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初めての綾瀬川…1

9月16日は、まだ一度も訪ねたことのない、綾瀬川を訪ねてみました。
正確には、荒川と平行している部分…綾瀬水門から下流は、通ったことがあるのですが(過去の記事『9月2日の川景色…2』参照)、詳しいご紹介はまだでしたので、今回まとめてご覧に入れることにします。

FI2617831_1E.jpg今回の出発点は、4回目の登場となる、毎度おなじみ中川水門から。
まだ台風の爪あとも生々しく、その後も数度の大雨に見舞われて、川も増水気味のところへ加え、干潮に向かう時刻に通過したので、荒川に向かって流れる水流は音を立てて渦を巻き、濁流そのもの。いつになく迫力ある表情の水門を、捉えることができました。
撮影地点のMapion地図

実はこの日、以前から、攻略を予定していた水路がありました。
ただ、そこが東京湾を経由しなければならない場所だったため、この日の10mを超える強風下、しかも南風では、東京湾奥の常で波浪がひどく、木っ端ブネにとっては極めて難しい海況…。で、急遽、行き先を綾瀬川に予定を変更したのですね。

日中の潮位は比較的高く、(海上保安庁・9月16日の潮汐推算曲線参照)浅い水路を攻めるには、格好の日だったのです。
一方、綾瀬川はというと…。下流部に、路面が計画高水位以下という、極端に低い橋があると聞いており、この日の潮位では、あまり遡上できないだろうと思うと、ちょっと萎え気味でしたが、未踏派の水面と、その低い橋への興味もあって、かつしかハーブ橋の下へ舵を切りました。

FI2617831_2E.jpg上平井水門(全景は過去のタイトル参照)をくぐり、中川との合流点から、綾瀬川へ進入。

荒川の一面に三角波が立つような、「天気晴朗なれど波高し」、の厳しい状況にもかかわらず、中川からはボートやPWCが船団を組んで、次々と出てゆきました。
波騒ぐ水面に、爆音とウェーキが交錯し、勇壮な光景です。事故の無いよう、どうかお気をつけて!

FI2617831_3E.jpgかつしかハーブ橋の真下にもやうコレ、以前からものすごく意識している物件です! なんと、超小型の浮きドック!

プレジャーボート向けの、簡易な浮き船台は市販されていますが、こちらは小さいながら、本式の鋼製の箱、「船渠」と呼んでみたくなるゴツイ造作で、もうシビレます!
できることなら、ぜひ一回ドック入りしてみたいです…。
撮影地点のMapion地図

FI2617831_4E.jpgこのあたりの綾瀬川は、緑の芝が美しい背割堤と、首都高の高架にはさまれた、青空の似合うまっすぐな水路です。

堤防一つ隔てた荒川は、白波くだける(大げさかな?)強風下ですが、こちら綾瀬川は水路幅が狭いおかげか、だいぶ穏やか。以前も書きましたが、荒天時の避航路としては、実に好環境です。

FI2617831_5E.jpg上の写真にも写っていますが、この山吹色に塗られた鋼アーチは、東四ツ木避難橋なる、スマートな身なりの割には、何か身もフタもない(?)名前の橋です。

おや、地名は「東四つ木」なのに、橋は「東四ツ木」…ですね。そう言えば、近くにある京成線の駅名も「四ツ木」です。
なぜでしょう?
撮影地点のMapion地図


(19年9月16日撮影)

(『初めての綾瀬川…2』につづく)

通運丸がいた!

8月の半ばだったでしょうか、訪ねてきた友人C君が、「江戸東京博物館でやっている、『後藤新平展』の模型はすごい、一見の価値ありです」と、買って来た図録を前に、熱っぽく語ってくれました。

後藤新平といえば、内務大臣・帝都復興院総裁在任中の震災復興事業が、真っ先に思い出される人物です。今なお活用されている数々の橋や、街路、運河の整備と、土木好きとしても見逃せない、数多くの仕事を成し遂げたことは、つとに知られています。

どれどれ、と、C君が差し出す特別展の図録をめくっていると…なるほど、橋梁や街路、団地や小学校と、さまざまな完成予想模型の写真が掲載されており、当時の水準から見れば、どれも超細密と言ってよい、立派なものです。

模型の中で一つ、目が釘付けになったものがありました。工業地帯に囲まれた、運河の十字流に、なんと、外輪蒸気船が浮いている! 通運丸だ!
この一事で、矢も盾もたまらなくなり、次の休日、さっそく江戸東京博物館を訪ねたのです。

FI2617830_1E.jpg右の写真が、その模型「小名木川運河改修状況模型」。当時の工業地帯であった、江東地区の運河と、橋梁改修の様子を示したもので、小名木川と大横川の十字流一帯を模型化したもので、昭和5年ごろの製作。
二つのトラス橋、新高橋と新扇橋が架かっているのが、小名木川。桁橋である、猿江橋と扇橋が見えるのが大横川です。(現在のこの地点の様子は『干潮時にすり抜けろ!…7』参照)

立ち並ぶ工場や、市電が走る街路の様子はもとより、艀がびっしりともやう河岸も、細部まで表現されており、船頭たちの声が聞こえてくるようです。活気にあふれた水運の時代が髣髴でき、感動ものでした。

FI2617830_2E.jpg十字流のあたりを見ると、いたいた! 通運丸は早とちりだったかな、とにかく川蒸気を写真に収めようと、感度を上げたり、ズームを効かせたりと、がんばってみたのですが、一番できのいい写真がコレ(泣)。

当然ですがフラッシュは禁止、しかもガラス越しとくれば、致し方ありませんが、スプラッシャー(外輪覆い)に平べったい客室と、小さいながらディテールがちゃんと表現されていただけに、惜しいことをしました。

ともあれ、昭和初期に至ってなお、東京の水路を外輪蒸気船が現役で走っていたこと(または、少なくとも復興局の担当者には、そう認識されていた)が、この模型で再確認できたことが、何よりの収穫でした。

明治10年以来、通運丸を運行していた内国通運は、大正8年、東京通船に持ち船と一切の権利を売却しているので、時期的に見て、銚子まで行くような長距離航路があったとは、考えにくいのですが、地域的な運行は、昭和に入っても続けられていましたから、「青べか物語」に出てくるような、江戸川下流部と東京を結ぶ、区間航路の船だったのかもしれません。

それにしても、この川蒸気、なぜ大横川の方を向いているのでしょう?
千葉方面と東京を行き来する船なら、小名木川を走ったほうが自然のように思えるのですが…。単なる置き間違いかしら? 
もしかすると、大横川や竪川に、寄港地を設けていた時代も、あったのかもしれないなあ、などと、楽しい妄想がふくらんでしまいます。

FI2617830_3E.jpgこちらは、水路とは関係ありませんが、やはり素晴らしい模型でした。昭和5年に作られた「昭和通街路模型」。
図録では、予定されていた地下鉄や共同溝など、断面まで作り込まれた、正面からの写真が掲載されていたので、側面から見てみました。

こうして、ビルの間からのぞきこむと、思ったよりリアルに見え、当時の街に迷い込んだようで、ゾクゾクするような感動がありました。
街路樹で区切られた、センターリザベーションの市電軌道…現存していたら、さぞ素敵な街並みとなっていたことでしょうね。

FI2617830_4E.jpg博物館で購入した図録です。
「日本の近代をデザインした先駆者 生誕150周年記念後藤新平展図録」。編集・発行は、財団法人・東京市政調査会、平成19年7月23日発行。

後藤新平の一連の事跡はもとより、関連する資料も多数収録され、カラー図版も豊富、印刷・編集、造本ともに美しく、申し分のない内容でした。


FI2617830_5E.jpg後藤新平展に合わせたのでしょう、月刊「東京人」の10月号でも、読み応えのある大きな特集が組まれていたので、こちらも購入。

今回採り上げた、小名木川や昭和通りの模型も掲載されています。




(19年8月26日撮影)

横浜の川をめぐる…18

(『横浜の川をめぐる…17』のつづき)
FI2617829_1E.jpg桜川橋と隣接している、桜橋をくぐると、次は根岸線の鉄橋が頭上を斜めに横切る、息つく間もない橋の密集地帯…。

その向こうは、国道16号線を渡す、大江橋です。さあ、もう一息!



FI2617829_2E.jpgぎっしり区間を、下流側から見たところ。
手前の長大な人道橋は、住吉橋。その奥に大江橋、根岸線鉄橋が見えますね。

周囲は活気のある船溜りで、逞しそうな曳船たちが、ぎっしりと船縁を接してもやっています。

FI2617829_3E.jpg船溜を抜けると、風景が開けてきました。前方の橋は、本町通りを渡す、弁天橋。この次が、大岡川の第一橋たる、北仲橋です。

う~ん、キリが悪くなってしまったので、北仲橋付近の様子は、タイトル画像ででご覧ください。(不精なことをして、申しわけないデス…)
撮影地点のMapion地図

FI2617829_4E.jpgご存知、汽車道のトラス橋。新港に至るかつての鉄道線を、遊歩道として再利用したものです。
客船華やかなりしころは、出港日にあわせて、東京駅発・横浜港駅行きの臨時列車が運転されたそうです。船旅におもむく人々を乗せた列車は、この橋と築堤を渡って行ったのですね。

なお、「かながわの橋100選 番外 港橋梁(汽車道)」(かながわの橋100選)によると、この橋の正式名称は「港第一橋梁」といい、明治42年の架設とのことです。

FI2617829_5E.jpg汽車道をくぐり、高層ビルが天を突く、みなとみらいの横を通って、帰路につくことにしました。帰りのコースはもちろん、京浜運河から、海老取川を経由する、いつもの内水ルートで…。

堀割川、中村川、大岡川と、横浜を代表する3つの可航河川を堪能していたら、すでに日は傾き、ビルばかりでなく、航跡も夕焼けに染まる時刻となってしまいました。

美しく整備された古い橋たち、数多く残る物揚場の跡、繋留船の船影にぎやかな沿岸…。東京とは違った、港町ならではの雰囲気があふれた川景色は、他の都市ではなかなかお目にかかれない、貴重なものだと思います。
繋留船の問題など、難しい点は多々ありましょうが、横浜特有のこの風景が、少しでも永く、この街の川に在ることを願っています。
撮影地点のMapion地図


(19年8月12日撮影)

8月12日の項の参考文献
川の町・横浜 ミナトを支えた水運 横浜開港資料館
復刻古地図 昭和4年 大横浜市交通地図 人文社
吉田新田ができるまで 横浜市歴史博物館
広瀬始親撮影写真 横浜ノスタルジア 昭和30年頃の街角 横浜都市発展記念館

(この項おわり)

横浜の川をめぐる…17

(『横浜の川をめぐる…16』のつづき)
FI2617828_1E.jpg京急の日ノ出町駅にほど近い、横浜駅根岸道路を渡すコンクリートアーチ、長者橋。
表面に石張りの装飾を施したその姿は、大岡川の橋の中で、もっとも風格あるものと言ってよろしいでしょう。

残念ながら資料が乏しいので、その来歴はわかりませんが、電車の高架線を間近に望む、繁華街を流れる川に架かるコンクリートアーチ、というシチュエーションは、往年の数寄屋橋を思い起こさせるものがあります。水辺があったころの銀座も、こんな素敵な雰囲気だったに違いありません。
撮影地点のMapion地図

FI2617828_2E.jpg長者橋を過ぎると、河道は右に向きを変え、再び左へ曲がる地点にあるのが、宮川橋。

水面から見ると、両岸の並木が川に向かって枝を垂れ、鬱蒼とした感じがします。宮川橋の前に架かる水管橋にも、蔦がからまって、街中ながら緑の濃い風景です。


FI2617828_3E.jpg街歩きのお好きな皆さんには有名な、都橋商店街の飲み屋さんコロニー(笑)を、上流側から見たところ。
このギッシリ具合を、最初に見たときは私もビックリでしたが、一杯機嫌で店を出たら、そこは川の上、というのも、なかなか乙なものではないでしょうか。

あっ、ここもかつての船着場の上にかさ上げして、建てられているのですね。飲み屋さんで、桟橋を備えるところが出てきたら、楽しいでしょうね。

FI2617828_4E.jpg都橋の高欄にも、例の標語が…。

ハイ、ごもっともでございますです。





FI2617828_5E.jpg新横浜通りの、桜川橋。いよいよ河口も間近に迫り、この先は短い区間に、たくさんの橋が架かっています。

桜川橋のすぐ向こうは、かつては、左に桜川(昭和29年埋め立て)、右に派大岡川(昭和52年埋め立て)が接続した、十字流でした。
桜川は、根岸線沿いに、現在の桜川新道のコースを直進し、高島町駅付近で、いったん西に向きを変えてから、石崎川に接続していました。
撮影地点のMapion地図

(19年8月12日撮影)

(『横浜の川をめぐる…18』につづく)

横浜の川をめぐる…16

(『横浜の川をめぐる…15』のつづき)
FI2617827_1E.jpgこのあたりは、いわゆる特飲街。間口の狭い、それらしい造作の店が並ぶ街並みが、川面からも望めます。

洲崎といい、吉原といい、かつての「岡場所」には、川や運河と縁のあるところが多いですね。



FI2617827_2E.jpg末吉橋。高欄と桁の側面が、一体になっているようなデザインが印象的です。

しかし、このあたりの橋は、親柱がどれも立派ですね。これも旧橋のものを転用したのでしょうか。


FI2617827_3E.jpgぐっと左に曲がった河道を進んでゆくと、正面にランドマークタワーが見えてきました。並木の濃い緑も心地よく、水深には不安なし…ただ、暑さだけがコタエます(笑)。

3径間の桁橋は、黄金橋。橋脚の形と、最近改修を受けたと思しき、桁の装飾がちょっとアンバランスです。
撮影地点のMapion地図

FI2617827_4E.jpg手前に人道橋が併設された、旭橋の左側に…おお、船着場がありますね。

東京の川にくらべて、この種の施設は少ないようでしたので、珍しく思って近寄ってみました。


FI2617827_5E.jpg赤レンガの壁が、最近の船着場としては珍しく、小洒落た(?)雰囲気です。
壁面の中央に、ぽつんとかかっている小さなプレートには、「川の駅 大岡川桜桟橋」とありました。「マニアックお散歩マップ川の駅『大岡川桜桟橋』」(ワイ・ケイ・ハウジング株式会社)によると、平成19年の3月に竣工したとのこと。まだ、完成間もない船着場なのですね。

水平部分は、満潮時になると、冠水する造りになっているようです。中央部の低さや、スロープがあるところを見ると、動力船の接岸場所というよりは、カヌーやローボートなどを揚げ降ろしするのに、便利そうな構造ですね。出入り口のゲートは、東京のそれと同様、鎖錠されているようでした…。
撮影地点のMapion地図

(19年8月12日撮影)

(『横浜の川をめぐる…17』につづく)