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干潮時にすり抜けろ!…3

FI2617560_1E.jpg(『干潮時にすり抜けろ!…2』のつづき)
仙台堀川に入りました。まずは左に曲がり、西に向かいます。

丁字流に面したこの橋は、藍色のワーレントラス、亀久橋(A.P.+3.3m)です。昭和4年竣工、これも「目印の橋」と言って、よろしいでしょう。東から撮った姿は、タイトルですでにお目にかけましたが、横から見た輪郭が台形ではない、長方形なのが、トラス橋としては珍しいですね。
撮影地点のMapion地図

FI2617560_2E.jpg深川と平野の間に架かる、木更津…ではなく、木更木橋(A.P.+3.7m)。昭和44年竣工のガーダー橋です。

おとなしいスタイルの橋ですが、近づいてみると…。



FI2617560_3E.jpg欄干の中央に、いにしえの材木問屋街の情景を描いた、レリーフが掲げられていました。

欄干そのもののデザインも、弧をなした線と、縦横の線がほどよく調和していて、なかなか素敵ですね。




FI2617560_4E.jpg清澄通りを渡す、海辺橋(A.P.+3.2m)です。詩情あふれるというか、昔をしのばせる名前ですね。この橋をくぐると、右手は清澄庭園です。

仙台堀川の北、小名木川南岸は、海辺新田と呼ばれる、慶長年間に埋め立てられた当時の新開地でしたから、この橋も、そのゆかりがあるのかもしれません。
撮影地点のMapion地図

FI2617560_5E.jpg清澄橋(A.P.+3.2m)です。右岸の清澄庭園と清澄公園は、この橋が渡す道を境に分かれています。

左岸は、かつての工業地帯だったところですが、いまはご覧のとおり、ひっそりとしています。明治5年、ここに、わが国最初の官営セメント工場、「摂綿篤(セメント)製造所」が設立されました。

(18年10月9日撮影)

(『干潮時にすり抜けろ!…4』につづく)
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干潮時にすり抜けろ!…2

FI2617559_1E.jpg(『干潮時にすり抜けろ!…1』のつづき)
お気に入り?の平久水門をくぐり、江東内部河川に進入。ここから「通航ガイド」に表記された、「上空高注意区域」が始まり、図上の橋にはすべて、A.P.高さが記入されます。

この前後はすでに、「ちょっとお散歩…5」で紹介済みなので、省略させていただきます。写真の時雨橋は、A.P.+3.6m。このあたりはまだなんとか、干潮時以外でも通航が可能でした。

FI2617559_2E.jpg旧大島川(現大横川)との十字流を通過し、永代通りを渡す、汐見橋(A.P.+3.3m)へ。

こちらもすでにご紹介しましたが、以前、満潮時に通ったときは、艇のフロントグラス上端と、橋桁の下端との距離が、わずかに数十㎝!
H鋼に打ち込まれたボルトの頭さえ、「引っかかるんじゃないかなあ…」と、えらく気になったものです。

もちろん、今回は余裕がありましたが、H鋼桁の新しい橋は、概して架橋位置も低く、平らで中高に造られておらず、その上桁も厚いため、気を遣う橋が多いのです。
撮影地点のMapion地図

FI2617559_3E.jpg汐見橋をくぐると開ける、明るい雰囲気の直線水路は、旧木場のあたり。

左は富岡2丁目、かつての材木問屋街で、右は木場2丁目。江戸時代以来の、まさに木材の町でした。
昔の地図を見ると、水路とつながった無数の氵入(『いり』、小水路)や、貯木場が掘り割られており、水なくしては成り立たない、土地柄だったことを思わせます。

FI2617559_4E.jpg水面の反射がゆらゆらと映る、高速道路の桁を通して見えるのは、黄緑色のワーレントラス、鶴歩橋(A.P.+3.2m)。昭和3年に架けられた、これも古い橋です。

トラス橋は、プレートガーダーやH鋼のような桁橋より、桁が薄い上、道を支える肋材は、川と平行に並んでいるため、A.P.高の数字が少ない割には、前者よりずっと、頭上の空間に余裕があります。

まだ、都建設局に確かめたわけではないのですが…以上のことから考えて、「航行ガイド」に記されたA.P.高は、「橋の桁下から水面までの寸法」ではなく、「橋上の路面(または何らかの工事基準面)から水面までの寸法」のように思えるのですが、いかがでしょうか。

鶴歩橋の手前左からは、かつて油堀川(油堀)が分岐しており、隅田川まで貫いていました。昭和53年に埋立てられ、現在はご覧のとおり、頭上の首都高速9号線が、ほぼ同じルートを通っています。
鶴歩橋もまた、丁字流を示す「目印の橋」だったのです。
撮影地点のMapion地図

FI2617559_5E.jpg葛西橋通りの、大和橋(A.P.+3.2m)に来ました。橋の向こうは、仙台堀川(旧仙台堀)との丁字流です。

なお、このあたりは、橋に向かって浅くなっていますので、心配な方はエンジンを少しチルトアップし、デッドスローで航行されるのをお勧めします。まあ、なにしろ狭い水路ですので、下手にスピードを出そうものなら、すべて反射波として、自艇に帰ってきますが…。

(18年10月9日撮影)

(『干潮時にすり抜けろ!…3』につづく)

干潮時にすり抜けろ!…1

FI2617558_1E.jpgええ…えらく力んだタイトルにしてみましたが、かいつまんで言うと、「低い橋の多い水路なので、干潮の時に通り抜けないと、閉じ込められる恐れがある」だけのことでして…。

この道に詳しい方なら、お察しのとおり、今回はいわゆる「江東内部河川」の、まだあまり紹介していない、西側河川に遊んでみました。

「江東内部河川通航ガイド」(過去の記事、『通航ガイド2題』参照。東京都建設局サイトでもご覧になれます)をお持ちの方はご覧ください。内部河川のうち、西側河川(竪川、大横川、仙台堀川、平久川、大島川、小名木川の一部)は全て、紫色で塗りつぶされています。橋が低いので、通るフネはぶつからないよう、気をつけなさいという「上空高注意区域」の表示です。

橋のクリアランスは、「A.P.+×m」で表わされています。これも、ご存知の方がおられるとは思いますが、改めて…。
A.P.とは、Arakawa Peilの略、「荒川工事基準面」とも呼ばれ、東京は霊岸島の水位観測所で計測した、大潮の最大干潮時の潮位を示したもので、橋や堤防といった、土木構造物をつくる際の基準になるのはもちろん、さまざまな場面で、「高さ」を考える上でのおおもとの一つとしても、活用されています。

つまり、「A.P.+3m」と書かれた橋は、一番潮が退いたとき、水面から3mの余裕ができることになります。もちろん、潮は引ききれば、ほんの短時間で満潮に向かいますから、橋の下の高さは、3m以下である時間の方が、ずっと長いわけですが…。

これからご紹介する、いわゆる西側河川での、非常に低い橋は、茂森橋A.P.+2.3mがトップ。以下、南辻橋+2.5m、菊川橋+2.7m、大栄橋・元木橋の+2.8mが、それにつづきます。
このような、低い橋が多くある西側河川を楽しむには、最大干潮時の少し前に入り、満潮に転じた直後、あわせておおむね2時間ほどで、このエリアを脱出!するように心がけるのが、もっとも安全であることは、言を待ちません。

この伝で行くと、大潮の干潮時が理想的のようですが、そうすると、水深が1mを切ってしまう部分が何ヵ所か出てくるので、別の意味で危険があります。
昔から、ちょいちょい入ってみて、楽しみながら調べた結果、大潮の翌日の、中潮が適しているな、と自分なりに結論しました。(こんな地味なことを、昔からやっております、ハイ…)
あとは天気と休日、それと私の都合に、潮時が合ってくれれば、よろしいわけです。 

まえぶれが長くなりましたが、今回の出発点は…東雲北運河、豊洲運河、辰巳運河の交差点にほど近い、平久川の最下流部(旧平久運河)です。

本日、10月9日(月休)の潮は中潮。大潮の翌日で、前々日の大雨と、前日の強風がウソのように晴れ渡る、快晴・微風と、理想的な西側河川日和(笑)!
本日の干潮は12:06、満潮17:45です。現在時11:05、タイミングもバッチリ、さて、久しぶりに江東区を縦走とまいりましょうか。背の低いオープントップ艇の、本領発揮です!
撮影地点のMapion地図

FI2617558_2E.jpg静かな水辺を眺めながら、平久川をゆるゆる進みます。第一橋、枝川橋。

A.P.+4.0mの表示がありました。もちろん、まだまだ余裕しゃくしゃく(笑)。
撮影地点のMapion地図

FI2617558_3E.jpg太い水道管越しに見た、白鷺橋。桁下2.1mと、陸上のガードにあるような表記が…。新砂橋もそうでしたが、これは、どう解釈したらよいのでしょうか。

その向こうに、残念ながらガソリンは扱っていないらしい、例の(笑)給油所が見えます。橋をくぐれば、汐見運河との十字流。
水路の交差点って、なんべん通ってもいいものです…。
撮影地点のMapion地図

FI2617558_4E.jpg早朝のテレビで、ライブカメラが映している、首都高ジャンクションとは別の、浜崎橋です。

この先から、唐突に親水護岸が始まるのが見えます。水面に張り出して造られるので、橋の全貌が眺められなくなるのが、ちょっと残念。


FI2617558_5E.jpgこの付近では珍しい、細身のタイドアーチ、白妙橋。昭和12年に架けられた古い橋の一つで、架橋当時は、まだこのあたりは臨海部でした。

向こうにはおなじみ、平久水門があり、汐浜運河との十字流もひかえて、目印の橋としての役割を果たしています。

写真左側、白妙橋西詰には、かつて全国的に見ても珍しい、都立水上小学校がありました。
艀や曳船、高瀬舟など、船を住み家とする人々の子弟に、未就学児童が多かったためにつくられた小学校で、昭和5年に月島に開設、同15年に東京市に移管され、18年には当地に深川分校が設けられました。
生徒の自宅が、つねに移動しているという特殊な事情から、もちろん全寮制でしたが、高度成長期に入ると生徒数が減り、昭和41年には廃校になったそうです。

★水上小学校についての詳細は、「区内散歩 水に生きる人びと(八)」(中央区HP)をご覧ください。

撮影地点のMapion地図

(18年10月9日撮影)

【10月28日追記】1段目および5段目に若干追記しました。
【10月29日追記】5段目、水上小学校の項を追記しました。
【20年1月18日追記】汐見運河との十字流、白鷺橋までは、「平久運河」が正式名称とのことです。

(『干潮時にすり抜けろ!…2』につづく)

石狩川関連の冊子

FI2617557_1E.jpg(『創成川』のつづき)
江別河川防災ステーション(『上川丸に会いにゆく…1』参照)でいただいた、石狩川関連のパンフレット類を8点、ご紹介しましょう。川の博物館でも、同じラインナップが置いてありました。

これらは全て無料配布で、判形はA4判、特記がない限り中綴じ製本、発行年月は記載されていません。

★「川の道 石狩川の舟運物語」 12ページ 発行:(財)石狩川振興財団
唯一、水運をテーマにしたものです。明治14年に就航した、2隻の監獄汽船から、22年石狩川汽船会社の設立、35年命令航路(国庫の補助によって維持される航路)となり、昭和9年に廃止されるまでの歴史が、貴重な図版とともに解説されています。
まだ不明な点も多いのでしょう、物足りない面もありますが、体裁、本文の編集ともなかなかきれいで、よくまとまっています。末尾4ページは、意外に古い歴史を持つ、渡船について割かれており、特に石狩川渡船場(河口近く、安政4年創設)の写真は興味深く拝見しました。

★「石狩川治水の祖 岡崎文吉」 28ページ(内8ページ観音折り) 発行:北海道開発局・石狩川開発建設部
これは、無料なのが申しわけないほど、立派で濃厚な本です。
水運を重視した治水思想や、新しい護岸機材、岡崎式単床ブロックの開発者として知られる、工学博士・岡崎文吉の年賦が、豊富な図版と資料により仔細にたどれ、編集も非常に優れています。

FI2617557_2E.jpg★「江別河川防災ステーション」 (展示案内パンフレット) 観音折り8ページ 発行:北海道開発局・江別市
同館の展示案内ですが、上川丸現役時の魅力的なショット数葉、および石狩川水運の沿革が掲載されており、読ませるパンフレットです。石狩川洪水の年表と、被害の様子もよくまとめられています。

★「札幌河川事務所管内の排水機場と水門」 12ページ 発行:北海道開発局・石狩川開発建設部・札幌河川事務所
こちらは土木マニア垂涎?!かも知れません(笑)。水門と排水機場の写真集です。管内9排水機場、2水門を紹介、少ないページではありますが、美しいオフィシャル・フォトで、じっくり堪能できます。

FI2617557_3E.jpg★「時空冒険 治水トラベラーズ マンガでなっとく! 石狩川放水路」 (全4巻) 発行:北海道開発局・石狩川開発建設部・札幌河川事務所
①巻12ページ ②巻16ページ ③巻12ページ ④巻8ページ
年少者向けの、一昔前で言えば「学習まんが」なのですが、素朴な絵柄ながら、とにかく可愛らしいのが気に入りました。
少年少女が、明治37年の大洪水時にタイムスリップして、その時代の人物と一緒に、石狩川の治水に取り組む、というお話です。明治にタイムスリップしたはずが、いつのまにか、昭和も末に作られた、石狩放水路を造るお話になってしまっているあたり(笑)など、突っ込みたいところもあるにはあるのですが、可愛らしいので目をつぶります!


北海道の項の参考文献(上記8点以外)
国土作りの礎 (松浦茂樹 著)鹿島出版会
通運丸と黒田船長 (佐賀純一 著)筑波書林
新編 川蒸気通運丸物語 (山本鉱太郎 著)崙書房

(この項おわり)

創成川

FI2617556_1E.jpg(『石狩湾新港』のつづき)
石狩放水路水門の帰路、人気のない遊歩道を急いでいると、なんと、発電風車の組み建て現場に遭遇。
巨大な風車が、羽の先端にカバーをかぶせられて、地表に寝かされているさまは、なかなかお目にかかれない、しかも大好きな「質量過剰」な風景で、しばらく見入ってしまいました。

もう午後も遅くなり、別の予定もあるので、急いで札幌に戻らなければいけません。ちょっと欲張りすぎた感じもしましたが、順調に予定をこなすことができたこともあり、この半日の、駆け足探訪の戦果には大満足でした。

FI2617556_2E.jpg明けて10月1日は、さらに次の予定があるので、昼前には札幌を離れるという慌しさ…。

札幌駅で列車を待つあいだの、わずかな時間でしたが、かつて、札幌の物流を支えた運河、創成川を見ることができました。写真は札幌駅近く、北五条橋の上より、下流(北)側を見たところです。

二宮尊徳門下の、大友亀太郎によって、慶応2年(西暦1866年)に開鑿された、通称大友堀を原型とし、何度かの改修の結果、完成した創成川は、ほぼ直線状、南北に市街中心を貫き、札幌の市街を形成する上での、原点ともなったそうです。
以前にも触れましたが、途中には、複数の閘門が設けられていたことから見ても、物流の動脈として、重要視されていたのでしょう。

現在は、もちろん運河としての機能はありませんが、札幌駅付近は、写真のように両岸に緑地が残され、河道にも瀬や茂みが見えて、都会の水辺としては、悪くない感じですね。
もう少し下流側に行くと、緑地はなくなり、垂直護岸のみです。両岸に歩道が無いこともあり、溝つき中央分離帯…といった雰囲気になります。

創成川開鑿の歴史については、「郷愁をそそる流れ 創成川」(札幌市北区HP)に詳しく書かれていますので、ぜひご覧ください。

FI2617556_3E.jpg前の写真を撮ってから、周りを見回すと、一本南の交差点に、歩道橋があるのが見えたので、上ってみました。

写真は、北四条通りと、創成川通りの交差点にある歩道橋の上から、上流(南)側を見たところです。ご覧のとおり、暗渠化工事が進行中でした。
資料を送っていただいた、Y先生にお話を伺ったところでは、「最近は創成川も、次第に暗渠化されつつある」ということでしたので、気になっていたのですが、やはり…。

このさらに上流、中島公園を通る部分は、鴨々川と名前を変えており、水は本流である、豊平川から導水しています。
撮影地点のMapion地図

FI2617556_4E.jpg歩道橋に上がると、ひとつ発見がありました。運河として現役のころの、創成川の写真パネルが、設けられていたのです。

両岸の法面が、かなり急角度にもかかわらず、石積みなどの護岸を、全く施していないあたり、いかにも開拓地の水路という感じがします。左側につけられた段差は、曳船道で、船からの曳き綱を体に回した、曳き船人足が歩いた道です。
京都の高瀬舟と、同じくらいの大きさの艜(ひらた)が、人足に曳かれ、何隻も連なって遡行していたに違いありません。

FI2617556_5E.jpg同じ歩道橋の上から、あらためて下流側を眺めてみました。
先ほど写真を撮った、北五条橋が画面中央に見えます。

石狩川水運の、枝水路の一つとして、運河としての記憶を持った水路、創成川。その功績が、末永く顕彰されることを、願って止みません。


(18年9月30日~10月1日撮影)

(『石狩川関連の冊子』につづく)