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鶴見川…2

(『鶴見川…1』のつづき)
FI2618048_1E.jpg鶴見大橋を含めると、4本の橋が密集する、橋脚の林の間を微速で抜けていると、引き潮で早められた流速が橋脚に当たり、パチャパチャと水音をさせているのが見られました。

橋脚で分けられた水流が、お互いに干渉しあうのでしょう、思わぬところで小さな渦を生じていたりと、しばらく眺めていたくなるような、惹きこまれる面白さがありました。

FI2618048_2E.jpg鶴見大橋をくぐって、上流側を見たところ。

東岸は今までと同じく、護岸のみで変化に乏しい感じですが、西岸には船溜と親水施設が連なり、河畔の利用度が高そうです。

FI2618048_3E.jpgちょっと気になったのが、この斜めに切れ込んだような、コンクリート護岸に囲まれた一角。写真ではよく見えませんが、左端に小さな水門も付いています。航空写真を見てみると、かつての澪筋か、古い海岸線の跡の小水路を、暗渠化したもののようですね。

さらに、西岸に沿って進んでゆくと…。
撮影地点のMapion地図

FI2618048_4E.jpgいきなり小さな砂嘴が突き出していて、ドキッとさせられました。

水深を見て、澪筋が西岸沿いにあると判断したため、岸に寄って進めば安心、と思っていたら…。


FI2618048_5E.jpg砂嘴を大げさに避けて、川の中央に出ました。写真のように、樋門があったため、ちょっと気をとられてしまったようです。

樋門から吐き出された、砂が溜まったのか、それとも導流堤か何かがもともとあって、砂がかぶさっただけなのか…。
なぜあそこに、砂嘴が生じたのか、判じかねる唐突さがありました。


(20年4月27日撮影)

(『鶴見川…3』につづく)
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鶴見川…1

(『鶴見川河口へ』のつづき)
FI2618047_1E.jpg西岸、大黒町側は工業地帯らしい風景が続き、もやうフネブネも、ご覧のプッシャーバージ、小型の本船などがちらほら。

東岸は緑が多く、船影は乏しいのが対照的です。この理由は、後でわかるのですが…。


FI2618047_2E.jpg首都高横羽線の、橋が見えるところまできました。
河口波は、次第に収まってきましたが、艇はまだ軽いピッチングを繰り返し、ザン、ザン、という快い波切り音が聞こえてきます。

おや、橋の手前に見えるのは…。

FI2618047_3E.jpg可愛らしいディンギーの船団が、テンダーに付き添われて練習中でした。教官艇とおぼしきインフレータブルが、各艇の間を走り回って、熱心に指導しています。

練習のお邪魔にならないように、東側に大きく迂回したら…、魚探の感がとたんに跳ね上がり、1m台の水深になってしまいました。船団が、西側に固まるようにして練習していたのは、澪筋が西岸沿いにあったからなのですね。東岸に繋留船がいなかったわけが、これでわかりました。

FI2618047_4E.jpg西岸から、旧海岸線に沿った形で分岐しているのは、大黒運河。入ってすぐのところにマリーナがあるので、ディンギーたちも、ここから出てきたのでしょう。

こちらは後のお楽しみということで、帰りに通ってみることにしました。
撮影地点のMapion地図

FI2618047_5E.jpg鶴見川の第一橋、首都高横羽線と、産業道路の鶴見大橋をくぐります。

川自身の流速に引き潮が加わり、ちょっと舵を当てても、大げさに頭が振られるのが感じられます。川走りの雰囲気が、いやが上にも盛り上がってきました!


(20年4月27日撮影)

鶴見川河口へ

(『鶴見川に向かう』のつづき)
FI2618046_1E.jpg出港信号か、東航信号が出ているのでしょうか、川崎航路に続いて、京浜運河に入っても、続々と本船が出てきます。

この船は、山吹色の地に旭日をデザインした、ファンネルマークが印象的…。魅力的な本船たちの姿に心奪われつつも、さらに西へ。


FI2618046_2E.jpg高速湾岸線の斜張橋、鶴見つばさ橋を正横に見たところが、京浜運河の終点。

東京湾からの波が入ってきて、艇が少しガブる鶴見航路を横断すると、鶴見川河口はもうすぐです。


FI2618046_3E.jpg鶴見川河口には、横浜火力発電所の煙突があり、良い目標になっています。

大黒町の突端にそびえるこの煙突、トラスで支持された中の煙管が、上に行くほど青が濃くなる、グラデーションに塗装されているのですね。ちょうど雲の切れ間から、のぞいた青空に溶け込むようで、実にきれいでした。
撮影地点のMapion地図

FI2618046_4E.jpgグラデーション煙突の右隣には、こちらは四角柱タイプの、しかも双子の煙突。これもやはり、発電所の煙突です。

帰宅後に検索してみたら、なんとこの煙突、「トゥイニー横浜」なる愛称までつけられており、しかもトップの展望室に上がらせてもらえる、見学ツアーまであるとか。
(詳細は『遊び場ワールド東京電力横浜火力発電所トゥイニー横浜 200mの煙突に登る』参照)

FI2618046_5E.jpg河口から、上流側を見たところです。
干潮に向かう時間帯とあって、河口からかなりの流速があり、河口波らしい衝撃が船首をゆさぶって、いよいよ来た、という実感がわいてきました。

空も少し明るくなってきたことだし…、さて、どんな河川風景が待っているのか、楽しみになってきました。


(20年4月27日撮影)

(『鶴見川…1』につづく)

鶴見川に向かう

FI2618045_1E.jpg本日4月27日は、神奈川県の可航河川の雄、鶴見川を訪ねてきました。
今まで、幾度となく河口を横切りながら、入ってみる機会に恵まれず、今回は文字通りようやく、といった感じで、溜飲が下がった気がしたものです。

出港が少し遅くなったので、時間短縮を図るため、海からの直航コースを取りました。海上は蒙気に覆われて、視界は1浬ほどでしょうか。波も少しあるので、速度を10kt強に押さえ、埋め立て工事たけなわの羽田沖をかわし、まずは川崎航路へ。

FI2618045_2E.jpg羽田沖の現場海域は、数え切れないほどの本船がひしめき合っており、まるで、海上に街が出現したような眺めでした。

現場の外郭線に、点々と警戒船が出張って、警備に当たっているのを横目に、恐る恐る通過…。
写真右の警戒船などは、我が艇の針路が、現場から反れていることを確認していたのでしょう、しばらく船首をこちらに向け続けていました。木っ端ブネから見れば、ジロリ! と睨まれているようなもの。首をすくめて、早々に退散します。

FI2618045_3E.jpg多摩川沖を過ぎて、京浜運河の入口、川崎航路に入りました。

わが国を代表する、本船運河のアプローチだけあって、出船入船の多さは結構なもの。
さっそく、タンカーらしい巨船の、出港シーンに出会えました。パイロット・ボートに先導されて、静々と運河を出て行くさまは、まさに威風堂々、辺りを払う風格があります。

FI2618045_4E.jpg川崎航路を通過中。2時の方向に進めば大師運河。京浜運河は10時の方向です。この後も、出港する本船に、大小4隻行き合いました。さすが川崎港の玄関口、気が抜けません。

しかし、雲はひたすら厚く、なかなか青空を拝むことができません。天気は持つのでしょうか、不安になってきました…。
撮影地点のMapion地図

FI2618045_5E.jpg京浜運河に入ると、波もだいぶ収まりました。なじみの水路ということもあり、スロットルを開けて、快調に飛ばします。

曇り空に、真紅の船体がひときわ鮮やかな、巨大散積船の荷役風景に心躍らせつつ、艇は一路、鶴見川へ。


(20年4月27日撮影)

(『鶴見川河口へ』につづく)

銚子の小さな橋

FI2618044_1E.jpgこれも銚子の帰り、銚子大橋をくぐり、海岸沿いの道を進んでいると、古そうな親柱を持つ、小さなコンクリート橋が目に入りました。

利根川畔からわずか100mほど入った場所で、石垣護岸の枝川の雰囲気の良さにも惹かれて、ちょっと寄り道してみることに。

FI2618044_2E.jpg橋の上から、利根川方を見たところ。

ご覧のとおり高欄は、ムクの板構造で装飾もありませんが、きちんと角に面を取った歩道が設けられており、敷石は浮いたところもなく、丁寧に造られた印象を受けました。
規模も形も違いますが、神田川の聖橋に似た感じがします。
本城橋のGoogle航空写真

FI2618044_3E.jpg石張りの親柱には、思わず撫で回してみたくなるような、ほどよい丸みが付いています。

この橋の名前は、本城橋。帰宅してから地図を見てみたら、このあたりの地名から採った名前だということがわかりました。
対岸の親柱には、竣工年が刻まれており、昭和10年5月完成とのこと。東京に残る震災復興橋たちより、少し後輩ということになります。

FI2618044_4E.jpg本城橋の架かる、この小さな川の雰囲気も、なかなかのもの。

両岸に道があって、視界が比較的開けており、ゆるく曲がった河道は、石垣で護岸されています。
かつては、船溜としても使われていたのでは、と思わせる、街場の川景色…。水深も充分ありそうです。ベカやカヤックがあったら、思わず走ってみたくなる、そんな川でした。

FI2618044_5E.jpgしばらく本城橋の周りをうろついていたら、何回か、波高50cmはあるような、大きな波がザブリ、ザブリと打ち込んでくるのが見えました。
利根川を走る船の、引き波でしょうか。

この橋の少し上流までは、河道は直線ですから、風向きによっては、波の打ち込みが激しそうですね。
恐らく、本城橋と同時期の施工であろう、堅牢そうな石垣で護岸されている理由の一つが、わかったような気がしました。


(20年2月10日撮影)