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横浜の川をめぐる…8

(『横浜の川をめぐる…7』のつづき)
FI2617819_1E.jpgバージに近づいてみると、だんびろな船体とあいまって、護岸の高さとほぼ等しい舷側が、のしかかって来るようで、その量感は、水路の空間のほとんどを占めているように錯覚するほど。

白く塗りつぶされていて、よくわかりませんでしたが、船首ブルワークに書かれた船名は、「柳栄丸」のようでした。

FI2617819_2E.jpg後部にはご覧のとおり、「船の休憩室 一泊¥1000」と書かれた看板がありました。簡易宿泊所のようですね。

バージ利用の宿泊所を見て、思い当たった記事がありました。
「横浜ノスタルジア 昭和30年頃の街角」(横浜都市発展記念館)に、「大岡川沿いの船宿」という写真が紹介されており、キャプションに、「大岡川には木賃宿の船宿が数多く浮かんでいた」とあったのです。恐らく、港湾労働者向けの簡易宿泊所として、機能していたのでしょう。この「休憩室」も、そんな時代のなごりかもしれません。

FI2617819_3E.jpg後部から、「船の休憩室」の全景を見たところ。

かつては、このようなバージの群れが、横浜の川を埋め尽くしていたのでしょう。河川の管理者側からすれば、愉快ならざる点もあるのでしょうが、ミナト横浜ならではの光景として見れば、もはや貴重なもののように思えます。
付けたままになっている、巨大な舵の羽板や舵柄が印象的でした。

FI2617819_4E.jpgはっきりしない写真で、申しわけありません。前方に見える橋は、横浜駅根岸道路を渡す、車橋です。

「船の休憩室」の、強烈な存在感に気を取られたのか、この先何枚かは、ろくな写真が撮れませんでした。
撮影地点のMapion地図


FI2617819_5E.jpg翁橋です。先ほども触れたように、浦舟水道橋の、1回目の移設地点でもありました。

この翁橋の上流側から、現在の大通公園に向かって、日ノ出川という水路がありました。昭和31年に埋め立てられ、水路跡の一部は、日ノ出川公園となっています。


(19年8月12日撮影)

(『横浜の川をめぐる…9』につづく)