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初めての綾瀬川…5

(『初めての綾瀬川…4』のつづき)
FI2617835_1E.jpg荒川と別れて初めての橋、中の橋を上流側から。桁側面に書かれた橋名は、すっかりかすれて、判読が困難なほどです。

下流部の橋だけ見て、判断するのは良くないとは思うものの、私が見た限りでは、綾瀬川の橋は橋名が書いてあるものが少なく、他の川の橋にくらべて、今ひとつ愛想がないように感じました。

FI2617835_2E.jpg首都高中央環状線と、6号三郷線が分岐する、小菅ジャンクションの下に架かる橋は、平和橋通りを渡す、新水戸橋。

もっとも下流側からは、赤い桁の人道橋と、トラスの水管橋にさえぎられて、新水戸橋はほとんど見えません。
撮影地点のMapion地図


FI2617835_3E.jpg上流側から見た新水戸橋。ここの地図を見ると、小菅ジャンクションが頭上につくる、三角形のほぼ真ん中に橋が収まっており、幾何の授業で見せられた図形を思い出します。

このあたり、繋留船がぱらぱらと見られますが、ここから上流は、船影が全く絶えてしまいます。そのわけは…まあ、コレ(下写真)があるからだと思うのですが…。

FI2617835_4E.jpg「ものすごく低い橋その①」、水戸橋です。

桁をかなり中高にして、舟航は考えてはあるものの、両端の路面は完全に計画高水位の下にあり、コンクリート堤防を割って、道が通っています。増水時は、陸閘(防水扉)で塞がれる構造なのでしょう。

この橋、かつてのメインストリート(都道)にあたり、創架は明治34年と古く、現在の鋼桁橋は、昭和30年に架けられたものだとか。
コンクリート製の橋脚を、鋼材で頑丈に補強してあるのを見ても、水没したときの流圧の激しさがしのばれます。
(参考:『写真で見る江戸川の横顔Ⅱ 今月の特集:綾瀬川の今昔を追う月刊Web広報誌E-na

FI2617835_5E.jpgご覧のとおり、相当な低さではありますが、特に恐怖感もなく、余裕しゃくしゃくでくぐりました。

通過時間は10:54、推算潮位は121㎝で、2m弱と見える桁下高がとれるのなら、江東内部河川の低い橋たちにくらべれば、何ほどのこともありますまい!(と、得意げになるほどのことじゃないですね、ハイ)
撮影地点のMapion地図


(19年9月16日撮影)

(『初めての綾瀬川…6』につづく)

タイトル画像集…15

FI2617836_1E.jpg葛飾区、綾瀬川、綾瀬水門。19年9月16日撮影。
19年9月24日~10月1日掲示。





FI2617836_2E.jpg江東区、新砂水門付近。19年9月16日撮影。
19年10月1日~10月7日掲示。





FI2617836_3E.jpg葛飾区、新大場川水門。19年5月27日撮影。
19年10月7日~10月14日掲示。







FI2617836_4E.jpg足立区、隅田水門。19年9月16日撮影。
19年10月14日~10月20日掲示。







FI2617836_5E.jpg葛飾区、綾瀬川、綾瀬水門。19年9月16日撮影。
19年10月20日~10月26日掲示。






初めての綾瀬川…4

(『初めての綾瀬川…3』のつづき)
FI2617834_1E.jpg荒川を渡ってきた、首都高6号向島線は、綾瀬川上空の堀切ジャンクションで、中央環状線と合流します。

都内の川ではおなじみ、頭上に曲線が交錯する風景を眺めながら、ゆるゆる進みます。首都高の下に見える青い桁橋は、堀切小橋です。
撮影地点のMapion地図


FI2617834_2E.jpg短いトラス橋、京成電鉄本線の綾瀬川橋梁を、上流側から見たところ。
この橋、昭和6年の竣工といいますから、現在の綾瀬川では、最も古い橋なのではないでしょうか。(参考:『歴史的鋼橋: T5-127 綾瀬川橋梁歴史的鋼橋集覧

このすぐ下流に平行している、堀切橋ですが、撮影に失敗してしまいました(泣)。修理に出したのに、カメラの調子が悪いなあ…。

FI2617834_3E.jpg綾瀬水門の横を通過。こちらも中川水門同様、荒川に向かう流れが、結構な速さで吸い込まれています。帰りはちょっと、スリリングな通過になりそう…。

ここから上流が、本来の意味での「初めての綾瀬川」。やはり、ワクワクしてきます。



FI2617834_4E.jpg綾瀬川は、このあたりから荒川のかたわらを離れ、ほぼ真北に向かいます。風はますます強く、ちょっとでも舵を当てすぎると、斜めに艇が持っていかれますから、油断できません。

正面に見えるのは、綾瀬排水機場。綾瀬・堀切菖蒲水門が閉じられた時には、ここから荒川へ排水するようになっています。
撮影地点のMapion地図

FI2617834_5E.jpg排水機場の上流側には、何やらゴツいプラントらしきものが。
手前の濃い緑と、雲が浮かぶ青空に囲まれた、金属質の構造物…。なかなか絵になります。

隣は小菅の下水処理場ですので、関連施設でしょうか。


(19年9月16日撮影)

(『初めての綾瀬川…5』につづく)

初めての綾瀬川…3

(『初めての綾瀬川…2』のつづき)
FI2617833_1E.jpgこちらも避難橋を名乗る、堀切避難橋。東四ツ木避難橋と同様、黄色く塗られているのは、緊急時に役立てる橋、ということで、警戒色として選ばれたのかもしれません。

ご覧のとおり、斜めにかしいだ形で、架けられているのが変わっています。
撮影地点のMapion地図

FI2617833_2E.jpg下から見上げてみると、天板に八角形の窓が開けられた形になっており、面白い造形です。これも、水平方向の強度を、分担している部材なのでしょうか。

中央に電光掲示板を備えているのは、すぐ上流に、堀切菖蒲水門を控えているからでしょう。
形式は、鋼ローゼ橋…で良かったかな?

FI2617833_3E.jpg堀切避難橋のすぐ上流、東岸にひっそり息づいていた、黒いゲート2径間の樋門。地味な存在ですが、武骨な外観には惹かれるものがあります。

この向こうには、都下水道局の堀切ポンプ所があるので、その排水口を守るためのものでしょう。



FI2617833_4E.jpgタイトルで全体像をお見せした、堀切菖蒲水門の東側支塔です。首都高の高架下にしっくりと収まり、遠目にはまるで、料金所のようですね。

巨大な窓の部分、内側からの眺めは良さそうですが、陽が当たったときは温室状態になりそう…(ん? 以前も似たようなことを書いた気が。)
撮影地点のMapion地図

FI2617833_5E.jpg以前、「9月2日の川景色…2」で、このゲートの形式がよくわからず、首を傾げていましたが、今回よくよく観察したところ、どうやら、シェル式二段ローラーゲートらしいことが判明。

つまり、ゲートの構造を板ですっかり覆い、箱状にした形式で、円筒状と見えるゲートは、実はカマボコ型の扉が二つ合わさったもので、それぞれ別々に上下できるのです。
形こそ違え、構造としては、北海道の篠津運河水門(過去の記事『篠津運河水門』参照)と、同様のものといえるでしょう。

(19年9月16日撮影)

(『初めての綾瀬川…4』につづく)

初めての綾瀬川…2

(『初めての綾瀬川…1』のつづき)
FI2617832_1E.jpg背割堤の上には、白雲の流れる青空ばかりが広がり、建物の姿が見えないため、左だけ見ていると、まるで大陸の中を走っているよう。

まあ、背割堤の向こうは荒川なので、建物がないのは当然ではありますが、こうしてここだけ切り取ってみると、都内の川とは思えない風景です。

FI2617832_2E.jpg木根川橋に差しかかりました。う~ん、写真の上がりが今ひとつ…。

実は、室内で撮影した後だったので、露出補正をかけたまま、元に戻すのを忘れてしまい、光量過多のものが多くなってしまったのです(泣)。若干マシな写真は、予備として持ってきた、旧型機で撮ったものです。
ただでさえ、写真の腕が良くないのにと、帰宅してから愕然としましたわ…。
撮影地点のMapion地図

FI2617832_3E.jpgこのコンクリート桁橋は、京成押上線・綾瀬川橋梁…でいいのかな?

荒川と綾瀬川を渡る橋は、一本として扱われることが多いので、このあたりよくわかりません。このすぐ右には、四ツ木の駅があります。
撮影地点のMapion地図

FI2617832_4E.jpg手前が新四つ木橋、その向こうの3径間の桁橋は、四つ木橋です。

新四つ木橋を渡った墨田区側は、江戸時代の運河・曳船川が道路化された、曳船川通りです。荒川が開鑿される以前、曳船川は、ほぼこの橋のルートを流れていたのでしょう。

FI2617832_5E.jpg国道6号線・水戸街道を渡す、四つ木橋。
ちょっと古い雰囲気の橋台地と、リブの多く出た鈑桁がいい感じです。

この橋の荒川側は、かつてたくさんの橋脚を持った、長大な木製桁橋でした。架けかえられる直前、昭和44年の旧四つ木橋の写真は、「旧四つ木橋撤去工事が始まる」(墨田区HP写真で見るすみだの風景)で、見ることができます。
撮影地点のMapion地図


(19年9月16日撮影)

(『初めての綾瀬川…3』につづく)