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浚渫船「榛名号」の写真

FI2617671_1E.jpg何か面白い出物はないかしらと、久しぶりに、なじみの古本屋さんを訪ねてみたら、こんなリーフレットが見つかりました。
一色刷りながら、厚紙の二つ折りで、なかなか立派なもの。写真はその表紙です。

浚渫船「榛名号」――まるで、旧海軍の戦艦のような、立派な名前だなあ…。
惜しむらくは、さらに二つに折られていて、その折り目からちぎれてしまっていることですが、内容が興味深かったので、いただいて帰ることにしました。

FI2617671_2E.jpg「榛名号」の写真です。
煙突のマークからもおわかりのように、東京都の注文によるもの。以前ご紹介した、港湾局の大型浚渫船「雲取」(過去の記事『浚渫船』『バンザイ』参照)の、大先輩に当たる船だったのです。
東京港は、隅田川の運ぶ土砂が堆積して、浅くなるきらいがありますから、この種の船は、つねに必要とされていたのでしょう。

船体の長さのほとんどを、浚渫用のバケットの列が、占めているものものしさは、「雲取」に負けないほどの「鋼鉄の要塞」ぶりですが、ひょろ長い煙突はちょっとユーモラスな感じで、重苦しさを幾分かやわらげているようですね。表紙裏側には、「榛名号」竣工までのいきさつを記した、挨拶文があるのですが、起工が折悪しく開戦後だったため、自治体の注文とは言え、資材の調達、関係各方面との調整に、苦心惨憺したさまが、切々と綴られていました。

昭和17年12月進水後、努力も空しく資材供給の道を断たれて、18年末にはついに工事中断。
「この巨大なる半成品は日夜この神崎川に浮んで吾々の関心と苦痛の象徴でありました」の一文に、関係者の悲痛な心中が描かれています。
戦後、25年1月に至り、ようやく工事再開、同年8月に「戦後最大のバケット船」として竣工。実に8年半もの時間を要した、言わば、難産の船だったのですね。その後の活躍ぶりは、どうだったのでしょうか。

ちなみに、建造元である、大阪・神崎川の油谷重工業ですが、検索してみたところ…神戸製鋼傘下になったのち、平成11年に神鋼コベルコ建機と統合、コベルコ建機㈱となったようです。(『沿革 会社概要KOBELCO 神戸製鋼HPより)