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両国橋で呆ける…1

FI2617869_1E.jpg江戸東京博物館を訪ねた日(過去の記事『通運丸がいた!』参照)、運河の模型を見た後だったこともあり、水辺が恋しくなって、帰り道に隅田川畔をお散歩することに。

日も傾いた時刻ということもあり、歩く人の姿も少ない、静かな川景色。両国橋詰のベンチに腰掛けていると、時のたつのも忘れて、しばしボーッと呆けてしまいました。

FI2617869_2E.jpgここは神田川河口、柳橋が真正面に望める、絶好のロケーション。屋形船の船溜りが、夕闇迫るビルの谷間に、沈みつつあるのが見られました。

なにしろ普段は、舵を握りつつ眺める風景なので、楽しいとは言え、それなりの緊張感とセットになっている眺めでもあるわけです。
それが、何の心配もなく、ただボーッと眺めていられるのですから、嬉しくなって、さらに呆心の数分間を堪能。

FI2617869_3E.jpgああ…。
川はいいナァ…。

……と、どこからか聞こえる、腹に響くエンジンの重低音。…船が来る!
ベンチからガバッと立ち上がり、手すりに駆け寄って、カメラを構えてしまいます。
悲しい性ですナ。

FI2617869_4E.jpgベンチに戻ろうとすると、今度は神田川から、一艘の屋形船が、後進で出てきました。

屋形船が、川下側に向きを変えて間もなく、上流からはまた、水上バスが。
ううん、この通船量、さすが隅田川…って、いまさら何を言っているんでしょう。

FI2617869_5E.jpg水上バスの航過を確認してから、屋形船も前進微速、隅田川を下ってゆきました。お台場に向かうのでしょうか。

そんなわけで、意外とボーッとするヒマがありませんでした(笑)。
撮影地点のMapion地図


(19年8月26日撮影)

(『両国橋で呆ける…2』につづく)

水郷案内のパノラマ地図

FI2617868_1E.jpgなじみの古書店で棚をあさっていたら、昔の水郷案内の印刷物を、何点か見つけました。そのうちの一点、昭和一桁ごろと思われるものをご覧に入れましょう。
(水郷については、過去の記事『魅惑の水郷…1』『ふたたび水郷へ!…1』以下のシリーズ参照)

佐原駅前・石橋旅館の銘が入った四つ折のこれは、表面に、霞ヶ浦や北浦を含めた、水郷全域のパノラマ地図、裏面には、いくつかの観光コースの解説と、主な交通案内が記されたものです。

鉄道が佐原・土浦まで通じて以降、東京~銚子間のような長距離航路は衰退したものの、大正末から昭和初期になると、逆に、地域的な観光用の航路は増加したという、水郷観光のまさに勃興期。昭和6年には、内水域最大の観光船「さつき丸」「あやめ丸」が進水、佐原津宮から、土浦に至る航路に就航するなど、大水運時代とはまた違った、華やかな観光ブームの幕開けでもありました。
(『さつき丸』ほかについては、『霞ヶ浦昔の画像集と水郷汽船史東関東アクアライン)』に詳しく述べられています。必見!)

裏面の説明を、少し拾ってみると…。「一泊 金参円 金弐円 二食付き」の料金表示が、時代を感じさせますね。カコミの中には、以下のような宣伝文も。
「御大勢様の団体に御慰に水郷美人たちの
新曲長唄 水の郷 小唄 佐原音頭 御覧に入れます」

ちょっと聴いてみたい気もします。二曲も新曲があったとは、当時の水郷観光が、いかに盛り上がっていたかがうかがえますね。

FI2617868_2E.jpgそして、こちらがパノラマ地図。名所旧跡をわかりやすく盛り込んだ、この時代らしい雰囲気満点の観光案内で、見ているだけで楽しい気分にさせてくれます。

佐原から中利根川を経て、遠く土浦まで至るメインラインに、江戸以来の名所十二橋を通るコース、北浦の大船津、銚子行きの航路も見えます。

長距離航路は衰退したものの、まだまだ陸上交通は乏しい時代ですから、これらの航路は、生活路線としても重要なものだったそうです。ちなみに昭和5年の時点で、土浦~鹿島(大船津)間の所要時間は、約3時間でした。

敬神の志篤かった当時のこと、鹿島・香取両神宮に、息栖神社を加えた参詣コースは、人気も高かったと思われますが、3社とも浜鳥居が描かれているのが、さすが水郷です。船で本来の表参道からお参りするのは、現代では味わえない水郷の贅、さぞ風雅で楽しいものだったことでしょう。

画面中央やや下、「カン門」なる表記がありますが、これは横利根閘門(過去の記事『魅惑の水郷…6』参照)を指しています。間違いではなく、地元では当時、閘門のことを「カンモン」と呼んでいたことに従ったもので、これもローカル色豊かというか、時代を感じさせるパーツですね。

参考文献
水郷汽船史 白土貞夫・羽成裕子 著 筑波書林
水郷の原風景 千葉県立大利根博物館

【10月26日追記】1段目、東関東アクアラインのリンク先を訂正しました。

水運関連の本、三題

最近読んだ水運関連の本の中から、特に面白かった3冊をご紹介いたします。

FI2617867_1E.jpgものと人間の文化史139 河岸 
川名 登 著 (財)法政大学出版局 平成19年8月発行 上製本316ページ

河川水運史の研究家である、川名登氏の最新刊です。
江戸期の利根川流域を中心に、河岸とは何かから説き起こし、大量輸送が必要になり、河川に物流のシステムが形成されてゆく過程、それにともなって活況を呈してゆく「内川廻し」「奥川筋」航路の状況、船頭と問屋間のトラブルを通じて描き出される、河岸の人々の生活など、微に入り細をうがつ記述は、水運史研究の第一人者ならではで、豊富な図版と併せて、黄金時代の水運を知るには、格好の一冊と言えるでしょう。

余談になりますが、この「ものと人間の文化史」シリーズは、立川昭二氏の「からくり」を子供のころに手にして以来、内容とラインナップの素晴らしさに、すっかりファンになって、結構な点数を読んできたのですが、中にはちょっと…、と思える内容のものもあり、当たり外れの差が激しい(失礼)シリーズ、というのが、実感としてはありました。

この「河岸」ですが、欲を言わせていただけば、明治以降の利根川水運の記述に、食い足りなさが感じられるものの、関東大水運時代に思いを馳せるには、余りあるディテールが語られており、その点では間違いなく「当たり」の読後感がありました。

FI2617867_2E.jpg水上学校の昭和史 船で暮らす子どもたち
石井 昭示 著 隅田川文庫 平成16年3月発行 並製本212ページ

この本に出会ったときは、正直、嬉しくなりました。近代に入ってからの、港湾荷役に従事する艀(はしけ、バージ)を住まいとした人々のことを知りたいと、その手の本を探しても、なかなか出会えず、残念に思っていた矢先だったからです。

タイトルのとおり、住居が移動する水上生活者の子弟に、未就学の児童が多いことを憂えた人たちが設立した、東京における「水上学校」の消長を中心にした記録です。巻末には、横浜の「日本水上学校」、瀬戸内など他地方の、水上生活児童養護施設にも、それぞれ一章を設けて触れられています。

注目に値するのは、単なる水上学校の歴史に留まらず、生徒の作文を多数引用して、当時の水上生活者の暮らしぶりを、活き活きと再現する章あり、また、なぜ船を住まいとする人々が生まれたのか、明治以降のいきさつについても、一項を設けて解説するなど、類書が少ないことを意識したと思われる、書き方がなされていることでしょう。

全盛期の昭和10年には、東京だけで7,650世帯・18,286人を数える水上生活者が暮らし、高度成長期、その人口を急速に減らしながらも、昭和40年代まで水上小学校が存続したことを知ると、かつて東京の物流が、いかに舟運を頼ってきたかを目の当たりにする思いがします。
私にとっては、まさに「ポンポン大将」(過去の記事『「ポンポン大将」が見たい!』参照)の世界が目の前に広がった感すらして、興奮の一冊でした。
(水上小学校については、『干潮時にすり抜けろ!…1』でも触れています)

FI2617867_3E.jpg桴(いかだ) 
日本いかだ史研究会 編・著・発行 昭和54年11月発行 並製本224ページ

行きつけの古書店で見つけたもの。筏について専門的に書かれた研究書というのも、出会ったのは初めてで、これまた喜んだものです。
山間部から、河川を利用して流下させる運材法は、各地で古くから行われてきたので、郷土史的な本で触れているのはよく目にしますが、一冊の本にまとまっているのは、非常に珍しいのではないでしょうか。

この本は、当時の名古屋市長が序文を寄せており、研究会の所在地も、名古屋の木場にある「名港運輸㈱内」とあるので、ご当地の銘木業者が、業界の歴史を後世に伝えるために編まれたものと推察します。
当然話題も、名古屋と関係の深い、木材産地の雄である木曽と、木曽材を流下させた木曽川・長良川などの河川に関することが中心ですが、古代から続く筏の歴史と、林政の変遷、筏の組み方や航行法などの技術的な側面に至るまで、図版をまじえて詳しく解説され、興味深く読みました。

巻末には、木曽だけでなく、各地の筏の組み方や、運材法も紹介されています。特に面白かったのは、ばらばらに浮いている木をアバ(丸太を環状に連結したもの)で囲っただけのものも、筏の一種として紹介されていること、また、外洋を曳船に引かれる、海洋筏なるものは、数千立米におよぶものもあること…。
今や、港湾荷役の世界で、わずかに露命を保っているのが現状ですが、華やかな時代に思いを馳せると、筏の世界もまた、実に奥が深そうですね。

川走りに役立つウェブサイト

FI2617866_1E.jpgジャンルに「水路航行メモ」を新設、これから折に触れて、川や運河を航行するときに役立ちそうなお話を、自分の備忘録もかねて、少しづつまとめてみようと思います。

ほとんどは、過去の記事で既出のうえ、ボートオーナーの皆さんはご存知のことばかりで、おこがましい限りですが、これから水路を探索しようと考えている皆さんにとって、微力ながらお役に立てる記事になれば幸いです。

第一回は、ウェブ上で得られる、河川航行のための参考情報を…。

Google航空写真の効用
まず挙げたいのは、浅瀬の多い水域で、澪筋が水面下に透けて見える場合があることでしょう。もちろん、地域によって、表示できる航空写真の縮尺は異なり、撮影時刻や水の透明度によっても差はできますが、場所によっては、充分な航路情報になりえます。
その良い例が、多摩川河口付近、海老取川~多摩運河に至る澪筋(過去の記事『海老取川から多摩川へ…3』参照)でしょう。(Google航空写真

また、川をどのあたりまで遡れるかという、いわば遡航限界点の目星をつけたい場合にも、結構役立ちます。航空写真を川に沿ってスクロールしてゆき、岸にもやっている船があるところは、すなわち可航域にほかなりません。鶴見川を例にとると、川崎市幸区・末吉橋付近で船影が途絶える(Google航空写真)ことから、少なくともこのあたりまでは、遡上できることがわかります。
繋留船舶が途絶えたあたりで、注意して周りを見回してみると、堰があったり、浅瀬があったりと、何らかの障害が見つかる場合もあるのです。

さらに、橋が水面に落とす影の幅で、桁下高が推測できる場合もあります。綾瀬川の綾瀬新橋(Google航空写真)の例(過去の記事『初めての綾瀬川…7』参照)では、橋の前後、堤防に開口部があることも併せて見られ、橋の低さが実感できます。

私が気づいた限りでも、以上のように、なかなか使えるツールだと思います。皆さんが気づかれた活用法があったら、ぜひお教え願いたいものです。

テレメータ水位で安全航行
国土交通省・自治体ほかで公開している、リアルタイムの観測水位は、観測所付近の断面図をともなう場合も多く、そこに航行できる水深があるか否かを確認するには、実に便利なものです。

最近では、神田川の水位観測所、「白鳥橋(神田川)」(新宿区気象情報区内の河川水位情報)をご紹介しましたが、やはりこの手を活用された白眉は、amieさん(ブログ『友へ』)が、江戸川を関宿まで航行されたときでしょう。

野田水位観測所の水位を、「テレメータ水位 野田」(川の観測情報・水位観測所リアルタイムデータ江戸川河川事務所)で観察して勇躍出港、わずか3時間で関宿まで到達されました。「野田水位観測所の水位が2m以上なら江戸川全行程航行可能と思われる」(『江戸川 川下り⑤』参照)という言葉には、永年観察された成果がうかがえます。

何はともあれ潮の満ち干き
江東内部河川のように、閘門で扼された水域を除き、ほとんどの可航河川や運河は、潮汐の影響を受けて、水位が変動します。
桁下高の低い橋や浅瀬がある水路でも、潮時さえ頭に入れておけば、臆することなく通航できるのは、これまでもたびたびお話ししたとおりです。

海上保安庁海洋情報部が提供する「潮汐推算」は、そんな水路への航行計画を立てる際、もっとも有用なものといってよいでしょう。私は推算港湾を「芝浦」に指定し、年月日を入力して利用していますが、全国さまざまな地点が選べますから、最寄の港湾を選択してみてください。

なお、ここに表示されるデータは、信頼性の高いものとはいえ、あくまでも推算値に過ぎませんから、実際の観測結果とは誤差が生じます。験潮所の観測データは、「リアルタイム験潮データ」で閲覧できますから、観測地点を選択して、確認するとよいでしょう。

意外なところにあった可航水域情報
都内の河川をきれいにしてくれている、各種の清掃船は、まず間違いなく我々の艇より大型(都環境局『河川清掃船の紹介』参照)なので、彼らが行き来する水域は、ほぼ安全な可航水路と考えて間違いありません。

都環境局の「河川清掃計画図」(註:現在は建設局が管理・運行している)には、清掃船の行動範囲が図示されており、特に都心部の中小河川は、どこまでが可航水域なのかが一目でわかります。(竪川東部の、埋め立てられた区間が描かれているなど、間違っている部分もありますが…)

ここに示されている、清掃水域でない河川でも、特に危険のない可航河川がある(荒川、中川、江戸川など)ことは言うまでもありませんが、目黒川や古川といった都市河川が、どこまで可航域として整備されているかがわかるだけでも、なかなか興味深いものがあり、航行の参考にもなります。
(過去の記事『清掃船の走る川』参照)

まあ、毎度繰り返していることではありますが、古書店を探し回るでもなく、管轄のお役所に出向くでもなく、いながらにしてこれだけの情報が手に入る時代になるとは、まったくありがたくて、泣けてきます!
もちろん、本当のところは、実際に現地に行ってみるまでわかりませんし、それでなくては、面白くもなんともないのですがね…。


(写真は霊岸島水位観測所、19年5月4日撮影)

橋の裏側…5

9月24日に撮影した、橋の裏側をご覧に入れましょう。

FI2617864_1E.jpg⑳日本橋川、一ツ橋。
定期的に塗り替えられているらしく、意外ときれいでした。

大寸法の鋼材が得難かった時代ですから、部材の数は、最近の橋に比べて、桁違いに多いのが印象的で、それがまた、独特の構造美を産み出しています。


FI2617864_2E.jpg(21)神田川、隆慶橋。

ポニートラスというと、このような、割と線の太いものを思い出してしまうのですが、アングル材を中心に組み上げられたこれは、重いクルマが乗ったら、ヘニョッといきそうで、少々頼りなげな印象です。
機種依存文字のマル付き数字が、⑳までだったのはうかつでした…(笑)。

FI2617864_3E.jpg同じく、隆慶橋を真裏から。

部材も少なく、簡素ではありますが、肋材は幅があり、側面よりは頼もしく(?)見えますね。



FI2617864_4E.jpg(22)日本橋川、常盤橋。

コンクリートアーチの裏側は、鋼橋のような面白さはないものの、曲面にはあたたかみが感じられ、くぐっていると、まるで母胎に包まれたような、妙な安堵感に襲われます。
水面の倒立像とでつくられる、紡錘形も美しく、まさに橋は水あってこそ、の感を強くします。

FI2617864_5E.jpg(23)隅田川派川、相生橋。

「橋の裏側…2」で、すでにご紹介しましたが…。この日は日本橋川を出たあと、やはり雨に降られて、相生橋の下でしばしの雨宿りをさせてもらったのです。
上げ潮と追い風が、うまい具合に艇を均衡させたのでしょう、エンジンを止めても、艇は橋の下から動きませんでした。大粒の雨が川面をたたく音だけの、静かなひととき。なかなか風流な数十分でした。

(19年9月24日撮影)