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大田区立郷土博物館

FI2617670_1E.jpg先日、がーちゃんさんのブログ(がーちゃんフォトアルバム)にお邪魔したら、「大田区立郷土博物館 その3」で、素晴らしい和船の展示や、ペーパークラフトが紹介されていました。都内に、こんな熱いスポット(笑)があったとはつゆ知らず、3月11日、勇んで大田区立郷土博物館を訪ねました。

西馬込の駅から、閑静な住宅街をしばらく歩くと、ゆるい坂の途中、右手に博物館の白い建物が現れました。
(詳細は『大田区立郷土博物館のご案内大田区HPを参照)

FI2617670_2E.jpgまずは3階に上がり、昔の暮らしや手工業、また、かつて大田区の重要な産業であった、海苔養殖の歩みについての展示から拝見。

写真は、明治16年7月10日の日付が入った、たたみ一畳ではきかない大きさの奉納額。古びて見えますが、諏訪神社にあったものの複製だそうです。

海苔篊(のりひび)の列が、はるか沖合いに広がり、岸には収穫を降ろしているのでしょう、数艘のベカ舟がたたずみ、浜では女たちが、乾し台に海苔簀(のりす)を並べて海苔を干している…。

江戸前の海らしく、彼方には弁才船(大型商船)の行き交う姿も描かれるなど、かつての東京湾における、海辺の生活をあますところなく描写していて、惚れ惚れと見入ってしまいました。明治時代は、江戸時代から続く内航商船の全盛期でもあり、たくさんの大型和船が、全国を往来していました。この絵からも、その賑わいの一端がうかがえます。

海苔養殖に関する道具類のコレクションも圧巻で、国の重要有形民俗文化財にも、指定されているとのこと。海苔関連の展示は、最も力を入れているのでしょう、非常に詳しく、丁寧に見てゆくと、1日では足りないほど充実している、と言っていいほどの「読ませる展示」なのが印象的でした。

和船関連では、ベカ舟の実物や、海苔親船(ベカを数艘搭載、漁場に運搬するエンジン付き母船)の立派な模型があります。ベカというと、どうしても浦安(過去の記事『浦安市郷土博物館…1』を参照)を思い出してしまいますが、同じベカでも、地域や用途によって、さまざまな形式があり、大田区のものも浦安のそれとは、だいぶ異なります。

展示の記事を読んでいて、ハッとした記事が一つありました。長くなり恐縮ですが、備忘録を兼ねて…。

昭和3年3月の、東京日日新聞の「京浜沿岸の漁民 けさ府庁に押かく」という記事の一部とともに、以下のような解説がありました。
横浜港と東京臨海部を結ぶ、京浜運河の工事は、昭和2年(西暦1926年)に計画されたものの、東京側は海苔漁民の反対運動により、着工が大幅に遅れて昭和14年にずれ込み、そうこうしているうちに戦争が始まり中断され、神奈川県側と、現在の品川区勝島の部分のみ完成。戦後は運河外側の埋立てが進み、現在に至った、というエピソードです。

京浜運河は、以前ご紹介したように(過去の記事『京浜運河を散策する…1』以下のシリーズを参照)、東京側と神奈川側に、同名の運河があるものの、その性格、規模とも異なります。
神奈川側が、本船が入れる港湾運河なのに比べ、東京側は幅・水深ともに少なく、橋も架かり小型船しか運航できません。しかも京浜運河は、羽田~多摩川間で分断されています。

京浜運河の計画が、古く明治からあり、ことに関東大震災後、水運の重要性が再認識されてから、にわかに現実味を帯びて、昭和3年、京浜運河株式会社により、7ヵ年での建設計画が提出されたいきさつは、矢野剛の「運河論」(過去の記事『あの本が!』を参照)にも書かれています。
しかし、なぜ現在の京浜運河が、東京と神奈川に分断されているのかは、史料に恵まれず謎のままでした。今回、その謎が氷解して、胸のつかえが取れたような、すっきりした気分になったものです。
このことだけでも、来た甲斐がありました!

FI2617670_3E.jpgもう一つ、腕組みして、しばらく飽かずに見入ってしまったのが、この展示です。

写真では、ちょっとわかりにくいかも知れませんが、床一面に大田区周辺の地図が貼ってあり、六郷用水と、二ヶ領用水の流路…それも膨大な数の分水路までが、各ポイントの写真とともに、地図上に記されているのです。
地図はコーティングされているので、上を歩いてじっくり見ることができます。

大田区周辺の、特に臨海部は、真水に乏しい地域でしたから、稲作や飲料水の確保のため、このような用水の整備に、力が注がれたのでしょう。
現在は、一見名もない排水路のようでも、昔は貴重な水利設備だったというのは、珍しいことではありません。貴重な土木遺産として、大切にされるといいですね。

FI2617670_4E.jpg2階の屋外には、ビニールの上屋を掛けられて、エンジン付き和船が保管されていました。

窓際にあった説明板によると、この船は海苔船「伊藤丸」といい、昭和33年の建造。主に千葉県沿岸にあった、養殖海面までの往復に活躍した後、持ち主が変わり、釣り船として使われていました。改造箇所が少なく、海苔船としての原形を留めているため、平成10年に、当博物館に搬入されたそうです。

ひととおり展示を見て、1階で本やペーパークラフトを購入した後、「2階の船、見せていただけるでしょうか」と、お願いしたら、快く扉を開けてくださいました。何しろ、実際に使われていた船ですから、相当痛んではいるものの、船底に見えるフナクイムシの痕や、腐食した銅の釘隠しなどが生々しく、かえって貴重なものに思えました。
なお、撮影は禁止されていませんが、公開には許可が必要ですので、ご注意ください。(私は許可を取っていませんので、ビニールハウス越しの写真のみ)

案内してくださった学芸員の方によると、「この他にも収蔵している船があり、一日も早く、ちゃんとした形で展示したいのだが…」とのこと。和船を研究しておられる方のようで、和船の復元建造では、浦安郷土博物館ともやりとりがあるなどの、興味深いお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

FI2617670_5E.jpg見学を終わって、表に出たら、妙な鳥の鳴き声が…。ふと木の枝を見上げると、なんと大型のインコが留まっているのを発見!
博物館の方の話では、「数十羽、枝にびっしり並ぶときもある」のだそうです。

当館販売の本は、とても面白そうなものが多かったので、お決まりのオトナ買い(笑)。例によって、係の方をてんてこ舞いさせてしまいました…。
見本の前のポケットに、書名を書いた「販売カード」が挟まれているので、現物を持っていかなくても会計ができるという、親切なシステムでした。

展示方法も一見地味で、スペースも限られているものの、内容は実に濃厚で、見ごたえのある博物館でした。興味がある方にとっては、楽しい時間を過ごせる場所になるでしょう。

ご紹介くださったがーちゃんさんに、改めて御礼申し上げます!
撮影地点のMapion地図

(19年3月11日撮影)

(『海苔船のペーパークラフト』につづく)