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通運丸がいた!

8月の半ばだったでしょうか、訪ねてきた友人C君が、「江戸東京博物館でやっている、『後藤新平展』の模型はすごい、一見の価値ありです」と、買って来た図録を前に、熱っぽく語ってくれました。

後藤新平といえば、内務大臣・帝都復興院総裁在任中の震災復興事業が、真っ先に思い出される人物です。今なお活用されている数々の橋や、街路、運河の整備と、土木好きとしても見逃せない、数多くの仕事を成し遂げたことは、つとに知られています。

どれどれ、と、C君が差し出す特別展の図録をめくっていると…なるほど、橋梁や街路、団地や小学校と、さまざまな完成予想模型の写真が掲載されており、当時の水準から見れば、どれも超細密と言ってよい、立派なものです。

模型の中で一つ、目が釘付けになったものがありました。工業地帯に囲まれた、運河の十字流に、なんと、外輪蒸気船が浮いている! 通運丸だ!
この一事で、矢も盾もたまらなくなり、次の休日、さっそく江戸東京博物館を訪ねたのです。

FI2617830_1E.jpg右の写真が、その模型「小名木川運河改修状況模型」。当時の工業地帯であった、江東地区の運河と、橋梁改修の様子を示したもので、小名木川と大横川の十字流一帯を模型化したもので、昭和5年ごろの製作。
二つのトラス橋、新高橋と新扇橋が架かっているのが、小名木川。桁橋である、猿江橋と扇橋が見えるのが大横川です。(現在のこの地点の様子は『干潮時にすり抜けろ!…7』参照)

立ち並ぶ工場や、市電が走る街路の様子はもとより、艀がびっしりともやう河岸も、細部まで表現されており、船頭たちの声が聞こえてくるようです。活気にあふれた水運の時代が髣髴でき、感動ものでした。

FI2617830_2E.jpg十字流のあたりを見ると、いたいた! 通運丸は早とちりだったかな、とにかく川蒸気を写真に収めようと、感度を上げたり、ズームを効かせたりと、がんばってみたのですが、一番できのいい写真がコレ(泣)。

当然ですがフラッシュは禁止、しかもガラス越しとくれば、致し方ありませんが、スプラッシャー(外輪覆い)に平べったい客室と、小さいながらディテールがちゃんと表現されていただけに、惜しいことをしました。

ともあれ、昭和初期に至ってなお、東京の水路を外輪蒸気船が現役で走っていたこと(または、少なくとも復興局の担当者には、そう認識されていた)が、この模型で再確認できたことが、何よりの収穫でした。

明治10年以来、通運丸を運行していた内国通運は、大正8年、東京通船に持ち船と一切の権利を売却しているので、時期的に見て、銚子まで行くような長距離航路があったとは、考えにくいのですが、地域的な運行は、昭和に入っても続けられていましたから、「青べか物語」に出てくるような、江戸川下流部と東京を結ぶ、区間航路の船だったのかもしれません。

それにしても、この川蒸気、なぜ大横川の方を向いているのでしょう?
千葉方面と東京を行き来する船なら、小名木川を走ったほうが自然のように思えるのですが…。単なる置き間違いかしら? 
もしかすると、大横川や竪川に、寄港地を設けていた時代も、あったのかもしれないなあ、などと、楽しい妄想がふくらんでしまいます。

FI2617830_3E.jpgこちらは、水路とは関係ありませんが、やはり素晴らしい模型でした。昭和5年に作られた「昭和通街路模型」。
図録では、予定されていた地下鉄や共同溝など、断面まで作り込まれた、正面からの写真が掲載されていたので、側面から見てみました。

こうして、ビルの間からのぞきこむと、思ったよりリアルに見え、当時の街に迷い込んだようで、ゾクゾクするような感動がありました。
街路樹で区切られた、センターリザベーションの市電軌道…現存していたら、さぞ素敵な街並みとなっていたことでしょうね。

FI2617830_4E.jpg博物館で購入した図録です。
「日本の近代をデザインした先駆者 生誕150周年記念後藤新平展図録」。編集・発行は、財団法人・東京市政調査会、平成19年7月23日発行。

後藤新平の一連の事跡はもとより、関連する資料も多数収録され、カラー図版も豊富、印刷・編集、造本ともに美しく、申し分のない内容でした。


FI2617830_5E.jpg後藤新平展に合わせたのでしょう、月刊「東京人」の10月号でも、読み応えのある大きな特集が組まれていたので、こちらも購入。

今回採り上げた、小名木川や昭和通りの模型も掲載されています。




(19年8月26日撮影)