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深川江戸資料館と清澄庭園

FI2617648_1E.jpg前回と、話が前後して恐縮ですが、1月7日の午後は、江東区・深川江戸資料館を訪ねました。

当館は、幕末の江戸の町を切り取った形で、屋内に復元展示していることで有名ですが、私がここに、吸い寄せられた理由はただ一つ…水路都市・江戸のハイヤーとも言うべき、猪牙舟(ちょきぶね)の実物が展示してある、という不純な理由(笑)から、以前より狙っていたのです。

天気の良い連休とあって、館内はかなりの賑わい。半地下になっている展示室に入ると、最初は薄暗く、足もともよく見えなかったのが、次第に明るくなって、街並みの全貌が見渡せるようになりました。20分毎に照明を落とし、昼夜を表現しているのだそうです。

復元された街は、天保年間の終わりごろの、大川端・永代橋も間近い、油堀に面した下橋際・佐賀町の一角という設定。割長屋や木っ端葺きの八百屋といった、一般の人の住まいから、瓦葺の大店や土蔵もあり、堀端には舟宿、そして堂々たる火の見櫓まであります。一軒一軒に、どのような職業の住人が住んでいるか、細かい設定がなされており、座敷に上がって、家財道具に手を触れることができます。

目指す猪牙舟は、舟宿のまん前、油堀を想定した水面に、本当に浮かんでいました。わずかな広さの水面ですが、ちゃんと浮かんで、かすかに揺れている和船を見るのは、実にいいものです。むしろや舟行灯、櫓(ろ)といった小道具がちりばめられ、今にも船頭が現れそうな、臨場感あふれる雰囲気に作られていました。

例の如く、館内は見てのお楽しみということで、詳しくは、江東区深川江戸資料館のHP(こちら)をご覧ください。

FI2617648_2E.jpg出かけたのが午後だったので、資料館を出ると、すでに日は傾きかけていたのですが、せっかく来たのだからと、すぐ近くにある清澄庭園を拝見。
少々風が強く、肌寒くなってきたものの、屋敷地の多かった、かつての深川の残り香をかいだ気分で、楽しいお散歩となりました。

いただいた二つ折りの刷り物によると、一説には、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡とされており、のち享保年間(西暦1716~1736年)に、関宿城主・久世大和守の下屋敷となり、庭園の元がかたちづくられたとのこと。
高瀬舟が行き来した、江戸~銚子航路の要衝、江戸川流頭に位置する関宿の殿様が、やはり水運の要であるこの地に、お屋敷を構えていたのですね。

FI2617648_3E.jpg池には4つの島が浮かんでいますが、そのうちの一つ、中の島には、よい雰囲気の土橋が架けられていました。

土橋とは、木の桁橋の上に、路面として土を敷いたものです。昔の写真を見ていると、縁の土止めの部分には、わざと背の低い草を生やしたりする例が多かったようです。土の崩れを防ぐとともに、橋を風情ある外観にするという、効果もねらったのでしょう。
この土橋は、架け替えられて、まだ時間が経っていないのか、またはまめに手入れをしておられるのか、土の上に敷かれた砂利も均されて、桁の丸太も若々しい色です。
東京では、もう庭園の中でしか、お眼にかかることのできない型ですが、このように素朴な橋の下を自艇でくぐったら、さぞ楽しいでしょうね。
島からぐるりを見渡すと、池のそこここには、可愛らしい水鳥や海鳥が群れて、来園者に餌をねだっていました。

FI2617648_4E.jpgこちらは、入口近くの、「長瀞峡」と名付けられた水路に架かる、石の筋違橋。この型は、もともと木の板で造られていたものを、庭園向けに石橋としてモディファイされた、と見て良いでしょう。
ほんの短い橋ですが、幅の狭さにちょっと緊張つつ、足をしっかり、踏みしめるようにして渡りました。

庭園の池は、かつては浜離宮と同様、隅田川より水を引き入れており、干満によって表情を変える、いわば感潮庭園でしたが、現在は雨水でまかなっているとのことです。

清澄庭園の詳細はこちら公園へ行こう! 清澄庭園)をご覧ください。

FI2617648_5E.jpgでまあ…パターンではありますが、水路バカとしてはですね、お散歩の最後はやはり、小名木川に吸い寄せられて終わるわけです(笑)。
夕焼けを浴びるビル街をバックに、かつて、利根川通いの外輪汽船ターミナルがあった、高橋を撮ってみました。

もう一回くらい、“厳寒期航行”しようかなあ…。
撮影地点のMapion地図


(19年1月7日撮影)

【2月15日追記】3段目、本文一部修正、5段目、誤記を訂正しました。