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水郷を見下ろす

(『八幡堀遊覧…5』のつづき)
FI2618168_1E.jpg八幡堀めぐりのあとは、ご当地の守護神、八幡山麓におわす、日牟禮(ひむれ)八幡宮に参拝。
ご存知のように、城下町としての近江八幡を開いた豊臣秀次は、入城わずか5年で自裁、八幡城は廃城となったため、代わって当社が八幡の町のシンボルとして、長きに渡り崇敬されてきました。

都城を模して、碁盤の目に作られた街の山の手に、ちょうど内裏のように神社があるさまは、鎌倉の街と鶴岡八幡宮の関係に似ており、面白く思ったものです。
撮影地点のMapion地図

FI2618168_2E.jpg近江八幡訪問のしめくくりとして、八幡宮裏手にある乗り場から、八幡山ロープウェーで、山頂の城跡へひとっ飛び。琵琶湖や水郷の風景を、眼下に望んでみたかったのです。

ゴンドラ中はガラス張りだけあって、走行中は結構な暑さ…。車内に備えられたうちわで、バタバタ扇ぎながら後ろを振り返ると、ちょうど画面右下に、先ほど通った八幡堀の、新町浜が見えたところでした。
撮影地点のMapion地図

FI2618168_3E.jpg眺望の開けた場所を求めて、城跡の山道をずんずん登り…、ええと、西の丸だったと思いますが、とにかく眺めのよいところへ出ました。

もやがかなり濃くて、遠景が今ひとつではあったものの、かつて「淡海」とも呼ばれた、琵琶湖の水面の雄大さが実感できて、しばし立ち尽くしました。

信長の巨船に始まり、丸子舟が大活躍した水運全盛期から、内水最大の汽船を運航した近代に至るまで、日本一の湖水だけあって、その水運の歴史も多彩で、独特のものがあります。次回はぜひ、琵琶湖を走る船に乗ってみたいです。

FI2618168_4E.jpgぼんやり、琵琶湖を眺めていると、…おっ、水門発見。
田んぼの中を蛇行する川の河口に、1径間のゲートが顔を出しているのを、見逃さいでか(笑)。

琵琶湖の沿岸には、こんな水門がたくさんあるのでしょうね…。ちなみに、地図と照らし合わせてみると、どうもここらしいです。

FI2618168_5E.jpg肝心の水郷も、稜線の向こうにかろうじて、舟乗り場近くの一部分を望むことができました。

中央手前付近に、舟の並ぶ、八幡堀末端部の直線区間が見えます。奥に左手から広がる水面は、西の湖です。あんなに広大に見えた、ヨシ原の中を縫う水路も、水田に挟まれた、ほんの箱庭のように見えますね。ちなみに、写っているコースは、「西の水郷を訪ねて…2」から「西の水郷を訪ねて…4」の範囲です。

暑熱が堪えはしたものの、ほんのさわりとは言え、西の水郷、近江八幡を体験できて、実に楽しい一日を過ごすことができました。

東の水郷とはまた違った、山並みを愛で、ヨシ原に分け入る変化に富んだ水辺風景と、八幡堀の重厚な街並みが、同時に楽しめるご当地の舟遊びは、水運趣味的に見ても、潮来・佐原に勝るとも劣らない面白さでした。船頭さんをはじめ、お世話になった近江八幡の皆さんに、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました!

(20年8月1日撮影)

8月1日の項の参考文献
近江八幡 水都八都 23・24号(07年3月・08年1月発行号)近江八幡観光物産協会
丸子船物語 (橋本鉄男 著)サンライズ印刷出版部
近江八幡の歴史 近江八幡市
舟運都市 (三浦裕二/陣内秀信/吉川勝秀・編著)鹿島出版会

(この項おわり)

八幡堀遊覧…5

(『八幡堀遊覧…4』のつづき)
FI2618167_1E.jpg仏光寺八幡別院の横を過ぎて、住宅の立ち並ぶ、ゆるい屈曲区間を曲がりきると、水辺は急速に草深くなってきました。

史跡散歩から、密林の中に分け入る探検気分へ…次々にその表情を変える八幡堀、水路バカとしては、見ていて飽きることがありません。


FI2618167_2E.jpg実用一点張りの鋼桁橋をくぐると、右手には工場らしい建屋が迫り、江東区の堀割のように、どこか所帯染みた(笑)雰囲気になってきました。都市河川っぽい表情も、また楽し。

工場の土台が石造りであるあたりが、またいわくありげで、興味をそそられます。


FI2618167_3E.jpg木々の間に見え隠れする、赤レンガの古風な煙突は、旧中川煉瓦のホフマン窯跡の煙突。火を落とすことなく、連続してレンガを焼き続けられる構造の窯で、昭和40年代まで現役で稼働していたとのことです。詳しくは「旧中川煉瓦ホフマン窯」(京都の技術・職業教育)をご覧ください。

ずいぶんマニアック(笑)な水路を走ってくれるんだなあ、と勘違いしていたら、レンガ煙突を見せてくれるために、この横までをコースにしたのだと判明。

FI2618167_4E.jpgレンガ煙突を過ぎたあたり、この橋の手前が、八幡堀遊覧の終点です。橋の向こうには、背の低い堰のようなものと、その上には管理橋風の足場が。むう、これは気になる…。

堰のようなものは、一見、鋼矢板を打ち込んだだけのように思えたのですが、「八幡堀水門…2」でもご紹介したブログ、「 215.とりあえず言ってみる ― 思いがけない再会 」(カヤックと過ごす非日常)の写真を見ると、角落し堰で間違いないようです。

写真では、よくわからないかもしれませんが、向こう側の水位は、やはり低いようですね。これで、先ほど八幡堀水門で疑問に思った、水位差の謎が解けました。八幡堀の中心部は、琵琶湖より、水位を高くしてあるわけですね。

琵琶湖は総合開発によって、かつてに比べて水位が下げられてしまい、そのままでは、八幡堀の可航水深(船頭さんによると、1.5mほどだとか)が維持できなくなり、美観的にも問題があります。そこで、閘門と堰を設け、人為的に水位を上げた、ということなのでしょう。
撮影地点のMapion地図

FI2618167_5E.jpg船頭さんは、狭い水路で器用に舟を転回させると、元来た水路を戻り始めました。いや~、八幡堀の豊かな表情には、暑さを忘れて、もうおなかいっぱいです。乗ってよかった!

景観の素晴らしさもそうですが、水位維持の方法も、この手の水路としては新鮮な工夫に思え、街並みの保存と合わせて、並々ならぬ努力が払われていることが理解でき、土木好きの目から見ても、なかなかそそられる水路でした。

(20年8月1日撮影)

(『水郷を見下ろす』につづく)

八幡堀遊覧…4

(『八幡堀遊覧…3』のつづき)
FI2618166_1E.jpg今回、八幡堀でもっともハートをわしづかまれたのが、この玉木町付近のウネウネ区間。

柳が枝を垂れる向こうに、緑豊かな山の稜線を望む、水辺の散策道が寄り添った二度の屈曲…。この角度から目に入ったもの全てが、実によく調和した水路風景に思え、ほおお、と声をあげてしまうほどでした。
基本的に、イイ感じに曲がった水路に弱い、というだけなのかもしれませんが。

FI2618166_2E.jpg屈曲部を抜けると、再び見通しがよくなりました。古風な感じこそなくなりましたが、市街地の水路としては、落ち着いたよい雰囲気です。

前方に見える橋は、本町橋。橋詰から、直接水辺に降りられる階段が設けられているのが、橋周りの空気を和らげているように感じられます。

FI2618166_3E.jpg本町橋を過ぎると、水辺の道はなくなったものの、護岸の表面には石が張られ、暗渠の出口もちょっとした化粧が施されているなど、気遣いが見られます。

正面には、お寺の大きな瓦屋根が見えてきました。



FI2618166_4E.jpg水辺の道は途絶えても、ご覧のように石段があって、水面へのアプローチは確保されています。大きな木が木蔭を作って、涼しげですね。ここも、かつての「浜」(河岸)の跡でしょうか。

観光船が往復する今では、ちょっと難しいでしょうが、琵琶湖から直接ボートで入ることができて、こういった「浜」に自由につけることができたら、かつての栄華を現代風に再現できそうで、面白いのでは…と、勝手に妄想を広げてしまいました。

FI2618166_5E.jpg「浜」のすぐ脇にあるのが、先ほど見えたお寺さん、仏光寺八幡別院。敷地の角には、由緒ありげな立派な櫓が建っています。

手前に架かる橋は、平凡なコンクリート桁橋にガードレールを設けたものでしたが、茶色く塗って周囲に溶け込むようにしてあるのは、さすがと言うべきでしょうか。
撮影地点のMapion地図


(20年8月1日撮影)

(『八幡堀遊覧…5』につづく)

八幡堀遊覧…3

(『八幡堀遊覧…2』のつづき)
FI2618165_1E.jpg次にくぐる、やはり木造桁橋風にあつらえた、立派な橋台地を持つ橋は、明治橋。

魚屋町(うわいちょう)通りを渡す橋で、橋詰近くには、ご当地に数多くの洋館を建てたことで知られる建築家、ヴォーリスの像があります。

FI2618165_2E.jpg逆光で写りが今ひとつだったので、反対側からも。桁が厚すぎるのが、ちょっと惜しい気もしますが、雰囲気は上々で、周囲の風景にもよく溶け込んでいます。

和船友の会(過去の記事『和船友の会で体験乗船…1』ほか参照)の所有する、猪牙舟でここをゆくことができたら、まさに山谷堀を吉原に向かう、粋人さながらの気持ちになれたことでしょう。

FI2618165_3E.jpg明治橋を過ぎて、目の前に現れた屈曲の外側には、幅の広い石段が設けられた、往年の河岸地そのままの光景が! 
脳内に思い描くしかなかった、いにしえの外濠(現日本橋川)の河岸風景が、いきなり具現化したような…、とにかく、そんな感じです。

ここは新町浜と呼ばれ、八幡堀の河岸地としては、もっとも規模の大きい場所でした。「浜」は「河岸」と同義語です。周辺には松前(北海道)産の金肥(肥料)を扱う問屋や、酒造業をはじめ、舟運と密接な関連を持つ、多くの商家が立ち並んでいたそうで、一部の建物は今でも保存され、「近江商人の町並み」として、歴史的景観になっています。

FI2618165_4E.jpg新町浜の屈曲を曲がりきると、正面に八幡山に連なる、山並みが見えてきました。

八幡堀は、山裾の低いラインを忠実になぞって開鑿されたためでしょう、流路は複雑に屈曲しており、ために水路を移動する側から見ると、次々に異なった風景が展開する面白さがあります。

FI2618165_5E.jpg古い家並みや石垣は途絶えたものの、水辺の散策道はなおも続き、手を伸ばせば岸を歩く人と握手できそうな、陸と水面の近しい、実に好ましい雰囲気の水路風景です。

「舟運都市」(鹿島出版会)によると、かつて東京の都市計画には、河川の水際に、水面と近いレベルの散策道を設ける「保健道路」構想があったものの、溢水防止を重視する治水政策の前に、実現されずに終わったとのことです。

ひとたび大雨が降れば、膨大な水が流れ下る都心の河川と、八幡堀を同列に論じることはできませんが、ご当地の散策道の佳さを目にすると、水路を走る側から見ても、この手の施設の重要さが、改めて認識できたような気がしたものです。
撮影地点のMapion地図

(20年8月1日撮影)

(『八幡堀遊覧…4』につづく)

八幡堀遊覧…2

(『八幡堀遊覧…1』のつづき)
FI2618164_1E.jpgハッピを着た若い船頭さんに声をかけると、さっそく舟を出してくれるとのこと。
舟の中は、思ったよりしっかりとした造りで、畳敷き、ガラス障子の雰囲気もよく、居心地は上々です。カサ立てや灰皿、うちわまで備えられているのもご愛嬌。

船頭さんが、小さな船外機を始動させ、舟の間をたくみな舵さばきで抜けると、八幡堀を西に向かって出発です。


FI2618164_2E.jpg先ほど歩いてきた堀端の道より、さらに低い目線から眺める石垣の水辺は、また格別。

深い堀の底にいるせいか、風はほとんどなく、あいかわらず暑さは厳しいものがあるのですが、古風な石垣の狭水路を、動力船で航行しているというだけで、かなりの興奮状態。座敷の前端に正座で陣取って、前方を凝視し続けるという、単なるヘンな人と化していました。

FI2618164_3E.jpg石垣が途切れて、橋のようになっているところは、江戸以来の背割下水の跡です。
碁盤目状の街割りもそうですが、こういった昔のインフラが、今に至るもそのまま残されているあたり、近江八幡の人々の、郷土に寄せる思いが感じられます。

高度成長期、ご他聞に漏れず荒廃が進み、一時は埋め立てて、駐車場や公園とすることが決定されるまでに至ったこの堀も、地元青年会議所の方々の地道な運動によって価値が見直され、開発計画の中止と復元工事に方針が転換されて、今があるのだそうです。

FI2618164_4E.jpg先ほど降りてきた白雲橋に近づくと、写生中のお嬢さんたちがいっせいに顔を上げ、一様に不機嫌そうな表情に…。またまたお邪魔します、ゴメンナサイ。

しかし、舟から見上げる、石垣作りの橋台地の素晴らしさ! 埋め立てられた竜閑川や八丁堀にも、かつてはこのような、重厚な水辺風景が連続していたことでしょう。日常この風景に接することのできる、近江八幡の人たちは幸せです。

FI2618164_5E.jpg白雲橋の向こうは、石垣の上から枝を伸ばす、涼しげな緑のトンネル。木々の間から透けて見える、茶色い板壁もしっとりとして、いい感じです。

ちなみに、出発するとすぐに、テープでの沿線(?)案内が始まっていたのですが、意識が水路に吸い寄せられ、ほとんど内容を覚えていませなんだ。申しわけありません…。
撮影地点のMapion地図


(20年8月1日撮影)

(『八幡堀遊覧…3』につづく)