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貯木場の水路

(『3月4日のフネブネ』のつづき)
FI2617673_1E.jpg3月4日に航行した水路で、未紹介の部分を一つ、忘れておりました…。
豊洲にある、現在は使われていない貯木場の、横を抜ける水路です。

春海運河の、晴海・豊洲の間の狭窄区間に入り、廃墟好きの皆さんには有名な、東京都専用線の廃線跡・晴海橋梁をくぐり、右手へ。

FI2617673_2E.jpg豊洲運河への近道のような、長さ350mほどの短い水路に進入。
右手は、高いビルが立ち並ぶ豊洲一丁目、左は貯木場の跡で、コンクリートの高い柵が続いています。写真奥、右には豊洲水門があります。
写真右岸は、ゆるやかな法面の石積み護岸で、小鳥の遊ぶ姿も見られました。
撮影地点のMapion地図

FI2617673_3E.jpgゆるゆる進みながら、貯木場の柵を見たところ。
柵に囲まれた水面は広大で、このまま放置しておくのも、ちょっともったいないような気がします。

マリーナとまで行かなくとも、ブイ繋留の泊地としてでも利用したら、と思ったのですが、いかがでしょうか。

FI2617673_4E.jpg柵を透かして、相生橋と、佃島の高層ビル群を望んだところです。

いつも通っている、いわばなじみの水路なのですが、この角度で写真を撮るのは初めてです。静かな水面に影を落とす、柵の格子模様…何か現実離れした、不思議な眺めでした。


(19年3月4日撮影)

【20年9月14日追記】1~2段目、「晴海運河」は「春海運河」の誤りなので、訂正しました。

(この項おわり)

3月4日の項の参考文献
ゆこうあるこう こうとう文化財まっぷ(江東区教育委員会)
江東古写真館 ~想い出のあの頃へ~(江東区教育委員会)
隅田川の今昔 (鹿児島徳治 著)有峰書店
運河論 (矢野 剛 著)巖松堂書店
江東内部河川通航ガイド 東京都建設局河川部
東京の橋 (伊東 孝 著)鹿島出版会
(古地図)模範 新大東京全図 (原図は昭和8年、九段書房発行)古地図史料出版株式会社
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両国橋の絵ハガキ

FI2617672_1E.jpgこちらも、「榛名号」と一緒に、古本屋さんで入手したものです。
昭和の初めでしょう、震災復興成った東京の名所を、観光バスでめぐるという想定の4枚組みで、当時のバスガイドさんらしい口調のキャプションが楽しく、時代を感じさせます。発行所は記されていませんでした。

うち一枚に、竣工からまだ間もない、美しい両国橋の姿を写したものがあったので、ご覧に入れます。
西岸下流側から撮影したもので、対岸には、「大鉄傘」とも称された、旧両国国技館の威容が望まれます。橋上に目を転じると、この時代としては、結構な数の自動車と、行きかう人々が見え、街道筋らしい賑わいがありますね。

川面の方も、遠景ながら、いくつかの船影が…。
左端に、川越艜(ひらた)らしい和船が、小さな帆を上げて遡行している姿が見えます。行き先は新河岸川でしょうか、それとも戸田河岸でしょうか。帆柱が、なりの割に低いのは、橋をくぐるさい、帆柱を倒さなくとも、通過できるようにするためなのでしょう。

艜の向こう、「ユニオンビール」と書かれた広告塔の近くには、ダシ(桟橋)にもやう、白塗りの汽船がおり、両国橋の下にも、舳先だけのぞかせた、航行中の曳船らしき姿が見えます。

高い建物が少なく、遠方まではるかに望める、この時代の東京のすがすがしさ。復興橋梁としては、むしろ地味な桁橋である両国橋の、これほどまでに圧倒的な存在感…。70年あまりを経て、周囲の風景は一変してしまいましたが、両国橋が、独特の球形の親柱とともに、変わらぬ姿を留めていてくれるのは、とても嬉しいことですね。

浚渫船「榛名号」の写真

FI2617671_1E.jpg何か面白い出物はないかしらと、久しぶりに、なじみの古本屋さんを訪ねてみたら、こんなリーフレットが見つかりました。
一色刷りながら、厚紙の二つ折りで、なかなか立派なもの。写真はその表紙です。

浚渫船「榛名号」――まるで、旧海軍の戦艦のような、立派な名前だなあ…。
惜しむらくは、さらに二つに折られていて、その折り目からちぎれてしまっていることですが、内容が興味深かったので、いただいて帰ることにしました。

FI2617671_2E.jpg「榛名号」の写真です。
煙突のマークからもおわかりのように、東京都の注文によるもの。以前ご紹介した、港湾局の大型浚渫船「雲取」(過去の記事『浚渫船』『バンザイ』参照)の、大先輩に当たる船だったのです。
東京港は、隅田川の運ぶ土砂が堆積して、浅くなるきらいがありますから、この種の船は、つねに必要とされていたのでしょう。

船体の長さのほとんどを、浚渫用のバケットの列が、占めているものものしさは、「雲取」に負けないほどの「鋼鉄の要塞」ぶりですが、ひょろ長い煙突はちょっとユーモラスな感じで、重苦しさを幾分かやわらげているようですね。表紙裏側には、「榛名号」竣工までのいきさつを記した、挨拶文があるのですが、起工が折悪しく開戦後だったため、自治体の注文とは言え、資材の調達、関係各方面との調整に、苦心惨憺したさまが、切々と綴られていました。

昭和17年12月進水後、努力も空しく資材供給の道を断たれて、18年末にはついに工事中断。
「この巨大なる半成品は日夜この神崎川に浮んで吾々の関心と苦痛の象徴でありました」の一文に、関係者の悲痛な心中が描かれています。
戦後、25年1月に至り、ようやく工事再開、同年8月に「戦後最大のバケット船」として竣工。実に8年半もの時間を要した、言わば、難産の船だったのですね。その後の活躍ぶりは、どうだったのでしょうか。

ちなみに、建造元である、大阪・神崎川の油谷重工業ですが、検索してみたところ…神戸製鋼傘下になったのち、平成11年に神鋼コベルコ建機と統合、コベルコ建機㈱となったようです。(『沿革 会社概要KOBELCO 神戸製鋼HPより)

海苔船のペーパークラフト

(『大田区立郷土博物館』のつづき)

FI2617674_1E.jpg大田区立郷土博物館で購入した、5枚組みのペーパークラフトのうち、「海苔親船」を組んでみました。

楽しみながら組んだものの、いざ仕上がったものを前にしてみると、やはり自分の不器用さを呪いたくなるような出来…(涙)。こちらに載せるべきかどうか、考え込んでしまったのですが、恥をしのんでご覧に入れます…。

組み立ての上で、自分なりに、注意した点をいくつか。
折り曲げ指定の線として、点線が印刷してあり、そのまま組むと外見が点線だらけになってしまうので、ディテールが印刷してある箇所以外は、なるべく裏返して組むようにしました。点線が出てしまう部分は、少し荒めのサンドペーパーを筒にして、なでるようにこすって消すと、よいと思います。
接着剤は、いくつか試してみて、事務用の口紅タイプ糊を使いました。紙が割と薄手なことから、水気のあるものでは、紙がたわんでしまうと思い、セメダインCも試したのですが、乾いてもあまりカサが減らず、乾燥が速すぎて位置合わせが難しいようです。

…まあ、いろいろとこだわってはみたものの、差し板(船べり)が、ご覧のとおりへろへろになってしまい、だらしのない姿になってしまったのですから、何をか言わんやです(泣)。

FI2617674_2E.jpgこのペーパークラフト、前述のとおり5枚組みで売られています。和船は、中・小のベカと、海苔親船の3種。
飛行機は「玉井式日本号」という複葉水上機、それに、昭和13年に長距離周回飛行の世界記録を樹立した、「航研機」の2種。飛行機は二機とも、大田区にゆかりの深いものです。

色上質紙のベージュが、和船の木の色や、布張り飛行機の色のイメージにピッタリで、一色刷りながら、なかなか良い雰囲気です。「航研機」だけ、白地に二色刷りなのは、この飛行機が、真紅の翼をトレードマークにしていたからでしょう。

いずれも、由来やスペックなどの詳しい説明が付いており、説明部分は折り曲げて、ディスプレイすることもできます。
用紙だけでなく、ディテールや構造にも、相当こだわって設計されているので、決して組みやすい構造ではないものの、うまく完成したときの喜びは、格別でしょう。
題材の珍しさや、細部のこだわりぶりに、企画・設計した方の、情熱を見る想いがします。

情けない結果に終わりましたが、久しぶりに軽工作を楽しみました。皆さんもいかがでしょうか。

(この項おわり)

大田区立郷土博物館

FI2617670_1E.jpg先日、がーちゃんさんのブログ(がーちゃんフォトアルバム)にお邪魔したら、「大田区立郷土博物館 その3」で、素晴らしい和船の展示や、ペーパークラフトが紹介されていました。都内に、こんな熱いスポット(笑)があったとはつゆ知らず、3月11日、勇んで大田区立郷土博物館を訪ねました。

西馬込の駅から、閑静な住宅街をしばらく歩くと、ゆるい坂の途中、右手に博物館の白い建物が現れました。
(詳細は『大田区立郷土博物館のご案内大田区HPを参照)

FI2617670_2E.jpgまずは3階に上がり、昔の暮らしや手工業、また、かつて大田区の重要な産業であった、海苔養殖の歩みについての展示から拝見。

写真は、明治16年7月10日の日付が入った、たたみ一畳ではきかない大きさの奉納額。古びて見えますが、諏訪神社にあったものの複製だそうです。

海苔篊(のりひび)の列が、はるか沖合いに広がり、岸には収穫を降ろしているのでしょう、数艘のベカ舟がたたずみ、浜では女たちが、乾し台に海苔簀(のりす)を並べて海苔を干している…。

江戸前の海らしく、彼方には弁才船(大型商船)の行き交う姿も描かれるなど、かつての東京湾における、海辺の生活をあますところなく描写していて、惚れ惚れと見入ってしまいました。明治時代は、江戸時代から続く内航商船の全盛期でもあり、たくさんの大型和船が、全国を往来していました。この絵からも、その賑わいの一端がうかがえます。

海苔養殖に関する道具類のコレクションも圧巻で、国の重要有形民俗文化財にも、指定されているとのこと。海苔関連の展示は、最も力を入れているのでしょう、非常に詳しく、丁寧に見てゆくと、1日では足りないほど充実している、と言っていいほどの「読ませる展示」なのが印象的でした。

和船関連では、ベカ舟の実物や、海苔親船(ベカを数艘搭載、漁場に運搬するエンジン付き母船)の立派な模型があります。ベカというと、どうしても浦安(過去の記事『浦安市郷土博物館…1』を参照)を思い出してしまいますが、同じベカでも、地域や用途によって、さまざまな形式があり、大田区のものも浦安のそれとは、だいぶ異なります。

展示の記事を読んでいて、ハッとした記事が一つありました。長くなり恐縮ですが、備忘録を兼ねて…。

昭和3年3月の、東京日日新聞の「京浜沿岸の漁民 けさ府庁に押かく」という記事の一部とともに、以下のような解説がありました。
横浜港と東京臨海部を結ぶ、京浜運河の工事は、昭和2年(西暦1926年)に計画されたものの、東京側は海苔漁民の反対運動により、着工が大幅に遅れて昭和14年にずれ込み、そうこうしているうちに戦争が始まり中断され、神奈川県側と、現在の品川区勝島の部分のみ完成。戦後は運河外側の埋立てが進み、現在に至った、というエピソードです。

京浜運河は、以前ご紹介したように(過去の記事『京浜運河を散策する…1』以下のシリーズを参照)、東京側と神奈川側に、同名の運河があるものの、その性格、規模とも異なります。
神奈川側が、本船が入れる港湾運河なのに比べ、東京側は幅・水深ともに少なく、橋も架かり小型船しか運航できません。しかも京浜運河は、羽田~多摩川間で分断されています。

京浜運河の計画が、古く明治からあり、ことに関東大震災後、水運の重要性が再認識されてから、にわかに現実味を帯びて、昭和3年、京浜運河株式会社により、7ヵ年での建設計画が提出されたいきさつは、矢野剛の「運河論」(過去の記事『あの本が!』を参照)にも書かれています。
しかし、なぜ現在の京浜運河が、東京と神奈川に分断されているのかは、史料に恵まれず謎のままでした。今回、その謎が氷解して、胸のつかえが取れたような、すっきりした気分になったものです。
このことだけでも、来た甲斐がありました!

FI2617670_3E.jpgもう一つ、腕組みして、しばらく飽かずに見入ってしまったのが、この展示です。

写真では、ちょっとわかりにくいかも知れませんが、床一面に大田区周辺の地図が貼ってあり、六郷用水と、二ヶ領用水の流路…それも膨大な数の分水路までが、各ポイントの写真とともに、地図上に記されているのです。
地図はコーティングされているので、上を歩いてじっくり見ることができます。

大田区周辺の、特に臨海部は、真水に乏しい地域でしたから、稲作や飲料水の確保のため、このような用水の整備に、力が注がれたのでしょう。
現在は、一見名もない排水路のようでも、昔は貴重な水利設備だったというのは、珍しいことではありません。貴重な土木遺産として、大切にされるといいですね。

FI2617670_4E.jpg2階の屋外には、ビニールの上屋を掛けられて、エンジン付き和船が保管されていました。

窓際にあった説明板によると、この船は海苔船「伊藤丸」といい、昭和33年の建造。主に千葉県沿岸にあった、養殖海面までの往復に活躍した後、持ち主が変わり、釣り船として使われていました。改造箇所が少なく、海苔船としての原形を留めているため、平成10年に、当博物館に搬入されたそうです。

ひととおり展示を見て、1階で本やペーパークラフトを購入した後、「2階の船、見せていただけるでしょうか」と、お願いしたら、快く扉を開けてくださいました。何しろ、実際に使われていた船ですから、相当痛んではいるものの、船底に見えるフナクイムシの痕や、腐食した銅の釘隠しなどが生々しく、かえって貴重なものに思えました。
なお、撮影は禁止されていませんが、公開には許可が必要ですので、ご注意ください。(私は許可を取っていませんので、ビニールハウス越しの写真のみ)

案内してくださった学芸員の方によると、「この他にも収蔵している船があり、一日も早く、ちゃんとした形で展示したいのだが…」とのこと。和船を研究しておられる方のようで、和船の復元建造では、浦安郷土博物館ともやりとりがあるなどの、興味深いお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

FI2617670_5E.jpg見学を終わって、表に出たら、妙な鳥の鳴き声が…。ふと木の枝を見上げると、なんと大型のインコが留まっているのを発見!
博物館の方の話では、「数十羽、枝にびっしり並ぶときもある」のだそうです。

当館販売の本は、とても面白そうなものが多かったので、お決まりのオトナ買い(笑)。例によって、係の方をてんてこ舞いさせてしまいました…。
見本の前のポケットに、書名を書いた「販売カード」が挟まれているので、現物を持っていかなくても会計ができるという、親切なシステムでした。

展示方法も一見地味で、スペースも限られているものの、内容は実に濃厚で、見ごたえのある博物館でした。興味がある方にとっては、楽しい時間を過ごせる場所になるでしょう。

ご紹介くださったがーちゃんさんに、改めて御礼申し上げます!
撮影地点のMapion地図

(19年3月11日撮影)

(『海苔船のペーパークラフト』につづく)