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魅惑の水郷…1

FI2589171_0E.jpg去る5月4日、クルマで水郷を訪ねました。

江戸時代以来の、あまりにも有名な景勝地ですから、皆さんご存知とは思いますが、ここで言う「水郷」とは、普通名詞ではなく、千葉・茨城両県の県境一帯、利根川中下流域に広がる、河川や湖沼に囲まれた地域のことです。

広い意味での水郷は、潮来や佐原といった、古来からの河港街も含みますが、やはり水郷の中心は、利根川本流、横利根川、常陸利根川に囲まれた十六島、通称「シマ」でありましょう。

かつての水郷は、一面の水田の間を、エンマと呼ばれる水路が網の目のように走り、モノや人の動きすべてが、農舟「サッパ」によって為される、まさに水運が欠かせない日々の営みであった、全国でも珍しい穀倉地帯です。
昭和39年から始まった、土地改良によって乾田化され、無数のエンマは姿を消しましたが、今なお、いくつかの魅力的な水路が息づいています。

無数の川や、水路は言うに及ばず、霞ヶ浦や北浦など、広大かつ多彩な内水面を有するこの地域は、「水郷の原風景」ほかの本で読んで、以前から一種憧れの場所であり、自艇で走れないにせよ、一度この目で見てみてみたいものだと、思い続けていました。(もっと以前は、無謀にも、関宿を越えて、自艇でこのあたりに来ようとしていたのですから…。)

まえぶれが長くなってしまいましたが、上の写真は、東関道・利根川橋より、利根川本流と水郷十六島をのぞんだところです。水また水の素晴らしい眺望に、思わず声を上げてしまいました。
撮影地点のMapion地図
高速を潮来インターで降り、潮来の町の歓迎ゲートを抜け、水郷の中心たる十六島、中洲を目指します。第一の目的は、千葉県立中央博物館・大利根分館(もと大利根博物館)を見学することです。

FI2589171_1E.jpg水郷十六島のほぼ中央、与田浦の西端にある、水生植物園前の駐車場に到着しました。

水生植物園の前庭に、「水郷の美は天下に冠たり」と刻まれた、大きな石碑があるのが目に入り、思わず駆け寄りました。何度も本で見ていたので、初めて見る気がしません。
この石碑は、徳富蘇峰の筆によるもので、昭和12年、旧水郷大橋の橋詰近く、現在もある横利根閘門の付近に建立されました。現水郷大橋完成時に、こちらに移設されたのだそうです。
昔から景勝地として、多くの人々に愛されていたことが、実感できます。

右写真の案内板でおわかりのように、植物園や博物館のある中州は、与田浦の西端、水郷のヘソのようなところにあります。
撮影地点のMapion地図

FI2589171_2E.jpg千葉県立中央博物館・大利根分館に着きました。水生植物園に隣接していて、歩いても数分の距離です。最初から、こちらの駐車場に入れればよかったかな? でも、一面の水田を眺めながら、のんびり歩くのも、うららかな好天に恵まれていることもあり、実にいいものです。

入口にある、「大利根博物館」の銘が入った石は、訂正されていませんでした。今の名前は、ちょっと長すぎますからね…。

敷地内に入ると、前庭に展示された、かつての大倉渡船が出迎えてくれました。
説明板によると、昭和42年から62年まで、佐原市(現香取市)大倉新田と、対岸大倉の間で、使用されたものとのこと。ミヨシ上のステップや、船室前の引き戸に、学童渡船らしさが出ています。
館内は撮影禁止ですので、主な展示物は同館HPでご覧ください。

FI2589171_3E.jpg博物館の展示は、高瀬舟の、巨大な舵の実物に圧倒されるなど、楽しめたのですが、未整理の部分もいくつかあるなど、守備範囲の近い関宿城博物館と比べて、展示や応対の点で、少々残念なところがあるのは、否めませんでした。

屋外の展示物を、2つご覧に入れましょう。
上の写真は、角落としをそのままつないだような、素朴な木製スライドゲートの扉体です。昭和54年3月まで、佐原市・利根本流で使用されたとのこと。
下の写真は、昭和17年から63年まで、与田浦東端の、附洲で使用された排水機。現在の揚排水機場が整備されるまで、十六島を水害から守りました。

FI2589171_4E.jpg博物館見学のあとは、例によって本をオトナ買い(笑)し、すぐ前にあった食堂で、ご当地のウナギをいただき、食後、ゆっくり歩いて与田浦畔へ。

水生植物園の横には、写真の船着場があって、水郷十二橋めぐりの看板を掲げていました。ははあ、これがご当地名物、おんな船頭さんのサッパ舟による水郷めぐりかと、ピンときました。
クルマでこちらに来る途中にも、このような看板を掲げた船着場が、そこここに店を広げており、おんな船頭さんが、盛んにお客を呼んでいるのを見てきました。

実を言いますと、当初の予定では、サッパ舟を借りての遊覧は、まったく考えていなかったのです。要所をクルマで巡って、閘門や水路を撮り、水郷情緒の一端でも味わえれば御の字と、欲のないことを考えていました。やはり心のどこかに、「自分のフネで、思うさま走り回れない水面なんて…」という思いがあったのでしょう。

あとになって思い知ったのですが、それはとんでもない間違いでした。さらに、この場所から乗ったことが、幸運だったことも…。

私は、明らかに、水郷をナメていたのです。

(18年5月4日撮影)

(『魅惑の水郷…2』につづく)