FC2ブログ

神田川…8

FI2617534_1E.jpg(『神田川…7』のつづき)
清洲橋通りが通る、美倉橋。和泉橋から浅草橋まで、上路式鋼アーチが4つ続きます。

北岸は鞍地河岸、南岸は浅草橋付近まで、柳原河岸と呼ばれていました。
撮影地点のMapion地図

FI2617534_2E.jpg左衛門橋。上を通るのも、ずばり左衛門橋通り。しかも、下流側北岸の河岸地も、左衛門河岸と呼ばれていました。
この地点に橋が架けられたのは、明治になってからのことなので、河岸の名前を、そのまま橋名にしたのでしょうか。

ここまでは、繋留船もほとんどなく、その上、橋脚のないアーチ橋が多かったので、気兼ねなく走れる良さがありましたが、この橋の下流からは、屋形船や釣り船の係船地となりますから、当然ながら、曳き波を立てないよう、気をつけなくてはなりません。
船影がにぎやかな水路を、ゆっくり通るのも、フネ好きとしては、楽しみの一つではありますが。

FI2617534_3E.jpgずらり居並ぶ、これらのフネブネが活躍するのは、日も落ちてからのことが多いでしょうから、出船入船の間を縫う、というわけではありませんが、デッドスローで屋形船見物をしつつ進むと、ほどなく浅草橋です。

見る人によっては、情緒薄く、無愛想ともとられる都市河川ですが、このように、こぎれいなフネブネがひしめくだけで、ぐっと風情が増し、眺めても楽しい、水辺の風景になるのですね。今さらながら、生きている水路の風景には、船が不可欠であることを、再認識しました。
東京を水害から守る、排水路としての役割も、もちろん重要ですが、やはり水の道、船がいなくては、始まりませんものね。

FI2617534_4E.jpg頭上に、江戸通りが通るこの橋、浅草寺への表参道に当たることから、浅草橋を名乗ったと伝えられますが、伝統ある橋のわりには、銘板はご覧のとおり。

安っぽくはないのですが、少々小さすぎるようで…。リブの間隔に、寸法を合わせたのでしょうか?



FI2617534_5E.jpg神田川河口に位置する、第一橋、柳橋に着きました。水面に張り出した、船宿が建ち並ぶ、いつ来ても楽しい場所ですが、増水のときは、大丈夫なのかしら…。

隅田川に面する橋だけあって、目標として目立つように作られながら、どこかたおやかな感じのする、下路式のタイドアーチ。かつて、この地で繁栄した、花町の代名詞となっていることでも、知られています。

久方ぶりに、日本橋川~神田川の都心一周コースを、堪能させていただきました。何度走っても、そのたびに小さな、新しい発見があり、また本などで調べるほどに、失われた水路や、途切れなく続く河岸地など、その歴史の長さと面白さに、ますます引き込まれてゆく…私にとってはそんな、興味のつきない水路です。
撮影地点のMapion地図

(ごめんなさい、まだ、もうちょっと続きます。参考文献は、9月2日の項の終わりに、まとめて記します。)

(18年9月2日撮影)

【10月28日追記】千秋さんのブログ「筆の向くまま 気の向くまま 勝手気ままに 徒然雑記」の「柳橋」にトラックバックさせていただきました。

(『9月2日の川景色…1』につづく)
スポンサーサイト



神田川…7

FI2617532_1E.jpg(『神田川…6』のつづき)
柳原神社のすぐ上流、鉄道橋に隣接する位置にある、人道橋、神田ふれあい橋。
建物のすきまからすきまへと、少し窮屈そうなところに架かる橋ですが、ガーダーは天地寸法のある、人道橋としてはなかなか重厚なもので、2ヶ所にベランダも設けられるなど、歩行者への配慮も見られます。

FI2617532_2E.jpg昭和通りを渡す、青い鋼アーチ、和泉橋を遠望したところです。

写真左手前に、下層階がガラス張りのビルが見えますが、この前を通り過ぎるとき、ガラスの内側では、何のイベントか、コスプレ(でしたっけ?)のキレイなお嬢さんたちがたくさんおり、いっせいに「キャ~!!」といった感じで、手を振ってくれました(笑)。
こういう場合は、もちろん全力で応えますとも。ええ、もう(笑)。

FI2617532_3E.jpg和泉橋の上流側、北岸に設けられた、都の和泉橋防災船着場。
ポンツンもかなり大きいですが、護岸を切り込んだ、エントランス部分まで含めると、神田川流域では、最も立派な桟橋施設でしょう。

このあたり、北岸は佐久間河岸、南岸は柳原河岸と呼ばれていました。
佐久間河岸の地名は、和泉橋下流側にのみ、現存しています。柳原河岸の名前は、南岸沿いの柳原通りに残りました。

また、ここの上流側に、秋葉原貨物駅に至る、短い水路があり、駅構内はポンドになっていたそうです。以前も触れましたが、かつてはカサ高な貨物の近距離輸送に、水運を活用していたため、主要な貨物扱い駅は、水運の便が良いところに設けられていました。
撮影地点のMapion地図

FI2617532_4E.jpgここで、和泉橋~美倉橋間で見かけた、小さな水門を二つ。いや、堤防を貫通しているので、樋門と呼んだ方が正確でしょうか。

扉体が全没している、スライドゲート。なんの色気(笑)もない造作ながら、この先に、見知らぬ水の道が続いていると思うと、あれこれと妄想をめぐらしてしまい、興味が尽きません。
このあたりには、かつて浜町川という、南東方向に隅田川まで伸びていた水路があったので、その名残かも知れません。今でもある大和橋、鞍掛橋といった交差点名に、浜町川の跡を、たどることができます。

「日本橋川…7」でもお話しましたが、浜町川は、途中で竜閑川とも接続、町人地の運河の一つとして機能していました。

FI2617532_5E.jpgこれは…スライドゲートには違いありませんが、先ほどのものより、さらに小型で、もはや水門というより、栓…に近いシロモノですね。
もう、水門趣味の極北(笑)。

水門趣味の師匠なる人が、もしいたら「飾り気のない、枯淡さが佳し」となどと、評をつけてくれたりして…。緑のある土の堤防ではなく、コンクリート護岸なのが、枯れた雰囲気に拍車をかけていてまた良い、とか(笑)。

これを、見過ごせなくなったということは…もはや土木好きも、病コーモーに至った(笑)証拠かもしれません。

(18年9月2日撮影)

(『神田川…8』につづく)

神田川…6

FI2617531_1E.jpg(『神田川…5』のつづき)
国道17号線、中央通りを渡すコンクリートアーチ、万世橋。

現在残っている、神田川の橋の中では、最も壮麗な装飾が見られることで知られていますが、これはかつての須田町・万世橋駅近辺が、東京でも有数の繁華街であり、また市電の系統も集中していた、交通の中心でもあったことから、橋上のデザインにも意が用いられたのでしょう。

このあたりも、護岸ぎりぎりまで建物が並びますが、レンガ高架線があるおかげで、高いビルが両岸に並ぶことは避けられているため、比較的眺望の良い橋でもあります。
ちなみに写真左、昌平橋上流から万世橋付近までの北岸は、昌平河岸と呼ばれていました。

FI2617531_2E.jpg同じく万世橋、南橋詰広場の下流側に見える、地下室?です。北橋詰の下流側にも、略同のものが設けられています。

窓の位置からすると、公衆便所らしく見え、実際、現在は地上に公衆便所がありますが、「東京の橋」では、中にはトイレらしい痕跡はなかった、とあります。その後、用途は判明したのでしょうか?



FI2617531_3E.jpg角度が悪かったので、写真ではちょっと解りにくいかもしれませんが、鋼材を組んで作られたと思しき、小さなクレーンがあったので、気になって撮ってみました。

数年前に、万世橋北橋詰の上流側から、ここに移転して来た、万世橋警察署の裏に設けられていたものですが、船から荷役をする必要があって作られたのでしょうか?
繋留設備は見られませんでしたが、水上警察の艇で、なにかを運ぶことがあるのかもしれませんね。
撮影地点のMapion地図

FI2617531_4E.jpg山手線のコンクリート・アーチ。名称は解りません。日本橋川の鉄道橋同様、下流側の橋は、後年の増設でしょう。
シンプルながら、アーチリングと要石の部分だけ、一段浮き出させたデザインが効いています。

再び、両岸にビルがすきまなく建ち並ぶ、都会の大峡谷が続きます。河道はほぼまっすぐになり、見通しは良いので、繋留船の姿が見えないのを確認し、ちょっとだけ増速。

FI2617531_5E.jpg「お狸さま」で知られる、柳森神社。商売繁盛や、勝負事に霊験ある神様として有名です。
(もっとも、『お狸さま』は、境内に併設?された福寿社の祭神で、柳森神社は、五穀豊穣の神様のようですが…)

川や海の近くに、お社をかまえる神社は、珍しくはありませんが、護岸にくっつかんばかりの、船からでもお参りできそうな神社というのも、なかなかお目にかかれない気がします。
撮影地点のMapion地図

(18年9月2日撮影)

(『神田川…7』につづく)

神田川…5

FI2617530_1E.jpg(『神田川…4』のつづき)
昌平橋上流側から左を見上げると、これも橋梁愛好家にはおなじみの、鋼タイドアーチ、総武線の松住町架道橋が。お店や立ち木に邪魔されて、全貌は撮れませんでしたが…。

全長、70数mの巨体でまたぐのは、国道17号と外堀通りの交差点…。というか、二つの道は交差しておらず、「昌平橋交差点」の上で、まるで双曲線のような形で、ちょっと接してから、別れているのですね。
撮影地点のMapion地図

FI2617530_2E.jpgそして昌平橋。この時代のコンクリートアーチで、3本に人車分離された橋は、珍しいですね。大正12年竣工、震災後増築され、昭和5年に完成したそうです。3本とも、外壁や欄干を改修されているので、古い感じはしません。

明治の末、すぐ右の高架線上には、現在の交通博物館跡にあった、万世橋駅ができるまで、昌平橋の名を冠した仮駅があったそうです。
写真左の橋詰には、スライドゲートが十数年前?まであったのですが、いつの間にか撤去されたようですね。旧石神井川の河道は、不忍池から、このあたりを南北方向に横切っていたそうなので、水門は河口跡だったのでしょうか…と、また妄想を広げてみたり。

FI2617530_3E.jpg昌平橋の車道橋の、要石の部分にある装飾です。

水面上からは、チラッとしか見えませんが、何の意匠なのでしょうか。小さいながら、気になる形ですね。



FI2617530_4E.jpg下流側北岸に、小さな口を開ける、お茶の水分水路出口。

先ほど紹介した、水道橋下流の入り口からここまで、1300メートルの長さがあるそうです。断面は小さいので、モーターボートでの通船はムリそうですね。
カヌーやインフレータブル乗りの方で、挑戦された猛者はおられますか?

こんな解説サイトもあります。→「神田川・お茶の水分水路」(長崎大学・地盤環境研究室HP

FI2617530_5E.jpgこれも土木ファンにはおなじみ、旧万世橋駅のレンガ高架線。
この高架下を展示室にしていた、交通博物館閉館で、盛んに採り上げられましたから、あまり関心のない方でも、よくご存知かと思います。

この高架下、以前、入れていただいたことがあるのですが、窓のある部分の、写真手前側は、館内に常駐する業者さんが、展示の模型を作ったり、修繕したりする工作室や、もとは教室として使っていたスペースもあり、窓のない部分も、昌平橋近くまで、倉庫として使用していました。
レンガの厚みのせいでしょう、中は洞窟のようにひんやりとして、薄暗い頭上にカーブを描くアーチの天井に、100年近い歴史の重みを、感じたものでした。

(18年9月2日撮影)

(『神田川…6』につづく)

【9月28日追記】はりまんさんのブログ、「さまよえるはりま人」の「レンガのある風景(286) ~ 煙突 (明石市東部)」に、トラックバックさせていただきました。

神田川…4

FI2617528_1E.jpg(『神田川…3』のつづき)
御茶ノ水駅に停車中の、中央線の上り快速電車を撮ってみました。うまい具合に、編成がお尻まで収まりましたね。

だいぶ前に、友人の取材に協力して、ここに艇を出したのですが、取材数日後に友人が、「中央線に乗ったら、窓から川が丸見えなんだねえ…大勢に見下ろされるのって、なんだか恥ずかしいね」と、しきりに気にしていたのを思い出しました。
う~ん、そう言われてみると…やっぱり恥ずかしい(笑)。

FI2617528_2E.jpg聖橋をくぐって、下流側から見上げたところです。
上流側は、すでにタイトルでお見せしましたが、こちらの写真の方が、表面に継ぎ目状の溝が彫ってあるのが、よく見えますね。

この継ぎ目は、改修時に貼り付けられた板の継ぎ目…言わば装飾で、構造とは関係がありません。
元来は、表面に一切の凹凸もない、コンクリート打ちっぱなしの、のっぺらぼうでした。それがまた、「昔の斬新なデザイン」って、こんなものなんだろうなあ、と思わせる何かがあり、味わいがあったのですが。
以前紹介した錦橋のように、同世代の橋で、コンクリート打ちっぱなしのものはあるのですが、やはりデザインの妙でしょうか、別格という気がします。
撮影地点のMapion地図

FI2617528_3E.jpg聖橋のすぐ下流にある、地下鉄丸ノ内線のガーダー橋。
いつも、真下を通る瞬間に、電車が来てしまうんですよね…。今回ももちろん、ゴオッとやられて、首をすくめました。

ここは、神田川、丸ノ内線、道路と国電、そして聖橋と、立体交差が交錯する、珍しいところでもあるので、東京らしい風景のひとつとして、昔から絵や写真の題材に、よく採り上げられる場所でもあります。

FI2617528_4E.jpg上の写真とほぼ同じ場所から、下流側を見たところです。
本郷台の切通し部分も終わり、岸の高さも目線に近づいてきました。

左側に並ぶ家屋の雰囲気は、私の子供のころから、一見あまり変化がないようですが、この反対側の、通りを歩いてみると、新しいテナントが入ったところもあり、だいぶ雰囲気が変わったようです。

FI2617528_5E.jpg大股開きの橋脚で、川をひとまたぎする、おなじみ総武線のガーダー橋。
やはりこの角度から見ると、迫力が違います。

秋葉原で、山手線・京浜東北線を立体交差するため、急勾配で駆け上がるこの路線、開通当初の写真を見ると、まさに天を往く線路、と呼ぶにふさわしい、甍の波のはるか上空を走る、超近代的な電車だったのですね。


(18年9月2日撮影)

(『神田川…5』につづく)