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入江川水系を眺める…7

(『入江川水系を眺める…6』のつづき)
FI2618251_1E.jpgぎっしり詰まった船溜が途切れたあたりから、これまたイイ感じの風景が連続して、目が釘付けなわけですが。

水面上に突き出たクレーン、桟橋上に造られた小屋掛けと、水面に向かって開かれた建物群…ここではまさに、水路は道そのものなのでしょう。

FI2618251_2E.jpgその中でも、特にハートをわしづかまれたのが、こちら!
手前の曳船もさることながら、左手、建物と水面の間にある、ほんのわずかなスペースに建っているデリック! こんな絵に描いたようなデリックは、今時おいそれとお目にかかれない気が…(私が知らなかっただけ?)。

さらに、軒下に掲げられた、造船所の看板も泣かせるじゃないですか。「造船」じゃないんですよ、「造舩」ですから! 昔の本を読んでいると、この字が良く出てきたっけ…。意味は同じなんでしょうが、「造船」より「造舩」とある方が、熟練した棟梁が、丁寧にフネを造ってくれそうな感じがします。

FI2618251_3E.jpg入江川第二派川に入って、初めて出会った鴨さん。桟橋の影で、逃げもせずにくつろいでいました。

ハマっ子鴨さん、こんにちはが~。



FI2618251_4E.jpg薄べったい桁橋が見えてきました。荒木橋です。

ん? 桁が垂れ下がっているように見える…。まさかと思いながら近づいてみたら、桁の側面に沿わせた、電路を収めた樋のようなものが、垂れ下がっているだけでした。



FI2618251_5E.jpgくぐりざまに、橋脚に目をやると、何やらごつい筋交が入れられ、補強してありました。

一見した限りでは、そんなに竣工年が古いように見えませんでしたが…。こうして舞台裏をのぞいてみると、かなり痛んでいることがわかりました。
撮影地点のMapion地図


(20年11月1日撮影)

(『入江川水系を眺める…8』につづく)

入江川水系を眺める…6

(『入江川水系を眺める…5』のつづき)
FI2618250_1E.jpg正面の看板には「(明治37年4月7日生、94歳)萩原龍 記念マリーナ」とありました。

帰宅後に検索してみたものの、マリーナのウェブサイトは設けられていない(近くに同名の会社はあるようですが)ようでしたので、詳しいことはわかりませんでしたが…。この萩原さんという方の業績を記念して、造られたマリーナということでしょうか。



FI2618250_2E.jpg振り返って見たところ。手前にも、水面上に張り出した船台が二つ設けられ、限られたスペースで、工夫して保管場所を確保しているさまが見て取れます。

軍艦の装載艇もかくやと思わせる、艇置ラックの高密度ぶり…。
メカメカした外観に、ちょっと萌えます。


FI2618250_3E.jpg首都高・東神奈川入口のランプが、左手から入ってきて、頭上で合流するあたり。前方を見ると、道路のかぶらない露天の水面は、漁船でギッシリなので、首都高の橋脚の下を進むことに。

関係ないですが、写真左隅の水面上に張り出した駐車場…、なんだか、すごく危なっかしい感じじゃありませんか?

FI2618250_4E.jpg北風は強いものの、陽射しは暖かな日だったので、風が防がれる小水路の奥では(用心して厚着してきたこともあって)汗ばむほど。首都高の日陰が、ありがたく思えるような陽気でした。

橋脚には、ゴムのフェンダーが備えられているものも見られ、船溜の多い水路だけあり、船に対しての気遣いが感じられます。

FI2618250_5E.jpg首都高の下から、入江川第四小派川を見たところ。区間の中ほどで、「入江川水系を眺める…2」で触れた、小派常盤川と接続しています。

こちらはあまり、船影は見られないようですね。
撮影地点のMapion地図

自分でも、図に描いておかないとこんがらがりそうなので、ナンバーズ・カナル(笑)「入江川水系」を、Googleマップで整理(?)してみました。こちらからどうぞ。

事前にひととおり、調べてみたのですが、市販の地図には、この付近の河川名を記入してあるものが少なく、ウェブ上の資料も、あまり詳しいものが見当たらず、今ひとつ決め手に欠ける感があります。間違いがありましたら、ぜひご教示いただきたいと思います。

(20年11月1日撮影)

(『入江川水系を眺める…7』につづく)

入江川水系を眺める…5

(『入江川水系を眺める…4』のつづき)
FI2618249_1E.jpg村雨橋をくぐった直後から、船影が急に濃くなりました。ボートがミヨシづけでぎっしりと並んでおり、艇の掃除をする人、漁具の手入れをする人もちらほら見られ、なかなか活気があります。

ちょうど、首都高が水路上に入ってくる場所なのですが、光線のかげんが良いのか、ご覧のとおり陽も当たっており、明るい雰囲気でした。

FI2618249_2E.jpgもっとも右手には、東神奈川出口のランプがあって、村雨橋の側面に直接取り付いているため、少々圧迫感があるのは否めません。

水面は、ランプの下にももちろんあるのですが、ご覧のとおり鋼管がびっしり打ち込まれており、船が入り込めないようになっていました。


FI2618249_3E.jpg首都高の下から、村雨橋を振り返ったところ。

何しろ、雲ひとつないピーカンですから、陽射しの強さは思いのほかで、水面の反射のせいもあるのでしょう、こうして道路の影にいても、まったく暗さを感じさせません。光がすみずみまで、行き渡っているような感覚に襲われました。


FI2618249_4E.jpgプレジャーボートの並ぶ一角を抜けて、首都高が南岸に移ったあたり…おおお、いきなりイイ感じになってきました!

船舶関連の工場なのでしょうか、水面上にクレーンが突き出しているのが見え、周囲に張り出した桟橋上の建屋と、水路との濃厚な関係がうかがえるディテールばかり。



FI2618249_5E.jpg工場のお隣、水管橋越しに見える建物は、おや、屋上にボートが上架されています。ラック船台の一種のようですが、するとここはマリーナ?

鉄骨と鉄管が交錯するような景色の中、不思議な船台に近づいてみることに…。
撮影地点のMapion地図


(20年11月1日撮影)

(『入江川水系を眺める…6』につづく)

入江川水系を眺める…4

(『入江川水系を眺める…3』のつづき)
FI2618248_1E.jpgレンガの護岸が途切れたところで、入江川第二派川はほぼ90度向きを変え、ここから入江川本流にぶつかる十字流まで、旧海岸線をおおむねなぞるかたちで、水を湛えています。

写真奥、左側から入ってくる高速道路は、首都高横羽線。入江川第一・第二派川の上を、約2kmに渡って貫通しています。

FI2618248_2E.jpgおっと、その前に派川をひとつご紹介。振り返って撮ったここは、入江川第五小派川の入口。星野町の周りを半周して、前回触れた小派台川の中ほどに接続する、全長270mの小水路です。
入口に架かるクリーム塗装の桁橋は、町名を冠した、星野橋。

…しかし、「第五」のナンバーを振るほどの、派川の多さもさることながら、水路名を番号制にしてしまったあたりにも、グッと惹かれるものが…。
国道などと違って、可航水路の番号制は珍しいですからね。

FI2618248_3E.jpgそういえば、「八十二銀行」とか、「旧制一高」といったネーミングにも、何か"来るもの”があるんですよね…。いかにも「官製」という言葉がしっくり来る、明治の匂い(?)のするような、そんな雰囲気に惹かれているのかもしれません。

写真に戻ると、真新しい規格型住宅と、既得権を主張していそうな、トタン張りの桟橋小屋のミスマッチに吸い寄せられて、一枚。妻板にやっつけられた、「鬼」の一文字は何をイミするのか?

FI2618248_4E.jpg鈑桁橋、村雨橋に近づきました。

水切りや橋台には石張りが施され、なかなか重厚です。この後に見た橋は、割と簡素なものが多かったので、村雨橋が、この川の橋の親分格と言ってよいでしょう。


FI2618248_5E.jpg桁側面に書かれた橋名は、書体が独特で味があり、「雨」の点の打ち方も古風な感じで、橋が引き締まって見えます。

以前も触れましたが、この奥の某所が、我が艇の進水したところ。ここで造られたわけではないので、「ハマっ子」と呼ぶには難がありますが、産湯(?)が運河の水だったあたり、その後の彼の人生を暗示させるようで、何とも愉快ではあります。
ともあれ、数年ぶりの里帰り、我が艇が口をきけたら、どんな感想を漏らすのでしょうか。
撮影地点のMapion地図

(20年11月1日撮影)

(『入江川水系を眺める…5』につづく)

入江川水系を眺める…3

(『入江川水系を眺める…2』のつづき)
FI2618247_1E.jpg左手に見えてきた緑の桁橋は、小派台川に架かる竜宮橋。何か由来があるのかしらと、帰宅してから検索してみたら、ここ神奈川区はなんと、浦島太郎ゆかりの地の一つなのだとか。(詳しくは、横浜市神奈川区HP神奈川区の歴史をご覧ください)

子供のころのイメージでは、漠然と関西から西の地方のお話だと思っていたので、関東にも浦島太郎の伝承があったとは、驚きでした。

FI2618247_2E.jpg竜宮橋越しに、小派台川をのぞいたところ。長さ230mほどの入堀で、一部が船溜として利用されています。

上と同じく神奈川区HPの、神奈川区の町の名前によると、台川両岸の星野町は、埋め立ての進展により、明治39年に新設されたとのこと。資料がないので、水路の開鑿年はわからないのですが、写真左側には、高島線の東高島駅(貨物駅)があるため、かつては水運と鉄道の接続点として、台川が利用された時代もあったことでしょう。

FI2618247_3E.jpgふたたび護岸祭り(笑)に戻ると、前回の桟橋のある同じ岸の奥には、やはり表面が風化した、こんなものが。

うーん、桟橋にしては怪しい。よく見ると、開口部の支柱側面には、溝が切られています。どうやら水門か、樋門の遺構みたいですね。昔は工場か何かがあって、ここで排水を取っていたのかもしれません。
さらにその、左手に目を移すと…。

FI2618247_4E.jpg赤レンガの護岸が!
天端が草むして、いかにも星霜を経たいい感じです。

この護岸がある千若町は、明治45年に埋め立てに伴い、新設された町とのことですから、レンガが当時のものとすれば、100年近い年月を経ていることになります。

FI2618247_5E.jpg近づいて観察してみると、石材の護岸の上にレンガが積まれ、その上はコンクリート製、さらにブロックが積み上げられ…。まるで、バームクーヘンのように層をなしています。

この地が埋め立てられて以来、約100年の土木資材の変遷を、ひとところに凝縮しているような護岸のありさまに、ただただ感心して見入るばかり。まさに、街の年輪を目の当たりにした気分でした。
撮影地点のMapion地図


(20年11月1日撮影)

(『入江川水系を眺める…4』につづく)