FC2ブログ

息栖船溜…2

(『息栖船溜…1』のつづき)
FI2617969_1E.jpg浜鳥居の脇に立っていた、息栖河岸についての説明板。
最後の数行が印象的だったので、掲載させていただきました。

「お江戸見たけりゃ佐原にござれ…」なんて唄がありましたが、利根川流域の河港街が、物流の動脈である川を通じて、江戸の文物に色濃く影響されてきた歴史は、佐原と同じく、ここ息栖でも例外ではなかったのでしょう。

FI2617969_2E.jpg樋門の管理橋から、船溜を見下ろしてみました。
その最奥部に浜鳥居がそびえ、さらに背後には神社の杜が広がる、小さな、しかし決して窮屈な感じがしない水面…。

恐らく十指に余るであろう、下利根流域の船溜の中でも、ここ息栖の清々しさに、まず敵うものはありますまい。
船溜というのは、船の終着地であり、ある種の袋小路と言ってもよい場所ですが、息栖船溜に、他と異なる空気を感じるのは、ここが袋小路などではなく、玄関口であるからかも知れません。

FI2617969_3E.jpg橋の上からだと、船溜の両端が切れて写ってしまうので、もう一枚。

津宮、大船津と、いわゆる東国三社の浜鳥居を見てきましたが、船溜があるのはここ、息栖だけ…。他の二つは、大河の本流に面しており、しかも、浜鳥居から境内までの距離があるため、船でのお参りはできなくはないにしても、不安があります。
そう考えてみると、昔ながらの、水上からの参詣ができる唯一の存在が、息栖なのではないでしょうか?

FI2617969_4E.jpgもちろん、この船溜は地元の方のためのもので、無断で使ってはいけないのでしょうが、お参りのために数十分停泊する程度なら、きっと許してもらえるでしょう。
常陸利根川を下り、広大な外浪逆浦を横断して、狭い樋門をくぐると、眼前に浜鳥居がそびえている…。

妄想はどんどんふくらんで、留まるところを知りません。いつかきっと、そんな水路行を楽しみつつ、ここに来たいものだと、思わず神社のあるほうに向かって、お願いしてしまうほどでした。

FI2617969_5E.jpg…妄想をふくらましていたら、足元からまた、ガアガアと鳴き声が。
おや、後をついて、船溜を一周してしまったようです。ごめんね、ご飯は持っていないんだよ…(涙)。ショボショボした、黒い目が可愛らしく、人を恐れません。

そういえば、自艇で航行中に、水鳥に出会うたび、餌になるものを持って来ていないのを、いつも後悔しているんですよね…。
次回出港時は、餌を忘れないようにしよう!


(20年2月10日撮影)

(『息栖樋門』につづく)

息栖船溜…1

(『息栖神社』のつづき)
FI2617968_1E.jpg一の鳥居から、駐車場の横を通り、家並に挟まれた参道を抜けて、浜鳥居の前に出ると、さっと視界が開けて…。
おお、ここも船溜になっている!

こんな素敵な風景が広がっているとは、思ってもいなかったので、目にした最初の感動は、かなりのものでした。
浜鳥居の左右には、柵に囲まれた小さな鳥居が…。あれは何でしょう?

FI2617968_2E.jpgまずは、向かって左側の、背の低い鳥居から。澄んだ水を湛えた枡に、鳥居が浸かっている格好です。

近くに立っていた説明書きによると…、これは忍潮井(おしおい)と言って、その昔、息栖神社がこの地より数km下流の、日川にあったころ、海水だった神社前の水面から、真水が噴き出す泉が二つあり、「潮を押し分けて出る井戸」の意から、忍潮井と名づけられたそうです。

井戸は、白御影石でできた瓶を埋めてあるとのことで、神社でいただいた冊子「東国三社 息栖神社略記」には、河道改修前の、大鳥居とともに河中にあったころの写真が掲載されています。
二つの忍潮井は、男瓶・女瓶と呼ばれており、写真のものは鳥居が低いので、おそらく女瓶の方でしょう。

FI2617968_3E.jpgこちらが右側、男瓶と思われるもの。
伝承によると、日川からこちらに神社が遷された際、水中に残された二つの瓶は、神を慕って泣き暮らし、なんと、ついには川を自力で遡って、今の浜鳥居の前に来てしまったそうです。
さらに、こちらに来たのはよいが、今度はもといた日川が恋しくなり、やはり時には泣いていたというのですから…。なんとも、ユーモラスなお話ですね。

このあとに見た、境内の説明板では、「水の澄んだ晴天の日でなければ、瓶は見えない」、とのことでした。この日は幸い、雨や雪が降った翌日ということもあり、のぞきこむと、丸い瓶の口が見えたのですが…。そんな貴重なものとは知らず、写真に収めるのを忘れていました。残念!

FI2617968_4E.jpg樋門があり、数隻の船がもやう水面は、他の船溜と変わりがありませんが、水辺には、砕石を敷いた散策道が、並木とともに整備されていて、清々しい雰囲気。やはり神前だけあって、一味も二味も違います。

ここを訪れる前に見た、二つの船溜との「格の違い」みたいなものも感じられて、感動もひとしおでした。

FI2617968_5E.jpg散策しながら写真を撮っていたら、水面からガアガアと鳴き声が…。見ると、沈船の上に、丸々太った鴨さん夫婦が休んでいました。

この鴨さんたち、餌付けされているのか、やたらと人懐こく、私が船溜の周りをあちこち歩いていると、後をついて来て、もの欲しそうに鳴くのです。
きっと、お腹が空いていたんでしょうね。
撮影地点のMapion地図


(20年2月10日撮影)

(『息栖船溜…2』につづく)

息栖神社

(『徳島東船溜』のつづき)
FI2617967_1E.jpg水郷有料道路を南下し、やってきたのは常陸利根川畔、息栖神社。
香取・鹿島の両神宮と並んで、東国三社と称され、大水運時代はともに船での参詣が絶えなかった、まさに水郷の神様と言ってもよい、古代以来の由緒あるお社です。(過去の記事『水郷案内のパノラマ地図』参照)

香取・鹿島はすでにご挨拶を済ませたので、次の水郷訪問時は、ぜひ息栖に…、と思っていました。何しろ、浜鳥居を戴く水辺の神社です。水運ファンとしては、お参りしないわけには行きません。

FI2617967_2E.jpg一の鳥居をくぐり、森閑とした杜に囲まれた、境内を奥へと進みます。

社務所でいただいた冊子「東国三社 息栖神社略記」によれば、応神天皇の御代、現在の神栖町日川に祭られたのを、大同2年(西暦807年)に、現在の地に遷されたとされているそうです。
恐らく、このあたりのほとんどが陸地でなく、遠浅の入り海が広がっていた時代の創建でしょうから、水とかかわりが深いのも、しごく自然のように思われました。

FI2617967_3E.jpg門をくぐると、目に入ってきたのが「力石」。各地の神社で見られる、お祭りのときに、力比べを競い合うあれですね。

このうち、右の力石は、ちょっとだけ特別で、有名な侠客、笹川の繁蔵が奉納したものと、伝えられているそうです。



FI2617967_4E.jpg拝殿です。柱材が淡い、ピンク色のせいでしょうか、女性的な感じのするお社だなあ、というのが第一印象でした。御祭神は岐神(くなどのかみ)、天鳥船神、住吉三神ほか。

天鳥船神といえば、古事記に出てくる、建御雷之男神の乗る船の神格です。こんなところでも、水上交通との関連がうかがえて、興味がわいてきますね。
ちなみにこの拝殿は、昭和35年に焼失した旧社殿に替わり、昭和38年に再建されたものだそうです。

FI2617967_5E.jpgしっとりとした境内や、つつましい雰囲気の拝殿を前にして、短いながら充実した参拝でした。さて、お次は浜鳥居にお目にかかろうと、参道を戻ります。

津宮、大船津と場数を踏む(2ヶ所だけですが)たび、浜鳥居のそびえる水辺風景の魅力に、ますます惹かれているだけに、三社の最終訪問地となったここ、息栖にはもう、期待でハト胸(笑)です!
撮影地点のMapion地図

(20年2月10日撮影)

(『息栖船溜…1』につづく)

徳島東船溜

(『米島の廃水門』のつづき)
FI2617966_1E.jpg波騒ぐ鰐川を横目に、堤防道を南下します。
む、この竿の先についた、白と赤の小旗はなんだろう…。

海老取川の澪筋でおなじみの、澪標と似ていますが(過去の記事『海老取川の旗』参照)、航路標識としては、並び方がまばらです。何か、網でも仕掛けてあるのかしら?


FI2617966_2E.jpg見渡す限り、水面と平らかな大地…。さえぎるもののない堤防道をゆくのは、実に爽快です。

でも、やっぱり自分の艇で走ってみたいなあ…。



FI2617966_3E.jpg田んぼが途切れて、家並みと林が断続するところに入ると…。おお、またもやイイ感じの船溜が! ここは船溜天国ですか(笑)。

形が四角いので、米島ほどのインパクトはないものの、宅地に囲まれていることもあり、生活感が漂って、船影も多く、活気がありますね。

FI2617966_4E.jpgこの船溜の面白いところは、堤防沿いの水路で、二つの四角い船溜が、つながっているところです。

看板を見ると、名前は「徳島東船溜」、面積2386㎡。先ほどの米島船溜が、774㎡ですから、3倍ほどの広さがあることになります。
周囲に木や集落があるので、風もよく防がれて、避泊地としてはよい環境にあるようです。

FI2617966_5E.jpgちょうど、本道に出るあたりだったので、堤防道から降りて、今来たところを撮ることができました。

人家が水際に迫り、生垣を水面に映す船溜は、水郷らしさにあふれており、米島の箱庭的な楽しさとは、また違った魅力があるように思えました。

このあと、さらに素晴らしい、ハートわしづかみどころか、握りつぶされんばかりの船溜に出会うとは、誰が想像したでありましょうや……。
撮影地点(たぶんこのへん)のMapion地図

(20年2月10日撮影)

(『息栖神社』につづく)

米島の廃水門

(『米島船溜』のつづき)
FI2617965_1E.jpg米島船溜の、門型ホイストの向こうに、異様なものを発見。
う~ん、これは、すごく古そうな水門だなあ…。

扉体の角材は朽ちてすき間だらけ、数少ない鉄製部分は、全て黒く錆びており、おまけに背後には、トラックの車体が置いてある…。
使われなくなってから、長い時間を経たことが、見て取れました。



FI2617965_2E.jpgこの廃水門、背後のお宅の門が、ちょうど真後ろに来てしまっているのが、ちょっとユーモラス。もちろん、水門からすれば、心ならずも…といったところでしょう。
かつては、この後ろに、用水路か船溜があったに、違いありません。

このような、角落しを帯金でつないだ型のスライドゲートは、過去の記事「魅惑の水郷…1」で紹介した、扉体のみが保存されているものの他は、本でしか見たことがありません。
こんなところで、使われなくなったものとは言え、実際に建っているのを見られるとは…。よくぞ、残っていてくれた!

FI2617965_3E.jpg近寄って、門柱上部を見上げたところ。
手すりのたぐいが、最小限しか設けられていないところが、いっそ潔い感じがします。扉体の上下は言うまでもなく、手動のみです。

水を含んで重くなった、しかもすべりの悪い扉体を、スピンドルのハンドル操作だけで上げるのは、さぞ大変だったことでしょう。

FI2617965_4E.jpg廃水門と、米島船溜の位置関係。
前回、船溜に沿った道路が、かつての水際線だったのでは、と書きましたが、この廃水門があったことで、裏が取れたことになります。堤防の内側にある船溜や平場は、旧河川敷だったのです。

用水路の水門としては、ちょっと大きめのようですから、この水門が、旧米島船溜の入口だったのかもしれませんね。

FI2617965_5E.jpgせっかくだからと、堤防道を使って、次の目的地へ向かうことに。
いや~、樋門つき閘門に、三角の船溜(あ、樋門もありましたね…)、朽ちつつある廃水門と、凄く濃厚な水運・土木スポットでした。

水郷米島、あなどれない!


(20年2月10日撮影)

(『徳島東船溜』につづく)