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境川東水門

FI2398992_0E.jpg(『浦安市郷土博物館…2』のつづき)
博物館を出ると、目の前には、境川がほぼ南北方向に走っています。かつての浦安に生きる人々にとって、漁港であり、生活の道でもあった境川も、今やひっそりとして、船影もまばらです。

私は以前から、この境川を航行してみたかったのですが、(この日、出港停止にならなければ、攻略してみるつもりでした!)写真の境川東水門は常時閉鎖されているため、二分された境川を、江戸川方と、東京湾の両方から入ってみるほかは、なさそうですね。

この水門は、ふたつの水門が併設された二重構造で、水門に挟まれるようにして橋がかけられ、道路が通っています。
この道路の部分だけ、周囲の土地より一段高く、まるで堤防のようなので、気になって観光マップを見たところ、「浜土堤」と呼ばれた、かつての防潮堤のなごり、ということが解りました。
撮影地点のYahoo地図

FI2398992_1E.jpg境川の上流側(江戸川方)を見たところです。
博物館で購入した「浦安 文化財めぐり」によると、境川は現在、全長4.8kmあり、昭和39年からの埋め立てで、かつての3倍もの長さになったとありました。

ご覧のとおり、左岸には、レンガを基調とした、落ち着いた感じの親水護岸が整備され、静かな水面と合い増して、好ましい雰囲気を醸し出しています。
右岸はまだ、整備が緒についたばかりのようですが、遠からず左岸同様の姿になるのでしょう。低いテラスの部分が、水面近くまで低められており、船もつなぎやすそうで、係留が許されるのなら、船での食事や買い物に、利用してみたいくらいです。

水面はもとより、テラスにもあまりゴミは見られず、瀟洒な親水護岸とともに、この川が大切にされていることが見て取れました。ここまで整備されるには、住民の方々の努力も、並大抵ではなかったでしょう。
ベカやマキ船が舷を接してひしめく、かつての風景は、博物館の中でのみのものとなりましたが、これからも境川は、浦安の象徴として生き続けるに違いありません。

FI2398992_2E.jpg水門の下流側(東京湾側)から見てみました。歩道が、水門の周りをコの字状にとりまき、扉体はよく見えません。
写真には写っていませんが、左側には排水機場がありました。

このような、二重構造の水門は、他にもいくつか見られるのですが(上流の江戸川端にある、境川西水門も二重です)、閘門でもないのに、なぜこのような構造になっているのか、私にはわかりません。

両方から水圧がかかることを、考えているのかな?とも思ったのですが、その割には、扉体がふたつとも、フラットな面を下流側に向けています。はて?
ご存知の方がおられたら、ご教示いただきたいものです。

FI2398992_3E.jpg水門の支柱の側面に、銘板が貼ってありました。

これによると、上流側は「副水門」と称しており、下流側の補佐役、といったニュアンスに読めました。
扉体の大きさも、副水門の方が、高さを低く作られているのです。そういえば、水に浸かっているのは「主水門」(?)の方で、副水門は引き上げられていましたね。
あくまで緊急時のみ使用し、ふだんは温存している、ということなのでしょうか…。

FI2398992_4E.jpg水門の下流側に少し歩くと、やはり親水テラスがあり、多くの船が河岸棒にもやわれてたむろする風景を眺めて、しばし休憩することにしました。水面をのぞき込むと、澄んだ水越しに底の砂が見え、小さな魚がたくさん泳いでいました。

テラスには、可愛らしい先客がいました。丸々と太った大きなアヒルと、鴨です。
アヒルさんたちは人慣れしていて、博物館の駄菓子屋で買った、ベビーカステラをちぎって与えると、喜んで食べてくれました。
すると、それを見ていた鳩や、遠くの水面に浮かんでいたカルガモの群れまでが、餌をねだって押し寄せ、時ならぬトリの楽園状態(笑)。

夕方ともなると、さすがに強風下、海風の冷たさに震えあがりましたが、博物館といい、境川といい、浦安の心意気を感じることができ、出港できなかったことを補って余りある、楽しい休日となりました。

(『浦安市郷土博物館で購入したもの』につづく)

(18年3月12日撮影)