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日本橋川落ち穂ひろい…5

FI2617591_1E.jpg(『日本橋川落ち穂ひろい…4』のつづき)
常磐橋の公園側橋詰に立つ、史跡説明板です。

あ、さっそく誤植を発見してしまった…(笑)。それはともかく、橋の名の原典が、和歌なのはよいとして、門の名前との違いがいつ生じたのかについて、触れられていません。
ご存知の方、おられますか?

FI2617591_2E.jpg常盤橋防災船着場を、常磐橋上より見たところです。

二段式の固定桟橋で、潮の干満に応じて、上下の桟橋を使い分けます。下段の桟橋が、水中にある時間が長いので、実際使うときになったら、ヌルヌルして危ないのではないかと、いらぬ心配をしてしまいます。


FI2617591_3E.jpg防災桟橋の入口です。厳重に柵をされています。
普段使うためでなく、万が一のときに備えて、建造したのでしょうから、もちろんこれで構わないのですけれども、せっかく立派な桟橋があるのに、一時係留もできないのは、やはり惜しい気がします。
(別に、上陸してナニをする、というわけではないのですが、そこはそれ…)

先日、区議の方とお会いしたとき、このあたりもお願いしておいたのですが…詳しいお話は、長くなるのでまたいずれ。
撮影地点のMapion地図

FI2617591_4E.jpg防災桟橋を、さらに真上の護岸から。向こうは常盤橋です。

下段の桟橋を、柵を外しておいて、大潮の満潮時に艇を乗り上げておき、潮が引いたら、簡単に船底清掃ができるなあ…(笑)などと、すごく不埒なことを妄想してみました。

写真左側に少し写っている、常磐橋~常盤橋間の河畔は、土が露出した更地になっていました。もっとも、すぐにでも工事が始まりそうな気配でしたので、このアングルからの写真も、遠からず撮れなくなるかもしれません。

FI2617591_5E.jpg西河岸橋北詰、蔵造り風の居酒屋を背に立つ、史跡説明板です。一石橋~日本橋間にあった、河岸名のいわれについて記されていました。

以前の仕事で、神田の螺鋲店に何回か伺ったことがあるのですが、もしかしたら、発祥の地は、この裏河岸かもしれないなと、想像しました。

唐突で恐縮ですが、落ち穂ひろいのお散歩は、ここでおしまいです。また機会があったら、航行したことのある河畔をぶらぶらして、面白そうなモノを探したり、史跡をたずねたりして、流域の人々の想いの、ほんの一端でも触れられたらいいなあ、と思っています。
(西河岸橋については『日本橋川…4』参照)
撮影地点のMapion地図

(18年10月22日撮影)

(この項おわり)

日本橋川落ち穂ひろい…4

FI2617590_1E.jpg(『日本橋川落ち穂ひろい…3』のつづき)
竜閑橋のかたわらに設けられていた、説明板です。

もともと竜閑橋が架かっていた、江戸時代に埋め立てられた堀とは、どこにあったのでしょうか。橋の名前が、そのまま川の名前になるあたりは、札幌の創成川に似ています。(Wikipedia『創成橋』を参照。なお創成川については、過去の記事『創成川』をご覧ください)

FI2617590_2E.jpgこちらは、同じく橋の由緒を簡単に記した石碑。

大正15年架設なら、震災復興橋のひとつなのでしょう。確かに、鉄筋コンクリートトラスとは、今日ではあまり見られない形式です。
当時のことですから、錦橋と同様、コンクリート打ちっぱなしの、装飾の少ない橋だったと思われます。


FI2617590_3E.jpg竜閑橋を離れ、JRのガードをくぐって、さらに下流側へ。

新常盤橋交差点の角に、常盤橋防災船着場への、案内標識がありました。あれ? 船着場の最寄の橋は、「常磐」橋…のはずですが、名前は、下流の常盤橋を採ったのですね。
撮影地点のMapion地図



FI2617590_4E.jpg常磐橋に到着。さすがに明治10年の創架だけあって、各所にほころびが目立ちます。

もっとも、親柱や欄干は、後に造り替えたような雰囲気ですね。
(常盤橋、常磐橋については過去の記事、『日本橋川…5』『日本橋川…6』を参照)
撮影地点のMapion地図

FI2617590_5E.jpg外堀通りから、常盤橋門跡公園を望んだところ。橋上は歩道が設けられ、当時から歩行者と、車馬の分離を考えていたことがわかります。

公園には石垣が見え、当時の防御設備である桝形が、一部現存しています。城域への入口の一つであったここは、いわば一種の橋頭堡が設けられた、武装橋の性格も持っていたのですね。


(18年10月22日撮影)

(『日本橋川落ち穂ひろい…5』につづく)

日本橋川落ち穂ひろい…3

FI2617589_1E.jpg(『日本橋川落ち穂ひろい…2』のつづき)
錦橋から神田錦町を川沿いに歩き、神田橋交差点へ。
交差点の東角にあるのは、物揚場跡の石碑です。物揚場とは、武家が管理する船着場のことで、河岸と機能的な違いはありません。

このあたりは、かつての鎌倉河岸ですから、往事は広大な敷地が確保され、「湊」としての機能が維持されていたことでしょう。
撮影地点のMapion地図

FI2617589_2E.jpgこちらは、石碑の隣にある説明板。切絵図も掲載されていて、かつての河岸地が、道を含んだ広場だったことがわかります。

内神田町会は、千代田区で一番新しい町会なのですね。





FI2617589_3E.jpg今回の目玉商品(笑)。なんだと思われますか?

頑丈そうな高い柵に囲われた、コンクリートのトラス構造物が見えますね。
撮影地点のMapion地図


FI2617589_4E.jpg実はこれ、現在は埋められてしまった運河、竜閑川にかかっていた、かつての竜閑橋の一部を、記念に保存したものなのです。

両端には、「龍閑橋」の銘が彫りこまれた、補修の跡がある柱が。かつての親柱の一部でしょうか。
(神田橋、竜閑川については、『日本橋川…7』を参照)



FI2617589_5E.jpgコンクリートトラスの上に、乗っているこれは…。

いにしえの欄干についていたパーツ…ではなく、先住者の黒ネコ君でした(笑)。これはお休み中のところ、大変失礼!



(18年10月22日撮影)

(『日本橋川落ち穂ひろい…4』につづく)

日本橋川落ち穂ひろい…2

FI2617588_1E.jpg(『日本橋川落ち穂ひろい…1』のつづき)
無粋な写真ばかりで恐縮ですが、つづきます…。

川沿いに道がつづくのは東岸なので、そのまま南下し、九段下を過ぎて、清水濠と日本橋川が最も近づく、雉子橋へ。
ここは川幅が、もっとも広くなる地点でもあります。

け…けんもほろほろ? もしや、「けんもほろろ」の原典は、この歌なのでしょうか(笑)?
(雉子橋については、『日本橋川…9』を参照)
撮影地点のMapion地図

FI2617588_2E.jpg首都高の工事の足場が、頭上に迫る一ツ橋。
ここで橋を渡り、皇居側に出ました。

一本の丸太が、橋として架けられるような川幅、ということは、開鑿当時の日本橋川は、実にささやかな細流だったことになりますが…。このあたり、諸説あるようですので、史跡解説の難しいところかもしれませんね。
(一ツ橋、錦橋については『日本橋川…8』を参照)
撮影地点のMapion地図

FI2617588_3E.jpg一ツ橋を渡り、丸紅ビル脇に出ると、門跡の石垣によりそって、こんなモノが…(笑)。

興味のある方は、入会されてみてはいかがでしょうか。





FI2617588_4E.jpg錦橋の南橋詰付近に、こんな看板が。

埋設されているのは、電線のようですが、よく見ると、埋設深度の数字がおかしいような…?
撮影地点のMapion地図



FI2617588_5E.jpg錦橋を、錦町側に渡ったところの植込みに、またしても埋設物の表示が。

営団11号線…この下を通っているのだから、半蔵門線のことですね。
こちらは、A.P.-の数字に、矛盾はないようです。



(18年10月22日撮影)

(『日本橋川落ち穂ひろい…3』につづく)

タイトル画像集…5

FI2617509_1E.jpg臨港消防署、消防艇しぶき。18年8月24日撮影。
8月31日~9月9日掲示。


FI2617509_2E.jpg神田川、聖橋。18年9月2日撮影。
9月9日~18日掲示。



FI2617509_3E.jpg横浜港、山下公園前より大桟橋方を望む。18年9月18日撮影。
9月18日~10月2日掲示。


FI2617509_4E.jpg北海道、篠津運河水門。18年9月30日撮影。
10月2日~21日掲示。




FI2617509_5E.jpg江東区、仙台堀川、亀久橋。18年10月9日撮影。
10月21日~11月1日掲示。