イイですねえ! う~ん、走ってみたい! 

Google航空写真で見ると、写真のように川幅のある区間はわずかで、しかも浅瀬が多く、河口も砂が堆積しているでしょうから、とても走れそうにはないのですが(それ以前に、私の艇でここまで来るのが大変)、このロケーションの良さには、そそられるものがありますね。
カヌーなどで、走られた方はおられますか?

このあと、九十九里道路を南下したのですが、海岸沿いの河口付近には、いくつかの細長い潟湖が点在しており、これを水路で繋いで、沿海運河としたら面白いだろうなあ…などと、妄想にふけらせる地勢の良さがありました。

九十九里のような、長汀が生じる場所は、川から吐き出される砂を運ぶ、沿岸流のあるところ。当然遠浅になりがちで、潮流も強いため、船の航行は困難です。
(小型の舟の場合は、岸ギリギリに寄せて、沿岸流を利用して航行する場合もあったとのことです。)

江戸時代に開鑿された運河、小名木川・新川や、貞山堀も、私の妄想と似たような発想(笑)のもとに造られた沿海運河で、浅瀬の多い河口付近を避けて、2点間を安全な直線航路で結ぼうというものでした。
もちろん、九十九里には、運河を開鑿する必然性は無かったわけですが、砂浜の内側に、長々と横たわる潟湖を見ていたら、ついそんなことを考えてしまったわけです…。

FI2617896_3E.jpg上総一ノ宮駅前に入ったところで、ちょうどお昼になったので、昼食後、玉前神社に参拝。一宮町の地名のとおり、まさに上総国のトップの地位にあるとされた古社で、写真はその拝殿です。(玉前神社HP
ちょうど七五三のシーズンとあって、境内は、晴れ着を着た子供たちと、その家族でにぎわっていました。

その土地の神様に、ご挨拶しようという気持があるのはもちろんですが、由緒ある神社のこと、何か水運関連の碑文でもないかしらと、よこしまな期待もありました。
撮影地点のMapion地図

FI2617896_4E.jpg期待にたがわず、ありました! 大型和船に使われた、四爪錨です。和船好きとしては、見逃せない物件に出会うことができて、相好が崩れます。
錨のかたわらには、小さな石碑があって、さらにその横を見ると、最近設けられたらしい説明板がありました。要約してみると…。

この石碑は「獲錨記念碑」というそうです。
明治末、九十九里沖に沈んで、漁網に被害を及ぼしていた、この錨を引き上げるのに成功した際、漁師たちは玉前神社のご利益と喜んで、網主11名が海軍大将・東郷平八郎(のちの元帥)に篆額をいただき、その錨とともに碑を建てた…とありました。

FI2617896_5E.jpgこの小さな石碑の題字を、あの東郷提督が書かれたとは…。改めて、しげしげと見入ってしまいました。
東郷提督とこの地に、どんな縁があったのかは知りませんが、それほど玉前神社の格式が高かった、ということなのでしょうか。

せっかく説明版があるにもかかわらず、この碑が何年何月に建立されたのか、まったく触れられていませんでした。なぜでしょう? もっとも、碑文をたどってみたら、「明治37年10月29日之を記す」とあったので、ホッとしました。


(19年11月15日撮影)

(『海ほたるで…』につづく)