19年度川走り納め…1

ご存知のように、大の寒がりですから、それこそ南極にも行けそうなほど着膨れての出発。マリーナをうろうろしていたら、あまりの重装備ぶりに、他艇のクルーに笑われる始末です。
出港準備にかかろうと、艇を覆うシートを外そうとして、ふと見たら…シートの凹みに溜まった、昨日の雨水が凍っていました。わが艇上で、結氷を観測(笑)するのは初めてです。ちょっと嬉しくなり、小さな氷を記念撮影。

豊洲運河に入ると、ユリカモメさんの大艦隊が航路を封鎖中。波騒ぐ港を避けて、ビルの谷間に逃げ込んできたのでしょう。声をかけつつ、デッドスローで近づくと、不満げに鳴きながら、道を開けてくれました。
【撮影地点のMapion地図】

はて、汐見運河は、工事はしていないはずですが…。
あれ? ここは「海上」扱いだったのですね。

豊洲の再開発区域は、いまやビル建設ラッシュですが、それに合わせて、親水護岸の整備が行われているようです。
ここに台船が入り始めたのは、今年の夏ごろからだったような…。見たところ、基礎を打ち込んでいるようですね。きっと来年の今ごろは、がらりと様変わりしていることでしょう。
【撮影地点のMapion地図】

写真は相生橋北詰、中之島公園。旧商船大に在学していた友人に、「ここは日本初の潮入り公園なんだ」と、教わったことを思い出しました。日本初かどうかはともかく、護岸のスリットから、満潮になると水が入ってくる公園は、親水施設のはしりとして、珍しがられたことでしょう。
以前訪れたときに見た、公園設置の説明板によると、震災復興事業の一環として、昭和2年に完成、現在の姿になったのは、昭和55年だそうです。
【撮影地点のMapion地図】
お陰さまで今年一年、航行時の事故もなく、水運・土木趣味を楽しむことができました。ご覧くださった皆さんに、御礼申し上げます。良いお年をお迎えください。
(19年12月31日撮影)
【20年1月1日追記】記事のタイトルを、「今年も大晦日の水路散歩」(よく考えると、ヘンなタイトルだったなあ…)から変更しました。
(『19年度川走り納め…2』につづく)
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利根川高瀬舟を描いてみました
前作の曳船と艀(過去の記事『またもお絵描き』参照)から、一年ぶりに川っプネのお絵描きをして、遊んでみました。昨年から描いてみたかった、利根川航路の華、高瀬舟のつもりです。
ディテールを細かくし過ぎると、縮小時につぶれてしまう(と言うより、画力に乏しいためボロが出る)ため、索具や帆の反数など、各部はかなり省略してあり、正確な再現とは言えませんので…念のため。
本来なら、今まで描いた川蒸気や曳船のように、青一色として、タイトル写真の賑やかしに使うところですが、何分帆船のため天地寸法があり、仮に使うにしても、しっくり来る絵柄が限られそうなので、とりあえずは単品で悦に入ろう(笑)と、色をつけてみました。
利根川高瀬舟については、すでに何度も触れて(イヤ、騒いで)いますが…、大略こんな形の大型荷船で、江戸から明治に至る関東大水運時代、江戸川や利根川を舞台に、物流の主力として活躍していました。
最大級のものは全長30m弱、セイジ(居住設備)も備えた、平水域の船としては類を見ない大型船で、薄板を用いた軽量・柔構造を特徴としていました。
このような船が、良風を得ていっせいに白帆を揚げ、何十と連なって遡航する姿は、さぞ壮観だったことだろう…などと、博物館の図録や、利根川関連の本を見つつ、あれこれ想像しながら、つたないお絵描きを楽しみました。
次のお絵描きは…、隅田川の一銭蒸気―ひょろ長い煙突を立てた小型曳船が、客用艀を曳くあれ―なんて、いかがでしょうか。

本来なら、今まで描いた川蒸気や曳船のように、青一色として、タイトル写真の賑やかしに使うところですが、何分帆船のため天地寸法があり、仮に使うにしても、しっくり来る絵柄が限られそうなので、とりあえずは単品で悦に入ろう(笑)と、色をつけてみました。
利根川高瀬舟については、すでに何度も触れて(イヤ、騒いで)いますが…、大略こんな形の大型荷船で、江戸から明治に至る関東大水運時代、江戸川や利根川を舞台に、物流の主力として活躍していました。
最大級のものは全長30m弱、セイジ(居住設備)も備えた、平水域の船としては類を見ない大型船で、薄板を用いた軽量・柔構造を特徴としていました。
このような船が、良風を得ていっせいに白帆を揚げ、何十と連なって遡航する姿は、さぞ壮観だったことだろう…などと、博物館の図録や、利根川関連の本を見つつ、あれこれ想像しながら、つたないお絵描きを楽しみました。
次のお絵描きは…、隅田川の一銭蒸気―ひょろ長い煙突を立てた小型曳船が、客用艀を曳くあれ―なんて、いかがでしょうか。
アーバンランチで東京港をゆく…8
(『アーバンランチで東京港をゆく…7』のつづき)
豊洲の桟橋が近づいてきました。
イルミネーションを味わうには格好の時刻で、記念物然と残されたクレーンや、新設された跳ね橋にも、青いLEDらしい灯火がからめられ、水面に映る灯りとあいまって、素晴らしい夜景が楽しめました。
今気づいたのですが、この橋は名前がついているのでしょうか。
何しろ、調子に乗りすぎて、露天デッキで吹きさらされ続けたため、船を降りたときには体力の限界で、橋を検分する余裕がありませんでしたので…。
電飾の色のせいでしょうか、こうして見上げると、橋とクレーンが電流でシビレているように見えました(笑)。
お客さんを下ろすと、アーバンランチはすぐにもやいを解いて前進、船溜の奥にいる、僚船に横付けしました。
ここはよく、「ドックの跡」と称されるので、堀割に船を据えてから、入口を扉で塞いで排水する、「船渠」のみがあったと思われている方が多いようですが、斜面に船を引き上げる形式の、船台も複数あり、建造はそちらで行っていました。まあ、どちらも「ドック」と呼んで、間違いではないのですが。
クレーンをいま一度、夕焼け空をバックに一枚。
ここで建造中の護衛艦を見たことが、ほんの最近のように思えていたのですが、新装成ったこの地に上陸してみると、それが急に昔のことになったような気がして、感慨深くもありました。
ともあれ、この季節のアーバンランチ、夕方の便は、寒いことをのぞけば、暮れゆく東京港と夜景が楽しめて、意外とお勧めかもしれません。
カタマランのお陰で乗り心地も上々、小粒ながら落ち着いた内装で、小型船舶の魅力を味わいたい向きには、絶好の航路と言えそうです。
【撮影地点のMapion地図】
(19年12月16日撮影)
【12月30日追記】跳ね橋の名前は、アーバンゲートブリッジというそうです。ボウズさんより、コメント欄にてお知らせいただきました。ご教示ありがとうございました!
(この項おわり)

イルミネーションを味わうには格好の時刻で、記念物然と残されたクレーンや、新設された跳ね橋にも、青いLEDらしい灯火がからめられ、水面に映る灯りとあいまって、素晴らしい夜景が楽しめました。

何しろ、調子に乗りすぎて、露天デッキで吹きさらされ続けたため、船を降りたときには体力の限界で、橋を検分する余裕がありませんでしたので…。
電飾の色のせいでしょうか、こうして見上げると、橋とクレーンが電流でシビレているように見えました(笑)。

ここはよく、「ドックの跡」と称されるので、堀割に船を据えてから、入口を扉で塞いで排水する、「船渠」のみがあったと思われている方が多いようですが、斜面に船を引き上げる形式の、船台も複数あり、建造はそちらで行っていました。まあ、どちらも「ドック」と呼んで、間違いではないのですが。

ここで建造中の護衛艦を見たことが、ほんの最近のように思えていたのですが、新装成ったこの地に上陸してみると、それが急に昔のことになったような気がして、感慨深くもありました。
ともあれ、この季節のアーバンランチ、夕方の便は、寒いことをのぞけば、暮れゆく東京港と夜景が楽しめて、意外とお勧めかもしれません。
カタマランのお陰で乗り心地も上々、小粒ながら落ち着いた内装で、小型船舶の魅力を味わいたい向きには、絶好の航路と言えそうです。
【撮影地点のMapion地図】
(19年12月16日撮影)
【12月30日追記】跳ね橋の名前は、アーバンゲートブリッジというそうです。ボウズさんより、コメント欄にてお知らせいただきました。ご教示ありがとうございました!
(この項おわり)
アーバンランチで東京港をゆく…7
(『アーバンランチで東京港をゆく…6』のつづき)
お台場の桟橋を離れると、右舷に行き合ったのが、ハデな電飾の屋形船で有名な、柳橋は三浦屋さんの「Oedo小町丸」。
(過去の記事『吸い寄せられる場所…4』『両国橋で呆ける…2』参照)
自慢の電飾も、まだそんなに目立っていませんが、あと30分もして日が落ちれば、いよいよ本領発揮といったところでしょう。
お台場の内水面を出て、ふたたび東京港を横断、アーバンランチの終着地である、豊洲に向かいます。
豊洲は、ご存知のように、最近完成した「アーバンドック・ららぽーと豊洲」のあるところ。
石川島播磨の造船所があった時代から、自艇で何度も通過したところでもありますが、上陸は今回が初めて。どのような変貌を遂げたのか、ちょっと楽しみでもあります。
東を見ると、上の写真のようにまだ明るいのですが、西側を望むと、夕焼け空をバックに、街並みが影絵のように浮き出していました。
イイ時間帯に乗り合わせたものです。しかし、顔面に風を受け続けていたら、頭が痛くなってきました…(涙)。調子に乗りすぎたようです。
春海運河(晴海・豊洲の両埋立地に挟まれた水面)に入ると、エンジンのうなりが高まって、アーバンランチはがぜん、スピードを上げ始めました。
ますます顔を刺す風が冷たくなってきたものの、豊洲も近いことだし、調子に乗りついでと、後部デッキで頑張ることに。
しかし、これだけ飛ばしても、夜景を撮ってなおブレない安定感…、さすがカタマランと、妙なところで感心してしまいました。
晴海大橋を透かして、ららぽーと豊洲が見えてきました。そこだけお祭りか何かのように、光り輝いている印象です。
晴海大橋をくぐって、反対側を見た風景は、すでにタイトル(『タイトル画像集』参照)でご紹介しました。まさに明暗を分けた、といった感じですね。
【撮影地点のMapion地図】
(19年12月16日撮影)
(『アーバンランチで東京港をゆく…8』につづく)

(過去の記事『吸い寄せられる場所…4』『両国橋で呆ける…2』参照)
自慢の電飾も、まだそんなに目立っていませんが、あと30分もして日が落ちれば、いよいよ本領発揮といったところでしょう。

豊洲は、ご存知のように、最近完成した「アーバンドック・ららぽーと豊洲」のあるところ。
石川島播磨の造船所があった時代から、自艇で何度も通過したところでもありますが、上陸は今回が初めて。どのような変貌を遂げたのか、ちょっと楽しみでもあります。

イイ時間帯に乗り合わせたものです。しかし、顔面に風を受け続けていたら、頭が痛くなってきました…(涙)。調子に乗りすぎたようです。

ますます顔を刺す風が冷たくなってきたものの、豊洲も近いことだし、調子に乗りついでと、後部デッキで頑張ることに。
しかし、これだけ飛ばしても、夜景を撮ってなおブレない安定感…、さすがカタマランと、妙なところで感心してしまいました。

晴海大橋をくぐって、反対側を見た風景は、すでにタイトル(『タイトル画像集』参照)でご紹介しました。まさに明暗を分けた、といった感じですね。
【撮影地点のMapion地図】
(19年12月16日撮影)
(『アーバンランチで東京港をゆく…8』につづく)
アーバンランチで東京港をゆく…6
(『アーバンランチで東京港をゆく…5』のつづき)
レインボーブリッジをくぐるあたりで、先ほど見かけた、ワールドシティタワーズの艇が追い越してゆきました。
お客さんを乗せて再度の出航か、それとも、母港に帰るのでしょうか。
雄大なレインボーブリッジの下を、裏側の構造を仰ぎつつ、ゆっくりとくぐります。
澄み切った、薄暮の空をバックに撮ると、いつもとまた違った景色に見えてくるのですから、不思議なものですね。
頭が痛くなるような寒風になぶられつつも、見慣れた風景の新鮮な美しさに、寒さを忘れて見入ってしまいました…。
ここで船は進路を変え、お台場の内水面に向かいます。レインボーブリッジの下をくぐって見せるため、ほんの少しだけ、遠回りをしたかたちになりますね。
ここから眺めても、お台場の桟橋付近は、結構な輻輳ぶり。宵の口ということもあり、屋形船の姿も、ちらほら見えます。
第三台場の角をかわしたところで、おなじみヒミコが入れ替わりに出航。
すでにマスト灯、両舷灯を点した姿は、すっかり夜の装いです。
お台場の共同桟橋が見えてきました。船足はぐっと落ちて、すでにもやいが準備されています。
日が落ちるにしたがって、ビル群の明かりがポツリポツリと、少しづつ浮かび上がってくるさまが、なかなか素敵でした。
【撮影地点のMapion地図】
(19年12月16日撮影)
(『アーバンランチで東京港をゆく…7』につづく)

お客さんを乗せて再度の出航か、それとも、母港に帰るのでしょうか。

澄み切った、薄暮の空をバックに撮ると、いつもとまた違った景色に見えてくるのですから、不思議なものですね。
頭が痛くなるような寒風になぶられつつも、見慣れた風景の新鮮な美しさに、寒さを忘れて見入ってしまいました…。

ここから眺めても、お台場の桟橋付近は、結構な輻輳ぶり。宵の口ということもあり、屋形船の姿も、ちらほら見えます。

すでにマスト灯、両舷灯を点した姿は、すっかり夜の装いです。

日が落ちるにしたがって、ビル群の明かりがポツリポツリと、少しづつ浮かび上がってくるさまが、なかなか素敵でした。
【撮影地点のMapion地図】
(19年12月16日撮影)
(『アーバンランチで東京港をゆく…7』につづく)