FC2ブログ

57年前の「川入門」

FI2617943_1E.jpg川 ―隅田川― 復刻版岩波写真文庫 川本三郎セレクション
発行:岩波書店
B6判 中綴 88ページ 平成19年12月19日発行

昨年末に、書店の平台をのぞいていたら、岩波写真文庫の復刻版が数点出ており、思わずそのうちの一冊、「川」というタイトルに惹かれて、手に取りました。

「川本三郎セレクション」のシールが、表紙に貼られていることからもおわかりのように、同氏が選んだ5点を復刻したものの一つで、他の4点を含めて、東京とその周辺を題材にしたものがラインナップされているあたり、昨今の江戸・東京史への、関心の高まりがうかがえます。

さてこの本、タイトルのとおり、隅田川(もちろん、上流部は荒川ですが)を題材としたものです。

甲武信岳に端を発する荒川源流から、勝鬨橋に至る河口までを写真で追ったルポルタージュを主体にしており、初版発行時の昭和25年(西暦1950年)の風物が記録されていることからも、実際それは最大の見どころなのですが、一見して興味深く思ったのは、川に関する地学的な記述に、結構なページを割いていることでした。

巻頭では、まず川のうねりの原理や湾曲部の洗掘、扇状地や三角州の生成、風化と侵食によって谷が刻まれ…といった、「川に関しさしあたって必要な知識」(本書冒頭文より)を、図版とともに説明。
巻末は歴史・地理に関することがまとめられ、江戸時代の伊奈家歴代当主による大治水工事から、現在に至るまでの、関東の河川の変遷について触れたのち、荒川の西遷事業や、牛枠(聖牛)といった、当時の水制法にまで話が及んでいます。

限られたページ数にもかかわらず、「川の入門書」と称しても全く遜色のない、密度の濃い「読ませる」構成で、57年後の目から見ても、充分読みごたえのある内容です。

この構成は、シリーズ中でも異色だったようで、復刻に当たって掲載された「写真文庫ひとくちばなし」でも、「創刊以来初めてのこと」、「『川に関しさしあたって必要な知識』を文字と図表で懇切丁寧に説明する姿勢は、写真文庫を『啓蒙的な仕事』と位置づけた創刊の志の反映と見てよいだろう」とあり、当時の制作者の意気込みと、終戦間もないころの、若々しい時代背景が感じられます。

肝心の、掲載写真のほうですが…、こちらはあまり詳しく紹介すると、見たときの感動が減りますから(笑)、土木・水運趣味的にも、充分堪能できる内容、と書くにとどめておきましょう。
特に、下流部を紹介した後半は、街場の川が、「航路」として躍動していた、その最末期の水辺の風景を、存分に味わえるスナップが満載です。

ちょっとだけ、ご紹介するなら…。昭和25年の旧岩淵水門の堂々たる姿、これは意外の感に打たれる方が、多いのではないでしょうか。
現在の姿は、決して竣工時そのままではなく、地盤沈下によって、水面上の部分がすっかり低くなり、また通船水門も、ローラーゲートに改造されるなどの変容を遂げていたことが、本書の写真で理解できることと思います。
例えるなら、まさに洪水と戦い続けた果ての、刀折れ矢尽きた老兵の姿だと言ったら、思い入れが過ぎるでしょうか…。

これって…

FI2617942_1E.jpg私のことですか?(笑)





(20年1月3日撮影)

あんば様再訪

(『仲江間樋管』のつづき)
FI2617941_1E.jpg仲江間を離れて、本日の最終目的地である、あんば様(阿波大杉神社)へ。国道125号線を走っていると、新利根川沿いに出たので、クルマをちょっと停めて、新利根大橋上流に架かる旧橋を一枚。

右手の橋詰近く、ローボートが大量に置いてあるところが…。釣り人相手の、貸しボート屋さんでしょうか。そういえば、ここまで来る間にも、釣りに興じている船外機艇を、何隻か見ることができました。
撮影地点のMapion地図

FI2617941_2E.jpgこれも同じく、新利根川。(場所はたぶん、こちら→Mapion地図)静かな水面に、対岸の木々や橋がくっきりと映っています。ここも走ってみたいなあ…。

陽はすでに、橋に触れるほど低く、楽しかった水郷での一日も、終わりに近づいてきました。あんば様へと急ぎましょう。



FI2617941_3E.jpg今年もあんば様にお参りしに来たのは、昨年いただいたお札をお返しするとともに、新しいお札をいただくためです。(過去の記事『あんば様…1』以下のシリーズ参照)

昨年同様、駐車場の片隅で朽ち果てつつある、和船(の残骸)を定点撮影。
ううん、去年より、ツタが少し増えただけのような…。どうか、安らかにお眠りください…。

FI2617941_4E.jpg露店と参拝者でごった返す、狭い境内をかき分けるようにして拝殿前へ。今年一年の航行の安全、皆様のご多幸をお祈りし、艇のための新しいお札も、無事いただくことができました。

ここ数年、大杉神社は「平成の大造営」の真っ最中。昨年改修中だったところも、今回見たら様変わりしていた箇所がいくつかあり、絢爛たる極彩色のお飾りを、写真に納める人の姿もちらほら見られました。
撮影地点のMapion地図

FI2617941_5E.jpg拝殿裏にそびえる神木、三郎杉も、文字の朱も真新しい、立派な石造りの柵と鳥居に囲まれて、見違えるようでした。
こちらも、参詣者が絶えず訪れ、三郎杉も心なしか嬉しそうです。これからも、大利根をゆくフネブネを、見守ってやってください…。

お天気にも恵まれ、この日の水郷散策も、楽しく終わることができました。
次回、水郷に来るときは、「酒直水門…2」のコメント欄で、「日本の川と災害」の管理人さんにお約束した、例の物件を偵察してこないと! 楽しみな宿題ですね。

(20年1月3日撮影)

1月3日の項の参考文献
水郷汽船史 白土貞夫・羽成裕子 著 筑波書林
水郷の生活と船 千葉県立大利根博物館

(この項おわり)

仲江間樋管

(『仲江間の小さな閘門…3』のつづき)
FI2617940_1E.jpg閘門の間近まで迫る堤防には、当然のことながら樋管が穿たれ、利根川との通船がはかられていました。

写真の出来が悪くて、恐縮ですが…。中央、青銅色の銘板には「仲江間樋管 昭和44年3月」の文字が。
何とか身を乗り出して、樋管の中をのぞき込んでみると、側壁にいくつかのアイが設けられ、ロープが渡されているのが見えました。閘門の水位調整待ちの際、もやいを取れるようにしてあるのでしょう。

FI2617940_2E.jpg堤防の斜面を登り、利根川が見渡せる天端から、樋管の入口にあるゲートを見たところ。

コンクリート一体構造の、まるで板のように簡素な外観で、水郷の南の入口にしては、ちょっと自己主張(笑)がなさ過ぎるのでは…というのが、第一印象でした。



FI2617940_3E.jpg管理用通路の手すりには、先ほど北浦畔で見たものと同様の、河川敷占用の許可事項を書いたものが。(過去の記事『大船津水門めぐり…2』参照)
あれ? こちらでは「仲江間水門」となっていますね。

「占用の目的」の項目に、「内水排除及舟運」と、書いてあるというだけで、水運バカとしては、微妙に興奮してしまいます。

FI2617940_4E.jpg堤防を降りて、正面から見たところです。
背の高い分、板状で中央部が抜けていないのが強調され、ある意味個性的…。周りはゴミもなく、良く片付いていて、水門の簡素な印象と相増して、清潔感がありました。
とにかく、あっさりした外観なので、何も知らない人が見たら、この向こう側に、「航路」が続いているなんて、とても想像できないでしょうね。

水門の規模の割には、高水敷に掘られた水路の幅は広く、護岸の法面もしっかりした造りで、ちょっとした船溜のようでした。

FI2617940_5E.jpg利根の雄大な流れの向こうには、水面に姿を映す津宮の浜鳥居を、指呼の間に望むことができました。

過去の記事「津宮」でも触れましたが、津宮とこちら(津宮新田)を結ぶ渡船が、つい最近…平成17年3月まで運航されていました。
桟橋がどこに設けられていたかは、残念ながらわかりませんでしたが、この仲江間水路の入口の雰囲気は、船着場にふさわしいもののように思えたものです。
撮影地点のMapion地図

(20年1月3日撮影)

(『あんば様再訪』につづく)

仲江間の小さな閘門…3

(『仲江間の小さな閘門…2』のつづき)
FI2617939_1E.jpg堤防の上から見たところ。ここでようやく、閘門の全貌を見渡すことができました。しつこいようですが、集落と堤防に包囲?された小閘門なんて、そうそうあるものではありますまい。これも水郷ならではの光景と、言ってよいのではないでしょうか。

手前に写っている2車線道路、結構な交通量があり、しかも信号がほとんどないので、クルマもビュンビュン飛ばしてきます。道を横断して堤防に上がるのは、ちょっと勇気がいりました。
撮影地点のMapion地図

FI2617939_2E.jpg前後しますが、前回紹介した、操作盤のある支塔の表面に、改修時のメーカーズプレートがありました。写真ではわかりにくいので、以下に書き出してみましょう。

工事名 昭和58年度 
 仲江間二重水門改修工事
 上流ゲート
名称 鋼製スルースゲート
 MSL-275215MW-3C型
規格 有効巾 2.744m 有効高 3.070m
 扉体巾 2.945m 扉体高 2.150m
開閉装置 ニ連型電動巻上機
製作年月 昭和59年8月
製作 三菱重工業株式会社


この閘門の正式な名前は、「仲江間二重水門」と言うのですね。「船通し」「船通しゲート」という異名は、何回か目にしましたが、「二重水門」なる呼び名で閘門を指す例は、初めてです。
水路名からてっきり、「仲江間閘門」だとばかり、思っていたのですが…。もしかしたら、厳密には、閘門にカテゴライズされない存在なのかもしれません。
1月4日の記事、「閘門の研究団体が発足していた!」でもご紹介した、「日本の閘門を記録する会」の、「H19年8月時点で所在地が判明している各地の閘門一覧表」では、「仲江間閘門」となっているのですが、この違いはどういうわけなのでしょうか?

FI2617939_3E.jpgまたも前後して恐縮ですが、下流側ゲートから少し歩いて、仲江間水路の様子を見ることにしました。

前回触れたように、集落を出てすぐのところで、水路は東に向きを変え、あとはほぼ真っ直ぐに与田浦を目指します。
静かな水面に、正面のキノコ形をした木が姿を映し、ひなびたいい雰囲気ですね。


FI2617939_4E.jpg屈曲部を過ぎると、前回のタイトルで、すでにご覧に入れた風景が、視界いっぱいに広がったのです。
水郷でなければ味わえない、消失点までひたすらまっすぐ、まるで空間を貫かんばかりの水路情景を目にして、言葉では言い尽くせない感動がありました。

たとえ、自艇で走れなくとも、ここを航行することを想うだけでも、胸が一杯になってしまうような、理想の水路風景…。
ちょっとカッコをつけて、「心象航行」とでも、申しましょうか。デッドスローで、鏡のような水面にさざなみを作りながら、ゆるゆる進む我が艇の姿を想像するだけで、陶然とさせる魅力が、ここ仲江間にはあったのです。

これからも、ますます水郷に惹かれ続けるであろうことを、確信させる眺めでした。

FI2617939_5E.jpg水路にもやう、小型のサッパ―かなり略式で、田舟に近いもの―と、ディンギーのなれの果てらしい、色あせたFRP艇。
ひなびた水路を彩る点景としては、なかなか良いものでした。

ところで、今までここを「仲江間水路」、などと呼んできましたが…、「江間」は、水郷の言葉で言う「エンマ」、すなわち水路そのものなので、本来は「仲江間」、と呼ぶのが正しいのでしょうね。


(20年1月3日撮影)

(『仲江間樋管』につづく)