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日本橋川…9

FI2617522_1E.jpg(『日本橋川…8』のつづき)
一ツ橋ランプ下から見た、如水会館ビルです。青空にそびえて、まさにスカッとした感じに撮れました。

以前も、同じようなことを書きましたが、この10年で、高いビルが本当に多くなりましたね…(遠い目)。



FI2617522_2E.jpg一径間ながら、なかなか堂々とした姿の鋼アーチ、雉子橋です。
橋をくぐるとき、スーツ姿の男性が、十数人いっせいに橋を渡ってきて、当然ですが、皆さん私の艇に「おおっ?」と注目されたものですから、なんだか恥ずかしくなり、穴ならぬ橋の下に、あわてて逃げ込む始末(笑)。

ここで水路は、右にほぼ直角に曲がります。旧平川の河道は、このあたりから南下し、かつての日比谷入江に、そそいでいたのでしょう。
平川門、平河濠などの名称に、そのなごりがうかがえます。
撮影地点のMapion地図

FI2617522_3E.jpg河道は再び左に曲がり、清水濠や牛ヶ淵と平行しつつ、左手に迫ってくる、九段の崖線に沿って進みます。

感が戻ってきた、GPSの速度表示を見ると、2ノットと少し。水深は満潮時ということもあり、浅いところでも2m以上と充分。まずは安心です。
時々、小さな凹凸の感がモニターに現れるのは、捨てられた自転車や、家電製品のたぐいでしょうか? だとすると、やはり干潮時は、敬遠した方がよさそうですね。

FI2617522_4E.jpg鋼箱桁橋、宝田橋にさしかかりました。

このあたり、左岸のコンクリート護岸には、蔦を繁らせて、風景を少しでも良くしようという工夫が見られます。
この先、右岸は俎橋の近くまで、かつては小出河岸と呼ばれていました。


FI2617522_5E.jpg靖国通りを渡す、俎橋です。すぐ左は、武道館や靖国神社のある、九段坂ですね。

この橋のように、近年架けかえられたものは、直下を通る地下鉄工事の影響を被って、旧橋が保持できなくなった例が、いくつかあるとか。俎橋の場合は、都営新宿線でしょうか。
撮影地点のMapion地図


(18年9月2日撮影)

(『日本橋川…10』につづく)

日本橋川…8

FI2617521_1E.jpg(『日本橋川…7』のつづき)
大きく左に曲がる水路の、中央をゆっくり走ってゆくと、トラスを組んだ水道橋の向こうに、神田錦町にほど近い位置にある、錦橋が見えてきました。
両端のアーチリングが半分づつというのが、東京の橋としては珍しいですね。

あまり手入れをされていないのでしょうか、コンクリート打ちっぱなしの地肌が、ちょっと薄汚れていて、なんだかかわいそうです。
撮影地点のMapion地図

FI2617521_2E.jpgこの付近、首都高の高架が、水面に最も近づく区間ですが、さらに工事のため、橋桁が隙間なく足場に覆われて、ますます光の入る余地が少なくなっています。

錦橋~一ツ橋間の左岸に連なる、江戸時代以来の乱れ積みの石垣も、この暗さでは、そのディテールを堪能するのは、ちょっとつらい状況ですね…。

FI2617521_3E.jpg暗い水面をゆるゆる進み、一ツ橋を遠望するところまで来ました。左手奥に見える、壁のように厚みのない、残された櫓門跡の石垣が印象的です。

頭上の首都高が二層になっているせいでしょう、GPSは全く受信せず、針路や速度表示も消えてしまいました。足場がなくなれば、だいぶマシになるのでしょうが…。

FI2617521_4E.jpg一ツ橋です。下流側は暗すぎて撮れないので、少しは光の入る、上流側から撮ってみました。

この橋、「鋼桁橋のラーメン橋台橋」という形式だそうです。橋台地を確保しなくとも工事が進められ、施工時にも水運を阻害しない(橋台施工時は中央径間を、中央径間の桁橋施工時には、橋台のアーチ下を、船が通れる)のが特徴です。

震災後の限られた条件の中で、復興架橋をすみやかに進めるため、考案されたもので、復興局のオリジナルだとか。かつては仲間の多かったこの形式も、隅田川西岸では、この一ツ橋だけになってしまいました。

FI2617521_5E.jpg首都高一ツ橋ランプ付近、だいぶ頭上が明るくなってきました。正面はNTTビルだったかな?

右岸に、鋼材を組んだ桟橋らしきものが見えますが、何に使われているのでしょうか…。
撮影地点のMapion地図

(18年9月2日撮影)

(『日本橋川…9』につづく)

日本橋川…7

FI2617520_1E.jpg(『日本橋川…6』のつづき)
上流側の鉄道橋です。この橋も、道路橋と同じく、新常盤橋を名乗っているそうで。通称は、「外濠アーチ橋」、大正7年架橋の鉄筋コンクリートアーチです。

要石の部分に、蒸気機関車の動輪をデザインした、レリーフが入っていることでも有名です。かつては、列車よりも高い、立派な親柱が四方に立っていたようですが、現在は撤去されているようですね。

FI2617520_2E.jpg左岸にそびえる、郵政公社ビル。珍しく、建物の全貌をおさめることができました。現在は引っ越しているようですが、以前、この中にあった国際郵便局に、輸入貨物の開封立会いに来たことを、思い出します。

このビルのように、各フロアから張出し様のものが出ているデザイン、いくつか見かけますが、なにか様式名でもあるのでしょうか? それとも、単に設計者が同じなだけなのか…。
いえ、なにか微妙に「和風」な感じがするのが、気に入ってまして…設計者に、そういう意図はなかったのかも知れませんが。
古来のデザインを反映させた近代建築としては、帝冠様式の、東京国立博物館、九段会館や、校倉造り風の国立劇場が知られていますが、より簡素なラインで和風味を感じさせるこの手の建物、ぜひ長く使っていただきたいです。

なにげなく「帝冠様式」で検索したら、こんな楽しいサイトが!→「帝冠様式ネットワーク

FI2617520_3E.jpg外濠アーチ橋~鎌倉橋間の右岸、かつて鎌倉河岸と呼ばれたあたりにある、小さなスライドゲートです。名前は解りません。

このあたりから、北東方向に伸びていた、竜閑川(昭和25年埋立て)という水路があったのですが、それを暗渠化した出口かな?…などと考えてしまうのは、病気(笑)が進んだ証拠かもしれませんね。
この竜閑川、別名を神田八丁堀とも呼ばれ、元禄4年、幕府の命ではなく、町人資本によって開鑿された、珍しい運河とのこと。反対側は浜町川(昭和25年~47年に埋立て)につながり、神田・日本橋の発展に寄与しました。今でも交差点名に、竜閑橋など、かつてここに水路があったことを思わせる、地名が残っています。

「八丁堀」は、いま一つ、亀島川の高橋から、京橋方向へ分岐していた水路としても記憶されていますが…。藤田まこと演じる、「必殺仕事人」中村主水の通り名、「八丁堀」は、どちらを指したのでしょうかね?

FI2617520_4E.jpgあっさりした風貌のコンクリートアーチ、外堀通りの鎌倉橋を遠望。
鉄道を越えるために、一旦高くなった道路の高架が、ふたたび頭上に迫ってきました。神田橋ジャンクションの、ほぼ真下です。写真の少し手前、左側には、地下から上がってくる道路の橋脚もあるので、中央やや右寄りを走ります。

高速道路が電波をさえぎるのでしょう、少し前から、GPSのモニター上に描かれる航跡が、途切れ途切れの点線になっていたのですが、ここに来て、針路表示がクルクル回りだし、あさっての方向を示す始末…(笑)。GPS魚探を取り付けてから、日本橋川に来るのは初めてでしたので、「これは他の水路では、体験できないなあ」と、妙なところで面白がっていました。
撮影地点のMapion地図

FI2617520_5E.jpgまだ真新しい感じの鋼桁橋、日比谷通りを渡す、神田橋です。
こちらもご多分に漏れず、左右の橋詰はランプが取り付けられ、窮屈そうです。神田橋の橋脚もあるので、航路はだいぶ狭まります。

ご存知の方も多いと思いますが、最近造られた橋は、下流側にひらがなで、上流側に漢字で、それぞれ橋名を表記しています。くぐる前に読み方がまず頭に入り、振り返ると字面が解る…なかなか粋な計らいだと思うのですが、いかがでしょうか。

(18年9月2日撮影)

(『日本橋川…8』につづく)

日本橋川…6

FI2617519_1E.jpg(『日本橋川…5』のつづき)
常磐橋の橋脚下流側、水切りと銘板のアップです。
鳥の糞で、汚れてはいますが、扇型の銘板は風格がありますね。

水面から少し上、増水時の水線部でしょうか。補修の痕なのか、他と色の違う石が、横一線に並んでいるのが目立ちます。

FI2617519_2E.jpg左岸の橋台地を見てみました。
かすかに凹凸のある石組みは、この橋が幾多の荷重に耐え、風雪を重ねてきた証ですね。

川の中央に向かって、大きく張り出した橋台地は、現代の橋では見られない古式です。流路を狭めてしまうので、最近は用いられませんが、橋自体の長さを短くでき、橋詰広場のスペースが余分に取れるという、利点がありました。

水運の面から見ると、航路幅はやはり狭まりますが、橋台地が横工(水制)の役目をして、橋の部分だけ水流が少し早まる(掃流といいます)ため、砂や泥のハケが良くなり、水深が浅くなるのを防ぐ効果もあるとか。

橋台地の上に生い茂った、雑草が日を浴びて輝き、アーチ裏の影と対象をなして、なかなかのどかな写真に撮れましたが、やはり草取りくらいは、してあげたいものですね…。

FI2617519_3E.jpg上流側の中央部も、ご覧に入れましょう。こちら側には、橋脚下部の水切りがありません。以前はあったとのことですが、増水で押し流されたのでしょうか。

手すりももちろん、竣工当時とは違うのでしょうが、雰囲気を壊さない配慮は、されているようです。


FI2617519_4E.jpg首都高の股の間(?)からのぞく、緑の鋼桁橋は、江戸通りを渡す、新常盤橋。
その背後には、三つの鉄道橋が、隙間なく並んでいます。日本橋川で、最も橋の密度が高い地域でしょう。

ちょうど新幹線の電車が通りました。二階建て車輌なので、首都高の橋桁と、もう触れ合わんばかり、電車も、恐る恐るくぐっているように見えますね。

FI2617519_5E.jpg新常盤橋の下から、鉄道橋群をのぞいてみました。トンネル水路のおもむきです。
中央の三連アーチ、向こう側の一連アーチ(次回ご紹介します)、そして手前の鋼箱桁橋の順に、増設されたのでしょう。

ここをくぐると、旧鎌倉河岸、かつての竜閑川との合流点です。
撮影地点のMapion地図

(18年9月2日撮影)

(『日本橋川…7』につづく)

日本橋川…5

FI2617518_1E.jpg(『日本橋川…4』のつづき)
外堀通りの一石橋を、ふと見上げると…いくつか欄干にぶら下がっているモノが(笑)。

どうやら橋上生活者(?)の家財道具なのでしょうが、そのアイデアに感心。なるほど、これなら道行く人からも見えず、スペースも取らずに片付いて、盗まれることもありません。
これを見て思い出したのは、祖父の世代の方に聞いた、終戦直後、列車で移動中の、ヤミ米の隠し方。窓や、時にはトイレの穴(!)に、ヒモで米の入った袋を釣り下げ、警官の手入れをやり過ごしたとか。
撮影地点のMapion地図

FI2617518_2E.jpg常盤橋。大正15年11月完成のコンクリート二連アーチ、震災復興橋のひとつです。

右手奥に、日本銀行をのぞむこのあたりは、岸まで建物が迫っておらず、また頭上を走る、首都高都心環状線も、幅があまり広くないこともあり、明るい雰囲気ですね。

FI2617518_3E.jpg下流側、大手町方の親柱を見たところ。
小さいながら、張り出された橋台地があり、その上に乗るようにして、円柱形の、当時としてはシンプルな、ランプケースを兼ねた親柱が、建てられています。

あまりいじられた痕もなく、状態はおおむね良好なのですが、定期的に洗浄されている日本橋に比べると、やはり汚れが目立ちますね。


FI2617518_4E.jpgおっと、一石橋の全景を撮り忘れました。常盤橋の下から、しかも道路の橋脚が、かかってしまいましたが…。一石橋は、先ほどの写真の上り側と、下り側が別の橋になっており、上り側が後から作られました。
川はご覧のとおり、一石橋付近から、大きく北へ向かってカーブしています。

ここも、かつては「十字流」で、現在の皇居大手門に向かって、日本橋川の原型ともいえる道三堀が伸びており、南方には、八重洲や銀座を横切り、汐留川に至る外濠がありました。
外濠は、昭和25年から42年にかけて、いくつかの区間に分け、小刻みに埋め立てられました。

旧外濠の第一橋、呉服橋の名前は、東京駅ができる前の、仮駅の駅名になったり、現在では交差点名にもつけられているので、一石橋は、ちょっと影が薄いようですね。

FI2617518_5E.jpg明治10年に架けられた、東京で最も古い橋、常磐橋。今回、私が最も会いたかった橋です。
左手の緑は、常盤橋門跡の公園で、右岸正面に位置する、日本銀行の古さと調和して、散策しても楽しい、落ち着いた一角です。右岸橋詰には、常盤橋防災用船着場(東京都建設局管轄)も見えますね。

橋名にご注意ください。常「磐」橋…そう、先ほどの常「盤」橋とは、字が違います。真偽のほどは不明ですが、部首に、壊れやすい「皿」を含む字だと、長年堅固であってほしい橋には縁起が悪いため、文字通り磐石な「磐」を採用したのだとか。公園の「常盤橋門」は「盤」なので、本来は後者が正しいのでしょう。

この橋は、薩摩出身者の多かった明治政府が、九州から招いた肥後石工によって建造された、洋式ながら、言わば純国産のアーチ…いや、眼鏡橋と呼んだ方が、しっくりきますね。
有名な九州の石橋群、通潤橋や霊台橋などと、系譜を同じくする橋なのです。

同時期に架けられた、他の石橋は、沖積地の地盤の悪さから壊れてしまったり、早々に架け換えられたりと短命で、名前に「磐」を入れたことも手伝ってか、この常磐橋だけがひとり残りました。現在は公園に渡る人道橋として、使用されています。
撮影地点のMapion地図

(18年9月2日撮影)

【追記】5段目に地図リンクを追加しました。
【さらに追記】船着場の名称を追記しました。

(『日本橋川…6』につづく)