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東京の水路探索に絶好の資料が!

FI2617731_1E.jpg以前、ウェブ上をうろついてたら、東京の水路探索や、土木に関心のある方の研究にも役立つ、絶好の資料があるのに気づきました。

すでに先日、「新呑川…5」のコメント欄で、はじめさんとお話した時に、ちょっと触れましたので、ご覧になった方もおられるかと思いますが、大変興味深い資料ですので、改めてご紹介します。

平成17年度 基幹的広域防災拠点のネットワーク化に資する河川舟運の活用に関する調査研究 報告書」という、実に長いタイトルでもおわかりのように、直下型地震など、大規模災害が首都圏に起こった際、河川水運をいかに役立てるか、というテーマのもと、水路の状態や船腹量など、現状を調査して報告、提言を行ったもので、平成18年3月の発表となっています。

以前、リンク集でもご紹介した、「船舶の河川航行に関する調査研究報告書」(日本財団 図書館)と同じく、社団法人・日本海難防止協会によるもので、やはり日本財団の助成によって作成された、言わば続編的なものと言って良いでしょう。
ファイルは以下のとおりです。すべてPDFで、容量がかなりあり、また、一部の図版には大きな判型のものがあるため、ご注意ください。(『その1』~『その3』は、私が便宜上つけたものです。)

その1(9.39M)表紙・目次など6ページ+1~311ページ
その2(14.27M)312~381ページ
その3(571.6K)383~391ページ+結言1ページ

土木や船に興味のある者にとっては、面白い記事ばかりなのですが、この中で、特に関心を持ったのは、「その1」の、39~106ページにある、河川や運河の図版集でした。

1河川に1ページで、ごくラフなものながら、まず図版で位置と区間、船着場があればその場所を示し、図版下の表組で、水深・橋梁桁下高さ・可航幅、それに船着場の名称、特記事項を明記しています。

なお、水深の値はA.P.±0m基準、橋梁桁下高さは最高潮位であるA.P.+2.1m基準、可航幅は原則として川幅ですが、橋脚がある場合はその間隔、となっています。ただし、水深については、「データ上水深1m未満」とされている場所も、航路幅すべてがそうなのではなく、一部に浅い部分がある、というだけの場合があるようです。

というわけで、軽く興奮しつつ(笑)読み進むうち、「おや、そうだったのか!」「う~ん、過去の記事を訂正しないと…」と、喜んだり、眉間にしわを寄せたりする下りが、続々と出てきました。
(過去の記事の追記・訂正については、必ずやりますので、しばらくお待ちくださいね!…笑)

例えば、名称だけ拾ってみても、過去の記事「昭和島をめぐる…1」で、平和島運河の一部と思っていた、北方の水路は「ガスミオ運河」(77ページ)、海老取川の北半分(上の写真)、航路幅のある区間は「海老取運河」(76ページ)、それになんと、船の科学館南側、宗谷と羊蹄丸のもやう水面が、「有明南運河」(75ページ)などなど、まあビックリというか、意外な事実の連続でした!

これも、管轄の官庁に問い合わせれば、すぐに判明することなのかもしれませんが、やはり、ウェブ上で、誰でも見ることができるようにした意義は、非常に大きいと思います。

ちょっと驚いたのは、外部から船が入ることのできない河川である、新川(55ページ)が、航路として収録の対象になっていること、また、小名木川の東半部ほか、江東区の水位低化河川が、実際の水位を考慮されておらず、「最小水面上高さ1.1m」などと書かれ、しかも「その他」欄に、特記事項のないことでした。

新川の記事を見たとき、「やっ、近いうちに、航路として開放する予定でもあるのかな?」と、ヘンな期待をしてしまいました(笑)。まあ、単に、実地に調査したわけではなく、治水上のデータを見て収録した部分もある、ということなのでしょう。

江東区の部分については、凡例に記された、A.P.高を規準とした表記から見れば、確かに間違いではありません。しかし、いざ震災となったとき、「ここは船が通れそうもない」と思われては、それこそ、この報告書の本来の目的から見ても、愉快ならざることでしょうから、ぜひご一考いただきたいと思います。

私は現在、とりあえず、「その1」の39~106ページをプリントアウトして、製本して使っています。
冊子にすると実感するのが、河川図をページ立てした順番が、ランダムと言っていいほどで、少々使いづらいことです。せめて地域別になっていれば、と思ったのですが…。

そこで、巻頭ページにある、「収録河川・運河名」の表に、ノンブルを自分で入れて、インデックスとしてみました。表中の河川名は、ほぼページ立てと同じ順番になっているので、ノンブルを入れると目次になります。お試しください。

まあ何より、本来意図された目的とは、全く違う方向で活用するという、よこしま(笑)な使い方をするわけですから、少々の難点は、ガマンしなければなりますまい。

川や運河を走るという、趣味を始めてからこの方、参考になる本や記事というのは、ほとんどが釣り(ボート雑誌の記事にしても、釣り関連が多いです)か、土木関連の本の中にポツポツ現れる、役に立ちそうな記事…言ってみれば、「おこぼれ」を、丹念に拾い集めてなんぼ、というのが当たり前でしたので、むしろ、このくらいの手間でものになる資料なら、ありがたいくらい、というのが正直なところです。

ともあれ、河川の図版以外にも、東京の河川を走る船舶リストなど、その筋の愛好家には、楽しめること請け合いな記事が、盛りだくさんの報告書です。ぜひご一読をお勧めします。

最後になりましたが、この報告書を作成された、社団法人・日本海難防止協会の方々、助成・発表された日本財団に、敬意を表したいと思います。ありがとうございました。

(写真は海老取運河、19年4月29日撮影)

【5月27日追記】5段目、花畑川が通船できない、というのは誤りですので、お詫びして訂正します。

香取神宮

(『津宮』のつづき)
FI2617729_1E.jpg水郷訪問の最後は、香取神宮参拝で締めくくることにしました。

これまで、下利根を三度も訪れていながら、一度もご挨拶していない、というのも失礼な話ではあります。また、江戸時代から水郷観光が盛んだったのも、ひとえに香取・鹿島両神宮の、参拝ルート上にあったことが大きく、水運史ともゆかりの深い存在であることから、何か関連するものでもあれば、との期待もありました。

本殿のある岡のふもと、大鳥居の前の参道は、土産物屋さんや食堂の並ぶ、小さな門前町のおもむき。買い物や休憩はあとにして、まずはお参りです。
撮影地点のMapion地図

FI2617729_2E.jpg大鳥居をくぐると、参道はすぐ登りになり、ご覧のとおり深い緑に囲まれて、深山幽谷といった感じ。玉砂利の敷かれた曲がりくねった道は、神域のムード満点です。

古代、現在の下利根沿岸の低地は、広大な入り海であったそうですから、神宮が創建された当初は、岡のすぐ下までみぎわが迫り、社殿が水面に姿を映していたのでしょう。

FI2617729_3E.jpg豪壮な朱塗りの楼門をくぐると、正面に拝殿が見えました。

他の建物は、朱塗り・唐金葺きなのに比べ、本殿と拝殿のみ白木・桧皮葺きの古式で、全体に黒っぽく見えるあたり、遠く古代からある厳かさを感じさせ、社殿を囲む杉木立の、真っ直ぐな姿と相増し、身が引き締まるような爽やかさがありました。
(詳細は香取神宮HP参照)

FI2617729_4E.jpg参拝を終えて、境内を見回すと、さっそく発見が。どう見ても軍艦の錨です!

近づいてみると、退役した海上自衛隊の練習艦、「かとり」の主錨でした。「かとり」は、先日「4月15日のフネブネ…2」で紹介した、「かしま」の先輩艦です。「かとり」現役時の、歴代の練習艦隊幹部は、遠洋航海の前に、旗艦に名前をいただいた香取神宮を参拝し、航海の安全を祈ったそうです。

この後、宝物館を拝観したところ、旧海軍からの「香取」名を冠した歴代艦の絵や、「かとり」が遠洋航海から持ち帰り、奉納したさまざまな記念品が展示されており、海上守護の神様として、海軍や船乗りとは、縁深いことが伺えました。

そうそう、海軍で思い出しました。写真を撮り忘れてしまったのですが、楼門の掲額は、日露戦争時の連合艦隊司令長官、東郷平八郎の揮毫によるものだそうです。

FI2617729_5E.jpg参拝の後のお楽しみ、小さな「門前町」をぶらぶら。喫茶店では、おいしいアンコ餅をいただき、参道に並ぶ、陶器や漬け物を商う店を見て歩きました。

写真は、「門前町」入口角の、お土産物屋さんのマスコット、九官鳥君。

物怖じしない、とてもおとなしい子で、なぜかしっぽはないものの、毛ヅヤも良くきれいな羽でした。黒い瞳で、道行く人を眺めつつ、盛んに羽づくろい。可愛いなあ…。


ともあれ、色々な発見もあり、好天にも恵まれて、二度目の水郷訪問は大満足でした。美しく、歴史ある風物に囲まれた水路風景…。やはり水郷は、水路バカ(笑)の理想郷であると、この木っ端ブネ船頭、改めて、深く感じ入った次第であります。
やっぱり、自分の艇で思うさま、走りまわってみたいなあ…。

(19年4月30日撮影)

4月30日の項の参考文献
新編 川蒸気通運丸物語(山本鉱太郎 著)崙書房出版
岩波文庫 利根川図誌(赤松宗旦 著)岩波書店
佐原の歴史散歩(島田七夫 著)たけしま出版
水郷の生活と船 千葉県立大利根博物館

(この項おわり)

津宮

(『小野川水門』のつづき)
FI2617728_1E.jpg小野川水門から東へ、約2㎞離れた、香取駅近くの利根川畔、津宮(つのみや)に寄り道しました。
ここは、かつて津宮河岸と呼ばれ、水運が盛んだったころは、南方へ2㎞強の、香取神宮参詣の表玄関として賑わったところ。大水運時代の面影が残る場所として、ぜひ訪ねてみたかったのです。

国道356号線、「香取駅入口」交差点の少し手前、家並に囲まれた狭い道の向こうに、堤防越しにチラリと鳥居の頭が…。あれが浜鳥居か! あわてて引き返し、人影のない道を、鳥居に向かって入ってゆきました。この道が、かつて殷賑を極めた、津宮河岸の表参道…。幾多の参詣者が、この道を踏んで、香取神宮に向かったことでしょう。

FI2617728_2E.jpg堤防には、浜鳥居に向かって階段が設けられており、階段の上り口、右側には常夜灯が、左側には与謝野晶子の歌碑がありました。

常夜灯は、明和6年(西暦1769年)に、主に利根川沿岸に住む講中の人々によって奉納されたものです。
「利根川図誌」(赤松宗旦著)の挿画によると、かつては浜鳥居の近く、参道の中央に立っている情景が描かれており、このことから、利根川を往来する舟の、夜間の航路標識としても、役立ったのではないかと思われます。

与謝野晶子の歌碑は、平成2年に建てられた、比較的新しいもので、「かきつばた香取の神の津の宮の宿屋に上る板の仮橋」という、当地ゆかりの歌が刻まれています。

FI2617728_3E.jpg堤防の上から、浜鳥居と利根川を見下ろしたところ。節一つない、白木の立派な鳥居越しに見る利根川も、小野川河口に劣らない美しさです。

舟で参詣する人々や、津宮河岸を守る住人たちにとっては、この浜鳥居が、実質「一の鳥居」だったのでしょう。(本来の一の鳥居は、他にあるのですが)
江戸時代は、鳥居の周りまで舟入が掘られており、鳥居は水中から立ち上がっていました。当時はもちろん、堤防はありませんから、鳥居のすぐ近くまで、街並みが迫っていたようです。

香取神宮の数ある大祭の中でも、もっとも壮麗な「式年神幸祭」、12年に一度、午の年に行われるお祭ですが、神宮を出た神輿は、ここ津宮から御座舟に乗って出発、大船団を組んで、鹿島神宮の祭神が待つ河上へと向かいます。単なる参道としてではなく、神様の通り道としても、重要な場所なのですね。

FI2617728_4E.jpg正面から一礼の後、鳥居に近づいて、手を触れてみました。
遮るもののない河原で、長い間、日光と川風にさらされて、乾ききった木の肌が美しく、触れた感触もさらさらとして、良質の材であることがうかがえました。

高さ約12m、柱の直径約65㎝だそうですが、節もひび割れもないせいでしょう、非常に大きく見え、その存在感は予想以上でした。


FI2617728_5E.jpg正面、河中に下りる階段から撮ってみました。低い位置から見ると、まさに「一の鳥居」らしい、堂々たる風格があります。

なお、このすぐ近くから、対岸の津宮新田に至る渡船・津宮渡船があり、通学する学童の足として利用されていましたが、平成17年3月を持って廃止されたとのことです。

渡船もなくなった今、舟からこの鳥居をくぐって、香取神宮に参ることは、難しくなってしまったものの、美しく守られている浜鳥居に、かつて門前町として栄えたこの町の、心意気を見たような気がしました。

(参考:岩波文庫『利根川図誌』赤松宗旦著、『佐原の歴史散歩』島田七夫著、『水郷の生活と船』千葉県立大利根博物館)
撮影地点のMapion地図

(19年4月30日撮影)

(『香取神宮』につづく)

小野川水門

(『扇島閘門…4』のつづき)
FI2617727_1E.jpg水路と陸から、十六島を楽しんだ後は、写真の水郷大橋で利根本流を渡って、香取神宮に向かうことにしました。

途中、寄り道して見たいものが、二つありました。今年の初め、「佐原と小野川…3」で舟に乗ったときは、くぐる機会を逃した、小野川水門と、津宮にある、香取神宮の一の鳥居です。

FI2617727_2E.jpg水郷大橋を渡ってすぐ、左に折れて、堤防沿いの道を進むと、河川敷緑地に入る道があり、堤防を上って下りるとそこはもう、小野川水門を望む駐車場でした。

おお、思ったより大きい…。
支塔と巻上機室が、一体となった造りは、何か妖怪の「ぬりかべ」を思い起こさせて、ユーモラスでもあります。

FI2617727_3E.jpg広大な河川敷緑地の、小野川河口に面した部分は、ご覧のように階段状の親水設備になっており、桟橋も2ヶ所作られて、船着場の雰囲気です。

ちょっと風が強くなってきて、ひたひたと波が打ち寄せ、護岸に当たって音を立てています。

FI2617727_4E.jpg丈夫そうな造りの、遊覧船のものらしい、固定桟橋。
柵には「運航中」と大書きされた看板があり、電話番号も書かれていたので、呼んでみたい衝動(笑)にかられましたが、予定もあるので踏みとどまりました。

桟橋の先に見えるのが、佐原で遊覧船に乗ったとき、天候が許せば、あの周りを一周してから帰るはずだった「タヌキ島」でしょう。

FI2617727_5E.jpgヒバリのさえずる声が聞こえる、静かな小野川河口から、利根本流を眺めたところ。
雄大な美しい流れに、高瀬舟の白帆や、外輪蒸気船の上げる煙がいくつも望まれる、かつての情景を想像して、しばらく立ち尽くしていました。

そういえば、浪曲「天保水滸伝」で、「利根の川風たもとに入れて、月に棹さす高瀬舟」なんて一節がありましたっけ…。博徒さえも、舟に乗って往来した大利根、その栄華がしのばれます。
撮影地点のMapion地図

(19年4月30日撮影)

(『津宮』につづく)

扇島閘門…4

(『扇島閘門…3』のつづき)
FI2617726_1E.jpgエンマ側門扉の上にも、登ってみました。しつこいようですが、良い子は決してマネをしないでください(おまえが言うな、と返されると、言葉がありませんが)。

見事に、動力のたぐいが見当たりません。完全に手動です。
手前の軸には、ギヤボックスと説明板らしきものが見えたので、果たしてどう動かすのか、読んでみることにしました。



FI2617726_2E.jpg「ピンジャッキ操作要領」と題された、この説明書によると…ラックを止めてあるクサビを抜き、ブレーキ(おそらく逆転機付きクラッチのこと)を上下いずれかに選択してから、写真下の「手動操作」と書かれた軸に、長いレバーを差込み、ギッコ、ギッコと往復させると、ラチェットの働きで、扉体を上下させられるカラクリのようです。

うわ…、特に上げるときは、大変だろうなあ…。でも、これで、こちらのみ螺旋階段が付いていることが、納得できました。扉体を上下させるためのレバーなど、いくつかの道具を、持って上がらなければならないからでしょう。それに、何回か操作を繰り返して、くたびれて降りてくるときのためにも…。
とても乗船者一人では、閘門通過操作のすべてを、こなし切れないように思えました。

FI2617726_3E.jpgエンマ側門扉から、大割水路側門扉を見たところです。注排水のための、バイパス管らしきものは、見当たらなかったので、扉体自身を細めに開けて、注排水する方式に違いありません。

調査結果(と言うほどのことではありませんが)をまとめると…。構造から見て、船から下りて操作するには、あまりにも無理がありすぎるので、おそらく専従の係員が、1~2名ついて運転する方式なのでしょう。
勝手な想像ですが…おそらく期間限定(例えば、刈入れの時期)で、エンマの水位を低くしなければならない時があり、その時期だけは、時間を決めて係員が出張ってくる決まりになっているとか…そうでも考えないと、この構造は、説明がつかないように思えました。

地上で簡単に操作のできる、スイングゲートやマイタゲートにすれば…、とも思ったのですが、ちょっと考えて、それは難しいだろう、と結論しました。

排水機場で水位を保っている、沖積低地の水路です。機械による排水が止まれば、すなわち背水(逆方向からの水)の水圧に、さらされる危険があります。それに、レバーの回転半径に、大きな面積が必要なこの種のゲートでは、田をつぶさなければならないリスクが生じます。
やはり、支塔にはまって、扉体が上下するゲートの方が、水郷という土地柄にはベターなのかもしれません。

FI2617726_4E.jpg小さく、素朴な閘門の魅力に惹かれて、水郷のど真ん中で、喜んだり、興奮したり、理屈をこねたりと、閘門バカ全開の時間を過ごし、勢いあまって、イケナイことまでしてしまう始末…。
水郷の皆さんに、重ねてお詫び申し上げます。

まるで果てしなく続くかのような、一直線のエンマを眺めて、しばしクールダウン。
ああ、水郷に一艘、サッパを買って置いておきたいなあ……。
そして扇島閘門を通って、このエンマを、思うさま走り回ってみたいです…。

FI2617726_5E.jpg大割水路を、与田浦の方から、サッパが走ってきました。先ほどの船頭さんの話を裏付けるかのように、男性の船頭さんです。

サッパと水郷、いつまでも元気で、魅力的な水路風景を見せてください…。

何回もくどいですが、良い子はマネしちゃだめですよ!!
撮影地点のMapion地図


(19年4月30日撮影)

(『小野川水門』につづく)