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平成7年8月・江戸川…2

FI2105319_0E.jpg(『平成7年8月・江戸川…1』のつづき)
慣れない夜走りをして数時間、ようやく江戸川閘門に到着しました。

閘門の通航時間は午前6時から、午後6時まで(江戸川にはマリーナがあり、日曜も通船があるので、休日はありません。)ですので、当然ながら、定宿にしていた東京湾岸のマリーナまでは、帰港することができません。結局、閘門前の水面で投錨し、夜を明かすことになりました。

マリーナに帰れないことが解っていながら、危険な夜間航行をしてまで、江戸川を下ってくるメリットがあったのか…当時の自分の精神状態を、説明するのに苦しみますが、流れのない、静かな水面が黒々と広がるのを見て、妙な安堵感があったのだけは、今でもはっきりと思い出すことができます。

ハッチに蚊帳をかけてランプを灯し、食事の準備をしていると、「ボツッ」と、スピーカーに電源の入る音がしました。オヤ?と顔を上げる間もなく、静寂を破る音量で、こうがなり立てられたのには驚きました。
「そこのボート、閘門の運転は、午後6時で終了しました。明朝午前6時までは通れません。繰り返します。閘門の運転は終了しました。明朝6時までは通れません」
いや~、お知らせ下さって恐縮です。承知しておりますよ! 監視カメラがあると思われる方向に、手を振って了解の意を示すと、気持ちが伝わったのかどうか、スピーカーは沈黙しました。

しばらく、碇泊灯の薄明かりの下で、レトルトご飯を温めていると、「おーい、おーい!」と、今度は岸から人の呼ぶ声が…。見ると、閘門の左の土手で、手招きしている人がいました。
あわててコンロの火を落とし、アンカーをたぐって、艇を岸に回してみると、その人はこう話しかけてきました。

「河口の方に行くのかね?」どうやら、閘門の職員さんのようです。
「ええ、そうですが…今日は遅いので、ここで泊まります」
「(閘門を)開けてやろうか?」これには驚き、かつ職員さんの心遣いが嬉しくもありましたが、いまから川を下っても、入港できるマリーナがありません。むしろ、ここで碇泊した方がいいだろう、と判断しました。
「ありがとうございます。折角ですが結構です。今晩は泊まって、明朝下ります。」
「そうかね、じゃ、明日の朝は6時に開けるからね。」
職員さんは、宿直の当番なのでしょう。土手を登って、管理棟に帰ってゆきました。

写真は、碇泊地から、見当をつけてバルブ撮影した、夜の江戸川閘門です。
当時のことですから銀塩のカメラで、デッキの上にカメラを置いて、あてずっぽうで何枚か撮ったところ、なんとかこの一枚だけ、あまりブレずに、見られる出来になっていました。
撮影地点のYahoo地図

FI2105319_1E.jpg夜が明けた直後の、江戸川水門(閘門の左に隣接)を撮ったものです。
普段の朝寝坊はどこへやら、目覚ましもないのに5時ごろに目覚め、ハッチから身体を引きずり出すと、川面のさわやかな空気を深呼吸しました。

実は、夜もなにごともなく過ぎたわけではなく、食事を済ませて、ラジオを聴きつつ夜景を楽しんでいたら、電池を換えたばかりのラジオが突然沈黙、成仏(笑)したことが判明したり、就寝してから、激しい流水音が聞こえ、艇が動いているのを感じて飛び起きたら、走錨して水門近くまで流されており、慌ててエンジンをかけて水門から遠ざかったり、といったことがありました。

水門が、一定の水位になると自動的に下端が開いて放流を初め、アンカーが水底近くの流圧に流されて動いたのか、それとも、単に水位が上がってオーバーフローが始まり、艇の方が流されたのかは不明ですが、とにかく肝を冷やしました…。

FI2105319_2E.jpgこちらは朝の閘門です。
早朝にもかかわらず、夏の強烈な日差しが、建物の壁を染めはじめ、静かだった川面が、次第にセミの鳴き声で、おおわれていったのを覚えています。
私は子供のころから、夏の朝が大好きでしたが、こんなに素晴らしい夜明けを迎えたのは、かつてありませんでした。

急いで朝食を済ませると、時計の針はすでに6時。閘門のサイレンが、朝もやの空に清々しく鳴り響き、私はアンカーを引き上げて、勇躍、艇を回しました。

利根運河すら見ることがでず、プロペラも曲げてしまったのは、正直、残念でしたが、それを補って余りある、素晴らしい「閘門の朝」(?)に、私はすっかり満足しました。
満足したせいか、単に私が淡白なせいか、これを最後に、私の「利根川行き」への執着は、無くなったのではないにせよ(最近は、インフレータブルでの攻略に、食指が動いておりマス!)、急速に薄れてゆきました。

こうして実際走ってみたり、この後文献を漁ってみたりして思ったことは、やはり通船が途絶して、半世紀近く経た江戸川は、例え無理をして走破したにせよ、決して「航路」と呼べるシロモノではない川に変貌して久しい、ということです。

興味が薄れたのは、これが身に染みて、理解できたからかもしれません。いずれ、世の趨勢が変わって、この川が曲がりなりにも、航路を意識した整備を施されるまで、待った方がよさそうだ、と。
私にとって、日本最大の内陸航路の復活は、妄想するだに楽しいことです。

もちろん、航路として整備されることが、沿岸の住民や、水道水利にとって、ベストであるとはとても思えないので、むやみに水運の活性化ばかりを叫ぶのは、厳に慎みたいと、考えているのですが…。

(この項おわり)