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戸田市立郷土博物館

FI2617600_1E.jpg11月26日は、近所に用足しがあったのを幸い、戸田市立郷土博物館を見学することにしました。
古くから、「戸田の渡し」を有し、荒川水運の河岸としても栄え、物資の集散地であった戸田には、舟運関連の史料が少なくないと聞いており、一度拝見したいと思っていたのです。

写真は、正面玄関を眺めたところ。博物館は、市立図書館と同居しており、角にはフクロウの像が、誇らしげに立っているのが見えます。
こちらも、館内の撮影は禁止されていますので、展示の詳細は、戸田市立郷土博物館HPをご覧いただきましょう。

同HPの、常設展示紹介にも掲載されている、いわゆる「肥船」の、全木製大型模型は大変立派で、船首にセイジと呼ばれる居住区を備えた、荒川流域の艜(ひらた)の一典型が、よく再現されています。
ただ、船体の規模に比べて、帆が小さすぎるように感じました。末期の川舟の中には、帆装を小型化するものもあったので、模型の原典となった資料に、従っただけなのかもしれませんが…。

この模型が置かれた一角に、河川舟運関連の展示が集中しており、全盛期の戸田河岸を再現した情景や、戸田の渡し場を描いた浮世絵など、この規模の博物館としては、結構なスペースが、割かれているように思えました。以下に掲載した、博物館発行の本にもあるように、送り状などの史料も、旧家に保存されていたものが、数多く収蔵されているようです。
昭和初期まで続いた「河岸の町」としての記憶が、戸田の誇りとなって、この博物館にも受け継がれているのでしょうね…。

FI2617600_2E.jpgこちらは、博物館とは関係がなく、また、戸田の皆さんの名誉を考えると、お見せするのもためらわれたのですが、受けたショックが大きかったこともあり、あえてご紹介します。

1階玄関ホール、図書館の入口にある、「本が泣いています!!」と大書きされたボードの前に並べられたのは、乱暴に破られたり、べったりとシミをつけられたりと、無残な姿の本、本…。
昔から、研究や勉強に熱心なあまり、図書館の本のページを切り取ってしまう例は、時々見受けられましたが、個人で使用する分には、自由にコピーができるのですから、その必要がないのは、言うまでもありません。
しかも、ここに展示されている本が、このような姿になった理由は、そんな向学心とは無縁であることは、これらの状態を見ても、おわかりでしょう。

本にありがたみを感じないご時世! 本が簡単に買えて、読み捨てられてしまう今、果たして、図書館は必要なのかしら…。そこまで考えさせられてしまう展示でした。

FI2617600_3E.jpg…偉そうなことを言って、申しわけありません。気を取りなおして…。
今回も、博物館発行の書籍や展示目録の中から、水運・治水関連のものを何冊か購入したのですが、特に面白かったものを、2点ご紹介します。
(なお、本の販売所は、1階玄関を入って右奥、博物館事務室のカウンターにあります。)

写真左、「戸田河岸と荒川の舟運」(当館発行・平成15年10月、A4判・本文56ページ)は、過去の特別展の展示品・収蔵品をまとめたもの。
寄居や川越まで及んでいた、河川改修前の荒川・新河岸川水運の様子を、古地図や調査書、引札、送り状といった史料や、古写真からデータを起こし、図版を多用して再現しています。
特に、明治期の戸田河岸のデータは、河岸の坪数から、東京への出荷品まで細かく掲載されて、大都市の後背地としての河岸が、どれほど繁華なものであったかが伺え、面白く読めると思います。

写真右は、「姉妹都市交流展『戸田村』幕末・ロシアの風~プチャーチンと戸田号」(当館発行・平成9年10月、B5判、本文40ページ)、やはり特別展の目録です。
嘉永7年(西暦1854年)に、通商を求めて来航したロシアの提督・プチャーチンの乗艦、ディアナ号が、津波により大破、のちに沈没したため、伊豆の戸田(へだ)にて、代船となる小型帆船を建造させたという、造船史上有名な「戸田型スクーナー」誕生にまつわる史料を中心に、収録したものです。
この本は、戸田市と戸田村という、珍しい同名異音の自治体が、平成5年に姉妹都市提携を結び、その交流の一環として展示を行ったいきさつから、展示品の目録だけでなく、戸田村の紹介なども含まれています。

(18年11月26日撮影)