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映画「青べか物語」を見て

去る7月19日、仕事を早引けさせてもらい、京橋の国立近代美術館・フィルムセンター(サイトはこちら)に、映画「青べか物語」(昭和37年・東京映画)を見に行ってきました。

FI2617778_1E.jpg私は、映画そのものには、あまり関心がないのですが、「ポンポン大将」が見たくて、騒いだ(笑)ときのお話(過去の記事『「ポンポン大将」が見たい!』『舟、山に登る?』参照)でもおわかりのように、以前から、興味のある場面が含まれる映画やドラマがあると知ると、動く映像(笑)見たさに、ビデオを探したり、名画座を訪ねたりしたものでした。

映画の原作となった、山本周五郎の小説「青べか物語」については、あまりにも有名なので、改めて説明の必要はないでしょう。
この小説、私の中では、国内では数少ない「水路小説」だ、と位置づけているのです。

山本が暮らした、大正末から昭和初めにかけての浦安(作中では『浦粕』)の水路情景や、東京と江戸川(作中では『根戸川』)下流部を結ぶ、定期船の船員たちの生活ぶりなどが、叙情豊かに生き生きと描写され、フィクションとして脚色されているとはいえ、この時代の河川の風景を髣髴させる史料としても、今や大変貴重なものだと思っています。

関心を持ったきっかけは、「水路が描かれているから」という不純なものながら、繰り返し読んでいくうち、「浦粕」の住人たちの強烈なキャラクターや、人間くささが充満する「青べか」の世界にぐいぐい引き込まれ、以来熱烈な「青べか」ファンになってしまいました。

今でも旧江戸川畔に、作中で船宿「千本」として登場する、「吉野家」という釣船宿があるのですが、この横を艇で通るたび、あのこまっちゃくれた長太郎少年が、ひょっこり顔を出すような予感に襲われて、人知れず興奮してしまうほど。(吉野家のサイトはこちら。山本周五郎とのエピソード、貴重な画像あり)
また、少し前に、NHKが昔の記録映像を放映していて、「青べか」ゆかりの吉野家を取り上げており、老人となった晩年の長太郎少年…いや、吉野長太郎氏が出演されているのを見て、「うわ、長太郎、こんなに歳とって…」と涙してしまう…というくらいのファンなのです!


FI2617778_2E.jpg長くなりましたが、そんな思い入れのある「青べか」の世界と、映画の撮影された、昭和30年代末の江戸川河口の水路風景を、ぜひ目に焼き付けておきたくて、フィルムセンターにおもむきました。

入口をのぞくと、開場一時間前にもかかわらず、すでに待合室は満員で、100人を越える列ができていました。これは「青べか」人気と言うよりは、このとき特集されていた、監督の川島雄三が好きな方なのでしょうが、その熱気に驚いたものです。
幸い、劇場は310人定員で、余裕をもって席に着くことができました。

映画の始まりは、都内から旧江戸川河口に至る、空撮シーンで始まるのですが、砂州が今のように埋め立てられ、河道が整理される直前の、「沖の百万坪」や、「大三角」「小三角」といった、作中ではおなじみの、緑豊かな河口部の風景が広がり、その美しさに息を飲みました。

「先生」が、青べかに乗って、「氵入(いり)」と呼ばれる縦横に走る水路や、浦安を貫流する境川をゆくシーンは、水路趣味的(笑)にはまさに圧巻!
中高の素朴な板橋が、無数に架かる葦原の中の狭い水路を進み、木製のスライドゲート…樋の口、と呼んだ方がしっくりくる、小さな水門をくぐり、ベカ舟や打瀬舟が、隙間なくもやう堀割りをかすめ…すばらしい水路情景の連続に、もう目眩がするほど(笑)。

中でも貴重に思えたのは、境川を守る水門の、昔の姿が写っていたことです。
境川東水門(過去の記事『境川東水門』参照)が、コンクリート枠を持つ、2径間木製マイタゲートであったこと、境川西水門(過去の記事『旧江戸川下流部…1』参照)も同じく、1径間マイタゲートであったことが、映像で確認できました。

また、ベカ舟の帆走シーンが何度かあるのも、水門に劣らず貴重なものに思えましたし、初恋の人がくれた人形と廃船に暮らす老人…幸山船長の住まいである木造曳船は、原作では通船(旅客船)となっている違いはあるものの、やはり今ではまずお目にかかれない船型で、珍しい映像でした。

「水路映画」としての、ディテールのご紹介はきりがないので、このあたりで止めておきましょう。
ほんの40数年前まで…などと言うとトシがばれそうですが、原作の書かれた昭和初期とさほど変わらない、美しい水路情景が健在であったことを目の当たりにすると、仕方のないこととは言え、惜しいことをしたものだ、という思いで、胸が一杯になったものです。

さて、人物を見てゆくと、東野英治郎扮する、ケレン味たっぷりの芳爺さんや、左卜全の幸山船長は、特に私の抱いていたイメージにぴったりで、昔から知っていた人に会ったような、懐かしささえ覚えました。
唯一、ちょっと違うなと思ったのは、南弘子演ずる、乞食少女の繁あま(原作では『繁あね』)が、年齢が高すぎるところでしたが、ミスキャストと感じる俳優は少なく、原作のイメージも壊されずに、素直に楽しむことができたと思います。

残念だったのは、長太郎少年と「先生」がからむエピソードが、ほとんど割愛されていたこと。
また、原作では、30年後に「先生」が浦粕を訪れ、成人して船宿の店主となった、長太郎に再会しながらも、「覚えていない」と言われる最終章があり、私の好きな話のひとつでもあるのですが、これも映画では省略されていました。
まあ、映画は撮影と同時期の時代設定でしたので、この話は無理があるかもしれませんが…。

風景にも、登場人物にも、すっかり満足して席を立つと、受付に写真の「川島雄三 乱調の美学」(磯田 勉 編、カワシマクラブ 協力、ワイズ出版)という本が売っていたので、パンフレット代わりに購入。6~7月は川島雄三監督作品の特集月間で、「青べか」も、その中の一本として上映されたのです。
この本によると、川島監督は、45歳という若さで亡くなったので、生涯に撮った作品は51本、「青べか」は47本目で、末期の作品と言ってよいでしょう。

関心のある映画…いや、正確に言いましょう、「関心のあるシーンが含まれる映画」(笑)が、戦前から、昭和30年代までのものが多かったので、結果的に、この時代の映画のテンポや雰囲気に、ある時期肩まで浸かったようになり、馴染んでしまったことがありました。
そのせいでしょうか、たまに誘われたりして、最近の映画を見に行っても、違和感ばかりあって、あんまり楽しめません(映画ファンの方、ごめんなさい)。

川島監督は、日々追いまくられて、じっくり撮ることができない状況が、いたくご不満だったようですが、素人の私から見ると、やはり黄金時代に作られたものには、他の時代のそれにない良さが、あるように思えるのです。

【10月5日追記】8段目、本のタイトルが間違っていたので、訂正しました。