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通運丸と名付けたい!

(『砂町南運河…2』のつづき)
FI2618083_1E.jpg運河の終点付近、若洲の西端角に、本船が横付けしており、荷役中でした。船尾にはランプが開いています。RORO船ですね。

ファンネルマークを見ると、日本通運の船…ちょっと嬉しくなって、スロットルを開けました。

FI2618083_2E.jpg運河を出て、左に舵を切り、側面が見えてくると、舷側に「NIPPON EXPRESS」のロゴが大書きされていました。

しかし、「通」の赤地に白抜きのマーク、こうしてファンネルに大きく描かれているところを見ると、じつに迫力があって、感動もひとしお。

FI2618083_3E.jpgすでに、5月29日からのタイトルでご紹介済みですが、内国通運の川蒸気船が好きで、「マルツー」と縁浅からぬ男としては、アップを載せずにおられませなんだ。

この、昔から変わらない、山吹色の日通カラー…。
地方の駅前に残る、古い日通支店やトラック、果ては引込み線に働く機関車まで、この色に塗り上げられたモノたちを、各地で見かけた記憶があるのですが、最近はだいぶ減ってしまったような気がします。

FI2618083_4E.jpgちなみにこの船、名前を「ひまわり2」といい、東京~苫小牧~釧路の定期航路に就航している、ROROコンテナ船なのだそうです。(参考:日本通運国内海上輸送あかしあライン

5~6月のスケジュールを見ると、日曜日、東京に寄港するのは2回のみですから、ずいぶん幸運な出会いだったことになりますね。

FI2618083_5E.jpg関係者の皆さんには、大変失礼ですが、日通のファンネルをいただいて、「ひまわり」はちょっと、個人的にはしっくり来ない船名ですね。
いきなり妄想を爆発させて恐縮ですが…もし私が船主だったら、迷わず「第××通運丸」と名付けるところです。 

イヤ…こんなに立派な「マルツー」マークを眺めていたら、通運丸以外の名前は、考えられなくなってしまいました(笑)。

こんな妄想がふくらんだよすがとしては、かつて東京湾や、伊豆半島の航路に活躍していた、川蒸気ではない、航洋型の通運丸があった前例によるものです。
客船史に造詣の深い、ななまる氏の研究の集大成である、「明治・大正期 東京湾汽船フリート研究」に、航洋型通運丸の貴重な写真があります。ぜひご覧になってみてください。
撮影地点のMapion地図

(20年5月4日撮影)

(『臨海大橋の橋脚』につづく)
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砂町南運河…2

(『砂町南運河…1』のつづき)
FI2618082_1E.jpg若洲橋の東側には、並行して新しい橋を建設中。

北岸からは、桁を架設するのでしょう、持ち送りのトラス構造物が一対、にょっきりと伸びていて、工事も佳境に入っているようです。



FI2618082_2E.jpg南側の橋脚にも、つり橋のような足場が架かっています。

「新しい橋」でも紹介しましたが、現在建設中の、臨海大橋の完成に備えて、ここも幹線道路になるため、拡幅を急いでいるのでしょう。



FI2618082_3E.jpgこれも南岸、砂町南運河の沿岸で、唯一(?)目立つ建造物。ミキサー車が並んでいるところを見ると、コンクリートのプラントですね。

話は変わりますが、この運河、「砂町」を冠した名前をつけられていながら、その実砂町とは、何の接点もありません。
砂町運河の、少し南を並行しているから、というのなら、「砂町運河南運河」(笑)とするのが、正しいのかも…、などと、あらぬことに考えが及びました。

FI2618082_4E.jpg若洲橋を過ぎると、終点までおよそ1.3km、若い埋め立て地らしい、開けた風景が続きます。

前方には、12号地貯木場があるので、突き当ったら左へ出ることになります。


FI2618082_5E.jpg北岸は、貯木場を囲んだ新木場の一角。水際は石積み、法面は草むしていて、のんびり釣り糸を垂れるにはよさそうな雰囲気です。

銘木業者の看板が見える水辺を眺めながら、木材埠頭の方へ舵を切りましょう。
撮影地点のMapion地図


(20年5月4日撮影)

(『通運丸と名付けたい!』につづく)

砂町南運河…1

FI2618081_1E.jpg5月4日は、「東京外郭水路をゆく」と、少々大げさに銘打って、まだ紹介していない、3つの水路をめぐってきました。
いずれも、埋立地が沖に向かって伸びた結果できたもので、まだ歴史も浅いのですが、臨海部の開発著しい昨今、数年後にはその景観も、大きく変化していることが予想される水路たちです。

毎度おなじみ、荒川湾岸橋・京葉線荒川放水路橋梁をくぐり、機走するヨットと一緒に、まずは沖へ。

FI2618081_2E.jpg残念ながら、ご覧のとおりの分厚い曇り空。まあ、こういう曇り方をしているときは、あまり波も高くならないので、よしとしましょう。

最初の水路は、新木場と若洲の間を分かつ、砂町南運河。
新木場の岸の沿って、荒川河口を南下すると、入口が見えてきました。若洲海浜公園展望台の、白い輪っかのオブジェが、よい目印になってくれています。

FI2618081_3E.jpg運河に入ると、すぐ正面に見えてくるのが、青い鋼桁橋、若洲橋。
砂町南運河、唯一の橋です。

さすがにこの天気とあって、水辺には人影も少なく、ひっそりと静まり返っています。


FI2618081_4E.jpg若洲といえばすぐ思い出されるのが、都立・若洲海浜公園ヨット訓練所

少年少女を対象にした、ヨット教室が頻繁に開かれており、またヨットレースの拠点としても知られています。


FI2618081_5E.jpgマリーナのすぐ隣、若洲橋の南詰には、若洲海浜公園船着場が。

頑丈そうなコンクリート桟橋ですが、現在は寄港便はないようですね。
撮影地点のMapion地図


(20年5月4日撮影)

【20年5月31日追記】コメント欄にて、はじめさんにご指摘いただいたところによると、この船着場は水辺ラインではなく、都観光の航路で使用していたもので、現在は一部が破損しており、使用できない状態とのことです。
【20年7月1日追記】1段目、「湾岸荒川橋」は「荒川湾岸橋」の、「荒川橋梁」は「荒川放水路橋梁」のそれぞれ誤りです。お詫びして訂正させていただきます。

(『砂町南運河…2』につづく)

羽村堰に遊ぶ…5

(『羽村堰に遊ぶ…4』のつづき)
FI2618080_1E.jpg投渡堰の裏側(上流側)を見たところ。
縦に並ぶ丸太は、言わばかってあるだけで、天端を投渡木(なぎ)で支えられています。昔はその名のとおり、木材だったのでしょうが、現在はご覧のとおり鋼材で、動力で引き上げられる構造になっています。
つまり、増水時は堰をわざと壊して、水を流下させる造りになっているわけです。

右側に見える投渡堰の裏側には、厚く土砂が積まれており、水圧に抗しているのが、堰板だけではないことがわかりますね。

FI2618080_2E.jpg下流側のアップ。
丸太の柵木に粗朶を組んで、垣のようにし、さらに裏側に土砂を盛って、堰がかたちづくられます。

足元の床固には、堰からしみ出た水が流れていて、所々に顔を出した石組みの上を、文字通り飛び石に伝って、堰の正面に出ました。

FI2618080_3E.jpg堰柱を真正面から。石張りの側面が、流れるような美しいラインを見せており、惚れ惚れと眺めてしまいました。

玉川上水今昔羽村堰3」(玉川上水事典)に掲載されている、明治時代の写真を見ると、堰柱は現在より低く、中段の継ぎ目があるあたりまでの高さでした。上半分はのちに継ぎ足された部分で、さらに後年、管理橋と投渡木の巻き上げ機構が、追加されたのでしょう。



FI2618080_4E.jpgいや~、こんなスマートで、しかも渋い魅力のある堰柱は、そうそうありません…。しつこいようですが、左径間をアップで。

こういった、昔の構造を残す堰というと、関東では、千葉県の西広板羽目堰千葉県立現代産業科学館HP)が思い出されますが、あちらは復元保存されているもの。やはり、近代化されているとは言え、現役で稼働している堰だけに、感じられる重みが一味違います。

FI2618080_5E.jpg投渡堰を堪能したあとは、堰堤の上を歩いて岸に戻り、羽村市郷土博物館を見学しました。
玉川上水の歴史はもとより、木造時代の取水門の、実物大復元模型も展示され、土木ファンにとっては、一見の価値がある博物館です。

例によって、図録や関連書籍をいくつか購入したのですが、もっとも気になっていた上水通船の本、「玉川上水通船史料集」(楽天ブックス)が置いてあることを期待したものの、空振りでした。残念。
撮影地点のMapion地図

(20年4月29日撮影)

4月29日の項の参考文献
玉川上水 その歴史と役割(羽村市教育委員会)
特別展 玉川上水 三五○年の軌跡(羽村市郷土博物館)

(この項おわり)

羽村堰に遊ぶ…4

(『羽村堰に遊ぶ…3』のつづき)
FI2618079_1E.jpg木立の間を抜けると、視界が開けて、投渡堰が見えてきました。

川面を渡る風が気持ちよく、写真に写っている人のように、堰堤の斜面に寝転んで、お昼寝してしまいたい気分です。
投渡堰に近づいてみましょう。

FI2618079_2E.jpg投渡堰に近づくと、堰堤のコンクリートが新しくなり、途中には魚道が設けられていました。

円錐形の堰を交互に配置し、水がジグザグに流れるような造りになっています。天端側には、格子の蓋がされており、向こう側に渡れるようになっていました。

FI2618079_3E.jpg魚道のかたわらで発見した、小さな石造りの銘板。

6年前の竣工ですから、まだ新しい設備ですね。増水すればこの銘板も、濁流の下に隠れてしまうのでしょう。




FI2618079_4E.jpg投渡堰上流の取水口。

新旧17門の小型スライドゲートが、ずらりと並ぶさまは壮観です。



FI2618079_5E.jpg投渡堰に到着。取水口のある側からは、水流があって間近まで近寄れないので、ずいぶん遠回りになりましたが、幸い陽気が良かったこともあり、楽しいお散歩になりました。

羽村堰」(玉川上水事典)によると、現在の堰柱は、明治42年(西暦1909年)の竣工とのこと。増築・近代化改装されてはいるものの、現役の治水施設としては、異例の長寿なのではないでしょうか。

(20年4月29日撮影)

(『羽村堰に遊ぶ…5』につづく)