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石狩湾新港

FI2617555_1E.jpg(『石狩放水路水門』のつづき)
篠津運河水門と同様、石狩放水路水門も支塔側面に、立派な銘板が掲げられていました。青銅色に仕上げられた、渋い雰囲気のものです。

こちらも、扉体部分の諸元表を写しておきましょう。幅/高さは、25×7.3m。重量は上段94.5t、下段105.9t。昭和56年の竣工、製造は石川島播磨重工業です。


FI2617555_2E.jpg石狩湾新港に向かって立つ、放水路の電光掲示板。

「放流を終了しました」…この表示だと、時々放水しているように読めますが、水門は常時閉のようですね。




FI2617555_3E.jpg水門の向こうに見えた、トラス橋が気になって、近づいてみました。

広大な、石狩湾新港を背にする人道橋、名前は望洋橋というそうです。堂々として見えますが、人道橋だけに断面は小さく、可愛らしい感じのする橋です。
海側に回ってみると…。

FI2617555_4E.jpg橋の真ん中に、なにかすごく違和感のある、妙なモノが取り付いているのを発見! 色といい、形といい、橋の造作とあまりにギャップがありすぎ、意表をつかれて、しばし無言に(笑)。

橋の上から近づいてみると、船の形を模した、展望スペースでした。
確かに港が一望でき、説明板もあるのですが、残念ながら中は荒らされ放題で、とてものんびり景色を眺める状況では、ありませんでした。

FI2617555_5E.jpg石狩湾新港の、西側を見たところです。完成して20数年という、若い港だけに、まだ施設も少なく、寂しい感じは否めませんが、大陸方面と、いくつかの定期航路で結ばれている、物流の玄関口の一つであります。

石狩川に放水路を作って、洪水を防ぎながら、放水路の出口を港湾化しようという計画は、早くも明治12年からあり、お雇いオランダ人技師、ファン・ヘントにより、新河口開鑿ならびに新港計画の見込図が、開拓使に提出されたのを嚆矢とします。

現在の石狩湾新港は、昭和48年より工事に着手し、昭和57年に一部の供用を開始したもので、茨城県の鹿島港と同様、入り江のない浜に水路を掘り、埋め立てで埠頭を沖に伸ばした、人工の港です。
(詳しくは、石狩湾新港HPをご覧ください。)
撮影地点のMapion地図

(18年9月30日撮影)

(『創成川』につづく)

石狩放水路水門

FI2617554_1E.jpg(『川の博物館』のつづき)
ほぼ一直線の、石狩放水路沿いの道を、強風を突いてひたすら早足で歩き、河口に向かいます。はるか彼方に小さく見える、放水路水門の支塔が、「おいで、おいで」をしているような気がして…(もちろん、気がしているだけ)。

放水路西岸は、遊歩道を兼ねた公園になっており、所々にベンチや、東屋が散在して悪くない雰囲気ですが、人家もまれな場所柄、水門に着くまで、ついに一人も出会いませんでした。

道や木の枝には、赤トンボがびっしりと留まっており、一歩踏み出すたびに、飛び上がる赤トンボの群れが手や顔に当たるというのも、初めての経験で、急ぎ足の散歩にいろどりを添えてくれました。

FI2617554_2E.jpgふと放水路の水面を見ると、川面を直角に横切る形で、もやもやと泡が沸いているのが見えました。

一瞬、海水と淡水の境目で、潮目のように浮遊物が集まっているのかな? と思ったら、よく見ると、両岸に数本のパイプが備えられ、水中に続いているようです。パイプから泡を出して、水を撹拌する仕組みの、浄化施設か何かでしょうか? 途中2ヶ所に、同じものがあり、帰りに見たら、泡は出ていませんでした。

FI2617554_3E.jpg薄曇の強風にもかかわらず、速足で歩き通したせいか、汗ばんできました。30分ほど歩いたでしょうか。ゆっくりと出港する本船をバックに、ついに水門の全貌が見えてきました!

赤トンボの吹雪(?)越しに望む、石狩放水路水門は、周囲に建物が乏しいせいもあるのでしょう、非常に堂々として、頼もしく見えました。

FI2617554_4E.jpg水門に近づいてみると、釣り人さんの姿がちらほら。放水路を歩いてきて、初めて見る人影です。

篠津運河水門と同様、2径間の2段式ローラーゲートですが、こちらは常時閉の状態なのが違っていますね。管理橋は、臨港道路を渡しており、その向こうの、緑色に塗られたトラス橋は、人道橋のようです。
撮影地点のMapion地図

FI2617554_5E.jpg中央支塔を間近に見たところです。2段式になった扉体の、左のものは水面下に没していて、右のものが半分水面上に出ているようすが、よく解ります。きめ細かな流量の調節ができそうですね。

水面上に出ている方の扉体は、上端にクシの歯状の突起があるのが見えます。越流させる際に、必要なものなのでしょうか。


(18年9月30日撮影)

(『石狩湾新港』につづく)

川の博物館

FI2617553_1E.jpg(『篠津運河水門』のつづき)
篠津運河水門をあとにして、お次は、茨戸川(ばらとがわ)と石狩放水路の分流点にある、川の博物館(石狩川治水資料館)へ…。せっかくの北海道だからとは言え、我ながら欲深な駆け足コースです(笑)。

この博物館は、石狩川を中心とした、流域の治水事業のあゆみ…特に、明治・大正時代の石狩川河川改修に心を砕いた、工学博士・岡崎文吉の事績に、力を入れた展示を行っていることで知られており、また、石狩放水路の管理棟も兼ねています。
撮影地点のMapion地図

詳細は例によって、川の博物館や、石狩川治水史北海道開発局HP)をご覧いただきたいのですが、可航水路の確保を主眼においた、岡崎の「自然主義」と称する治水哲学には感銘を受けましたし、特に直線水路における蛇行現象の研究は、澪筋の断面図も書き残されているなど、まさに目からウロコで、川に艇を走らせる身としても、この上ない資料でした。

東京近辺で、著名な河川技術者というと、まず、岩淵水門とパナマ運河の青山士(あおやまあきら)が、第一に思い出されるのですが、岡崎の功績もそれに劣らず、旧満州の遼河改修に情熱を注ぐなど、その活躍は多岐に渡りました。

FI2617553_2E.jpg写真は、川の博物館の2階から、ズームをいっぱいに効かせて、なんとか撮影したもうひとつの運河水門、志美運河水門。(Mapion地図)手前の水面は、茨戸川です。

茨戸川は、直線化した石狩川の旧河道で、東京で言う旧中川のように、新河道とは切り離されたため、排水と舟運の確保のため、石狩川との間を、志美運河で連絡しました。

志美運河水門は、前項で紹介した篠津運河水門と同じく、増水時に、石狩川からの背水(逆流する水)を防ぐために、建設されたものです。

FI2617553_3E.jpg博物館前の遊歩道から、悠然たる茨戸川の流れを、しばし堪能。

かつて、ここが石狩川本流だったころは、遡行する船は、このつづら折りの河道を通って、上流の樺戸・浦臼、もしくは創成川に入って札幌を目指したのでしょう。


FI2617553_4E.jpg目を左に転じると、国道231号線が横切る、石狩放水路の入口です。

創成川を含む、3本の運河が流入する茨戸川は、志美運河だけでは、石狩川の増水時に排水できず、洪水が起きやすいうらみがありました。そこで、茨戸川から直接日本海に排水できるように建設されたのが、この石狩放水路です。
昭和57年に完成、長さ2,458m、水路幅50m。写真にも写っていますが、入口水面には、ブイを繋いだフェンスが設けてあり、船艇の進入はできません。

FI2617553_5E.jpg放水路沿い、国道の向こう側には、2本の発電風車が間近に見え、ビュンビュンという風切り音が、ここまで聞こえてきます。
なかなか素敵な風景ですが、あいにくの強風と薄曇りの空模様が、凹凸の乏しい周囲と相増して、寂莫たる雰囲気です。

この先に、放水路水門と、石狩新港がある…。
ぜひ、水門を見てみたい!

もう、札幌に戻らなければならない時間が、迫っているにもかかわらず、足は勝手に動き出していました。

(18年9月30日撮影)

(『石狩放水路水門』につづく)

篠津運河水門

FI2617552_1E.jpg(『江別市郷土資料館とレンガの街』のつづき)
地図を見ると、石狩川下流域には、縦横に人工の水路が掘られているのが解ります。江別市郷土資料館の、学芸員の方のお話によれば、この付近は主に泥炭地で、水はけが悪く、そのままでは耕作や居住には適さなかったため、排水のために運河が開鑿された、とのことでした。

各々の水路の沿革については、まだ詳しいことは調べていないのですが、縦横に走る運河を見て、色めき立たないわけがありません(笑)。
時間があったら、運河沿いに走り回りたいところですが、それはさすがに適いませんので、水門だけでも見て帰ろう、と思い、江別から最も近い、篠津運河水門を訪ねました。

写真は、国道275号線の新川橋から望んだ、篠津運河水門。
地元では、単に「運河水門」と呼ばれているのに惹かれて来たのですが、初対面の印象は、期待にたがわず、オレンジバーミリオンの扉体が魅力的な、2径間ローラーゲートでした。正面から見ると、3棟ある巻上機室の屋根が、わずかに右へ傾斜しているのが見て取れます。
撮影地点のMapion地図

FI2617552_2E.jpg管理橋のある側(上流側)の近影は、すでにタイトルでお見せしたので、下流側をご覧に入れます。

周囲は広大な田園風景、堤防の法面も草深く、風の音がするのみの静かなところで(まあ、水門というのは、ほとんどそういうところにあるのですが)、のびのびと楽しめました。
撮影地点のMapion地図

ちなみに、下を流れる篠津運河は、樺戸郡月形町(Mapion地図)から始まり、石狩川から導水、札沼線と石狩川にはさまれた新篠津村を、無数の小水路を分水させながら流れ下り、運河水門のすぐ下流で、篠津川に合流(Mapion地図)して終わります。

これがすべて可航水路だとしたら、雄大な直線航路を、長時間タップリ楽しめそうですね…。

FI2617552_3E.jpg管理橋の上から、南岸に向かって扉体を撮影。

直方体を寝かせたような、シェル式(箱型)ゲートですので、複雑な構造が隠されて、スマートかつ圧倒的です。
管理橋を渡ってみると…。



FI2617552_4E.jpg南側支柱の側面に、真鍮色に輝く、立派な銘板がありました。
昭和62年竣工の、まだ若い水門なのですね。

銘板の下にある、扉体部分の諸元表によると、形式は、積み重ね2段式鋼製ローラーゲート。幅/高さは、上段が25.2×5.6m、下段が25.2×5.51m。重量は上段78.3t、下段118.9t。製造は日立造船・石川島播磨共同企業体とありました。


FI2617552_5E.jpg南岸橋詰には、管理棟とともに小公園が設けられ、水門についての説明板が立っていました。雪のためでしょうか、支柱から板が脱落して、かろうじて引っかかっているような状態です。

図面によると、パイルが打ち込まれた床固(河底をコンクリートなどで固めた部分)を含めると、水門本体の長さは153mにも及び、幅は60.9m。打ち込まれたパイルの多さと深さが、泥炭地の地盤の悪さを、示しているようです。
「事業の目的」によれば、昭和56年8月の洪水で、運河の両岸地帯に水があふれ、被害も大きかったため、石狩川の背水防御施設として、この水門を設置した、とのことです。

直線化され、排水能力は高くなったはずの石狩川も、ひとたび台風が通過すれば、暴れ川であることには変わりなく、もともと低湿地だったこの一帯は、ご苦労が絶えないことが解りますね。

(18年9月30日撮影)

【10月23日追記】1段目、誤字を訂正しました。
【10月27日追記】篠津運河の開鑿については、「石狩川治水史・後編 泥炭地開発の巨大プロジェクトが動き出した」(北海道の川ポータル)に記事があります。

(『川の博物館』につづく)

江別市郷土資料館とレンガの街

FI2617551_1E.jpg(『上川丸に会いにゆく…4』のつづき
防災ステーション見学のあとは、近くにある、江別市郷土資料館ものぞいておこうと、千歳河畔から江別市街へ。

資料館の建物は、明治の洋風建築を、現代風を取り入れて、簡素にデザインしたような、落ち着いた雰囲気で、一階部分の壁面は、レンガが使われています。

受付で来意を告げると、遠来の見学者は珍しいのか、学芸員の方に大変歓迎していただき、地元の方ならではの、興味深いお話を聞かせてくださったり、資料のコピーをしていただいたりと、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

常設展示の内容は、江別市郷土資料館HPをご覧いただきたいのですが、近くに江別古墳群がある関係上、出土した土器のコレクションが充実しています。個人的には、ご当地で一部を生産していた、旧陸軍の戦闘機「疾風」の車輪(つい十数年前まで、馬車の車輪として使用されていた、というのがスゴイ!)が興味深かったです。
撮影地点のMapion地図

FI2617551_2E.jpg資料館の、水運関連の展示です。パネルの地図と上川丸の模型で、石狩川水運の沿革を説明しています。このくらいの大きさの上川丸の模型、欲しいなあ…(笑)。

学芸員の方によると、「防災ステーションの上川丸は、この模型を見て作った」とのことでしたが、模型を観察すると、実物の写真とは異なる部分や、疑問に思える点も見受けられたので、資料が発見される前に、推定で製作されたのかもしれません。「見て作った」と言われたのは、模倣したという意味でなく、影響を受けた、ということなのかもしれません。

FI2617551_3E.jpg水運や船とは関係ありませんが、資料館への道々に撮ったレンガ建築の写真を、3枚ほどご覧いただきましょう。
恥ずかしながら、江別に降り立つまで、ご当地がレンガ生産全国一位ということを、全く知りませんでしたから、街に散在する「古くない」レンガ建築を目にして、驚いたものです。

写真は、郷土資料館の前に建つ、江別市立江別第三小学校の円形校舎。
レンガ建築探訪といえば、はりまんさん(ブログ『さまよえるはりま人』)が思い出されますが、これはどちらかというと、円形校舎の写真を撮り歩いておられる、ぷにょさん(ブログ『まちかど逍遥』)向きでしょうか?
左に続く、普通の校舎も、一部にレンガを使用しています。

FI2617551_4E.jpgこちらは江別駅前、江別市水道庁舎。壁面全体がレンガです。

駅前は、この他にもレンガを活用した建物があり、ロータリー内側の小公園も、噴水・東屋・遊歩道とレンガづくし! 街の玄関がレンガ一色、郷土愛あふれる?光景ですね。聞いたところでは、地元生産のレンガで家などを建てると、詳しくは忘れましたが、税制面での優遇措置があるとか。

FI2617551_5E.jpg個人的に、一番気になったレンガ建築?がこれです。

もとは、隣家と壁を共用していたのでしょう。取り壊された後もこちらの壁だけが残ったさまは、さびしさの中にもユーモラスな感じがして、印象的でした。






(18年9月30日撮影)

【10月29日追記】はりまんさんの「さまよえるはりま人」の記事「9/29 舞鶴散策、煉瓦建造物群・・・ #7」に、トラックバックさせていただきました。

(『篠津運河水門』につづく)