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津宮

(『小野川水門』のつづき)
FI2617728_1E.jpg小野川水門から東へ、約2㎞離れた、香取駅近くの利根川畔、津宮(つのみや)に寄り道しました。
ここは、かつて津宮河岸と呼ばれ、水運が盛んだったころは、南方へ2㎞強の、香取神宮参詣の表玄関として賑わったところ。大水運時代の面影が残る場所として、ぜひ訪ねてみたかったのです。

国道356号線、「香取駅入口」交差点の少し手前、家並に囲まれた狭い道の向こうに、堤防越しにチラリと鳥居の頭が…。あれが浜鳥居か! あわてて引き返し、人影のない道を、鳥居に向かって入ってゆきました。この道が、かつて殷賑を極めた、津宮河岸の表参道…。幾多の参詣者が、この道を踏んで、香取神宮に向かったことでしょう。

FI2617728_2E.jpg堤防には、浜鳥居に向かって階段が設けられており、階段の上り口、右側には常夜灯が、左側には与謝野晶子の歌碑がありました。

常夜灯は、明和6年(西暦1769年)に、主に利根川沿岸に住む講中の人々によって奉納されたものです。
「利根川図誌」(赤松宗旦著)の挿画によると、かつては浜鳥居の近く、参道の中央に立っている情景が描かれており、このことから、利根川を往来する舟の、夜間の航路標識としても、役立ったのではないかと思われます。

与謝野晶子の歌碑は、平成2年に建てられた、比較的新しいもので、「かきつばた香取の神の津の宮の宿屋に上る板の仮橋」という、当地ゆかりの歌が刻まれています。

FI2617728_3E.jpg堤防の上から、浜鳥居と利根川を見下ろしたところ。節一つない、白木の立派な鳥居越しに見る利根川も、小野川河口に劣らない美しさです。

舟で参詣する人々や、津宮河岸を守る住人たちにとっては、この浜鳥居が、実質「一の鳥居」だったのでしょう。(本来の一の鳥居は、他にあるのですが)
江戸時代は、鳥居の周りまで舟入が掘られており、鳥居は水中から立ち上がっていました。当時はもちろん、堤防はありませんから、鳥居のすぐ近くまで、街並みが迫っていたようです。

香取神宮の数ある大祭の中でも、もっとも壮麗な「式年神幸祭」、12年に一度、午の年に行われるお祭ですが、神宮を出た神輿は、ここ津宮から御座舟に乗って出発、大船団を組んで、鹿島神宮の祭神が待つ河上へと向かいます。単なる参道としてではなく、神様の通り道としても、重要な場所なのですね。

FI2617728_4E.jpg正面から一礼の後、鳥居に近づいて、手を触れてみました。
遮るもののない河原で、長い間、日光と川風にさらされて、乾ききった木の肌が美しく、触れた感触もさらさらとして、良質の材であることがうかがえました。

高さ約12m、柱の直径約65㎝だそうですが、節もひび割れもないせいでしょう、非常に大きく見え、その存在感は予想以上でした。


FI2617728_5E.jpg正面、河中に下りる階段から撮ってみました。低い位置から見ると、まさに「一の鳥居」らしい、堂々たる風格があります。

なお、このすぐ近くから、対岸の津宮新田に至る渡船・津宮渡船があり、通学する学童の足として利用されていましたが、平成17年3月を持って廃止されたとのことです。

渡船もなくなった今、舟からこの鳥居をくぐって、香取神宮に参ることは、難しくなってしまったものの、美しく守られている浜鳥居に、かつて門前町として栄えたこの町の、心意気を見たような気がしました。

(参考:岩波文庫『利根川図誌』赤松宗旦著、『佐原の歴史散歩』島田七夫著、『水郷の生活と船』千葉県立大利根博物館)
撮影地点のMapion地図

(19年4月30日撮影)

(『香取神宮』につづく)