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神田川…3

FI2617527_1E.jpg(『神田川…2』のつづき)
水道橋をくぐってすぐ、下流方向を見たところです。
左には、先ほど触れた分水路の出口が口を開け、右のコンクリート法面とともに、蔦で覆われています。
日本橋川の上流部と同様、もちろん蔦は人為的に植えられた、コンクリート護岸を少しでも潤いある風景にしようという工夫で、大変結構なのですが、この角度から見ると、ちょっと廃墟(笑)ぽく見えてしまいます。

不謹慎かもしれませんが、昔読んだ、小松左京の小説「復活の日」に出てくるような、新種の細菌で人々が死に絶えたあとの東京…といったシチュエーションを、思い出してしまいました…。
撮影地点のMapion地図

FI2617527_2E.jpg水路はゆるやかに左に曲がったあと、今度は右へカーブ。

都心であるにもかかわらず、深い切通しが次第に喧騒を遠ざからせ、木々が豊かに茂った法面は、ここが東京であることを、しばし忘れさせるほど、と言っても、大げさではないでしょう。


FI2617527_3E.jpg台地の標高が高くなるにつれ、右にある、中央線の線路敷は奥に引っ込み、左右の岸とも、目に沁みるような緑の水辺となります。
このアングルだけ見ると、本当に別世界のようですね。

前にも触れましたが、隅田川に水を抜くための放水路として、本郷台地の末端を掘り割った大工事のすえ生まれた、この人工の渓谷は、江戸・明治時代の文人たちはもとより、現在に至るまで愛され続ける、名所となりました。
この堀割、伊達藩が普請を担当したことから、当初は「仙台堀」と呼ばれたそうです。

FI2617527_4E.jpg右カーブが終わると、再び左へ。ゆく手に、お茶の水橋が見えてきました。

風光明媚ではありますが、ご覧のとおり見通しはよくないので、初めての方は特に、くれぐれもデッドスローで…。


FI2617527_5E.jpgお茶の水橋をくぐります。水面から見上げると、橋脚の長さが強調されて、ますます威風堂々として見えますね。鋼ラーメン・ゲルバー桁橋という形式で、昭和6年に完成しました。

この橋の上を渡る明大通りは、その名の如く明治大学の前を通り、麓の駿河台下交差点から、北橋詰にある、東京医科歯科大前・お茶の水交差点までの、短い距離ながら活気ある、学生街の坂道です。
撮影地点のMapion地図

(18年9月2日撮影)

(『神田川…4』につづく)

神田川…2

FI2617526_1E.jpg(『神田川…1』のつづき)
後楽橋を過ぎて少しすると、水道橋をくぐって、一隻のバージを曳いた曳船が、遡行してくるのを発見!! よりによって、こんな狭いところで出会ってしまうとは!!

向こうは、相当な排水量のバージを曳いているので、もう止まることはできません。こちらが避けるしかないのですが、岸に寄せるにしても、両岸水面下には段差があり、プロペラを損傷する恐れもあります。

曳船は、目前まで迫ってきました。躊躇しているひまはありません。微速面舵!エンジン停止・チルトアップ!両舷のフェンダーを出し、連れにはボートフックを構えさせ、艇を護岸に密着させるようにして、とにかく、曳船に迷惑をかけないような体勢をとりました。

FI2617526_2E.jpg曳船もバージも、さすがプロの川舟乗り、向かって左側(船は陸とは逆で、右側通航です)にチョイ、チョイと舵を取り、こちらを避けてくれたので、2mほどの余裕を持って、行き違うことができました。

こちらから見れば、壁のようなバージが目前を過ぎる、緊迫の瞬間を撮影。よくこんなときに、カメラなど構えられるなあ、とお思いでしょうが…残念ながら、撮ったのは私ではありません。

FI2617526_3E.jpg満潮時なのが幸い、段差でプロペラを壊すことは、まぬがれました。いや、皆さん、こういうこともありますから、神田川・日本橋川に遊びに来るのは、満潮時に限りますよ!

曳船とバージも、うまく避けてくれて、なによりでした。彼らは喫水がありますから、可航幅は私の艇より狭い上、排水量船なので、舵を取ってから舵効きがあるまで、時間がかかります。視認直後に、舵を切ってくれたに違いありません。ありがとうございました!お仕事がんばってくださいね。

FI2617526_4E.jpg…ホッとしたところで、都の市兵衛河岸防災船着場を、ご覧に入れます。

ご覧のとおり、護岸の凹部にしっくりと納まり、小さいながら安心感あふれる(笑)桟橋。この凹部は昔からあって、昭和初期に暗渠化された、いにしえの小石川の河口部?なのではないか、とも言われています。
写真でも、桟橋奥の壁に2ヶ所、余水吐らしきヒンジ付きのフタが見えるので、らしい感じはするのですが。

過去2回ほど、ここに17ftくらいの大きさの、ヤマハSRVがもやっていたのを見たことがありますが、お役所の人が乗ってきたのか、それともご近所の艇長がモグリ(笑)で留めたのか、いずれにせよ、都心でボートを見かけると、なにか意識してしまいます…。
撮影地点のMapion地図

FI2617526_5E.jpg本当に重量を支えられるのか、不安になるくらい薄く平べったい橋、水道橋をくぐります。途切れることのない歩行者の列に見下ろされ、ちょっと気圧されながらの通過。

別に、悪いことをしているわけではないのですが、やっぱり気恥ずかしいなあ…。


(18年9月2日撮影)

(『神田川…3』につづく)

神田川…1

FI2617525_1E.jpg(『日本橋川…11』のつづき)
神田川に出る前に、はりまんさん向けの一枚を。
中央線・小石川橋梁のレンガ橋台。石やレンガ造りのものは、古びても味があって、いいものですね。

この橋をくぐった左手、神田川南岸は、飯田河岸と呼ばれた長大な河岸地でした。
かつて、貨物駅、あるいは貨物扱いのある駅は、すべて水運の便の良いところにつくられ、小廻し(近距離輸送)を船に頼りましたが、甲武鉄道のターミナルとして建設された飯田町駅も、その例に漏れなかったわけです。

FI2617525_2E.jpg下路式のガーダー道路橋、小石川橋です。
写真右奥に、旧水戸藩邸である庭園、小石川後楽園があり、江戸では珍しかった石造アーチ、円月橋が現存することでも知られています。

橋下、やや右に黒く口を開けているのは、水道橋分水路。昨年、こちらでもご紹介しましたが、「追跡日記」のさんどさんが、「神田川の分水路をゆく」で、ここをボートで航行するという、快挙を成し遂げたことは、記憶に新しいところですね。

この分水路は、外堀通りの下を暗渠として通っており、飯田橋の少し上流に入り口がありますが、途中で2本の分水路と合流・分岐していて、一つは大曲の、白鳥橋下流に入り口が、いま一つは水道橋下流に出口があります。
撮影地点のMapion地図

FI2617525_3E.jpg専大通りを渡す、緑色の鋼アーチ、後楽橋を見たところです。

右手前、バージが接岸する施設は、三崎町作業所です。清掃車が、付近一帯から集めたゴミを、ここに集積し、ホッパーでバージに積込む設備があります。
ここから江東区にある処理施設まで、バージで運ばれるゴミは、不燃ゴミとのこと。これをトラックで運んでいたら、道路の混雑はもとより、他のコストも結構なものになるでしょうから、ここに川があり、舟運がその長所を活かして活用できるのは、ありがたいことだと思います。

FI2617525_4E.jpg後楽橋から、水道橋までの区間は、幅が少し狭く、狭窄部と言ってもよいくらいです。堤防ぎりぎりまで、結構な高さのビルが、峡谷のようにすき間なく続くのも、狭く感じる一因かもしれません。

写真左の北岸は、かつて市兵衛河岸と呼ばれ、明治以降は旧陸軍の物揚場としても使用された河岸地で、右の南岸も、三崎河岸と呼ばれていました。河川敷を含む河岸地は、必要性が薄れた場所から、民間に払い下げられたようですから、かつては、これらのビルの幅だけ、河川敷が広かったのかもしれませんね。

FI2617525_5E.jpg後楽橋の下流側に架かっているのは、神田川と外堀通りをひとまたぎする人道橋、後楽園ブリッヂです。

この日は土曜日でしたから、ゴミ収集が行われており、バージを曳いた曳船が、いつ現れるかと警戒しつつ、神田川に入ったのですが、三崎町作業所には、すでに一隻接岸していたので、当分は来ないだろうと、タカをくくっていました。

ところが…!

(18年9月2日撮影)

(『神田川…2』につづく)

【9月28日追記】はりまんさんのブログ、「さまよえるはりま人」の「レンガのある風景(286) ~ 煙突 (明石市東部)」に、トラックバックさせていただきました。

日本橋川…11

FI2617524_1E.jpg(『日本橋川…10』のつづき)
人道橋、あいあい橋。飯田町貨物駅跡地の再開発にあわせて、平成14年に落成した、日本橋川で一番新しい橋です。
橋の中央に、ベランダ状の小休止スペースも備えられて、水面を眺めつつ一息つくには格好の場所です。

眺めていてもツマラナイよ、という向きもおられるかもしれませんが(イヤ、それが普通かな?)、魚の泳ぐ姿や、時には亀やカニ(!)も、護岸の段差に見られるようになりましたし、運がよければ、都の水面清掃船が、ゴミ取りコンベアを回転させつつ、走ってくる勇姿(笑)も、見ることができます。

FI2617524_2E.jpgこれも以前から、気になってしょうがない物件…(笑)。
これで、個人所有の舟溜りか、デリック(船を吊り上げる金具)でもあったら、川ッ舟オーナーとしては言うことなしだなあ…などと、妄想を広げてしまいます。

艇長はご近所の方でしょうか? 以前は、前述のポンツンに係留してあった気がするのですが。

FI2617524_3E.jpgいよいよ、神田川との分流点が見えてきました。

手前の新しい橋は、新三崎橋です。あいあい橋と同時期の完成ですが、こちらは新設ではなく、以前からあった橋を架け替えたもので、やはり、貨物駅跡の再開発に合わせて完成しました。
撮影地点のMapion地図

FI2617524_4E.jpg左岸にある、千代田区の新三崎橋防災船着場です。

設置されたときは、ポンツン桟橋だったのですが、増水時になんと、ポンツン桟橋が流されてしまい、今年になって、写真のような2段式の、固定桟橋に復旧されました。
他の防災桟橋が、無事だったところを見ると、やはりこのあたりは、流路の屈曲部の外側、しかも川幅の狭いところだけあって、流圧が激しかったと見えますね。

この近所に住んでいる、知人に訊いたところ、町内会の催事で屋形船を呼んだり、各種団体の川巡りイベントなどで、結構利用されているとのことでした。
時々コメント欄に、興味深いお話ををいただいている、水上バス船長のZENさんも、着岸されたことがあるのでしょうね。頻繁に大型船が入ってくるとは、頼もしいかぎりです。

FI2617524_5E.jpg新三崎橋の下から、神田川との分流点をのぞいたところです。
手前から、新旧のJR小石川橋梁、三崎橋(人道橋)、三崎橋。レンガの橋台が、明治時代の、甲武鉄道開通当時をほうふつさせます。

各橋の間にすき間があるので、新常盤橋付近ほどの詰まり具合ではありませんが、ずらりと重なる橋を見ると、やはり渡河地点とは、どうしても限られるものだという感を強くします。

元和6年(西暦1620年)、江戸城東部を洪水から守るため、現在の神田川を放水路として、あらたに開鑿するとともに、南岸に堤防を築き、その際、旧平川流路である日本橋川は、前述のとおり堀留まで埋められました。言わば平川は、直角に流れを変えられたのです。

埋められた水路が復活するのは、明治36年のこと。下流域が洪水にさらされる危険は、もちろん増したでしょうが、日増しに盛んになる水運の需要には、換えられなかったということでしょうか。
電車は今でも、かつての堤防の上を走っています。その賛否は措くとして、鉄道にせよ、高速道路にせよ、東京の水辺はつねに、これらの新しい交通機関に、空間を提供してきた歴史があるのですね。

水路の丁字路…いや、「丁字流」を、左に曲がってもいいのですが、今日はおとなしく、右へ舵を取りましょう。駿河台の堀割りの緑を、ゆっくり見てみたい気分です。


(18年9月2日撮影)

(『神田川…1』につづく)

日本橋川…10

FI2617523_1E.jpg(『日本橋川…9』のつづき)
ゲルバー鋼桁橋、南堀留橋が見えてきました。

ゲルバー橋とは、左右の桁の張り出しに、中央の桁が、引っかかるようにして乗っている構造の橋で、万が一橋脚が沈下しても、桁に無理な力がかからず、軟弱地に適しているといわれる橋だそうです。
ここも、首都高の西神田ランプが頭上低く迫り、左右からの陽光が、あまり入ってきません。

江戸時代は、この付近が水路の終点で、この先、神田川までの、平川の旧河道だった水路は、埋め立てられていました。ために「堀留」の名前があります。

FI2617523_2E.jpgコンクリートアーチ、堀留橋です。

古くからの市街地で、用地に余裕がなかったのでしょう、高速の出入口が、橋自体にドッキングしているという窮屈さ。欄干も、縮められてしまっていますね。
撮影地点のMapion地図

FI2617523_3E.jpg堀留橋の上流側です。右端が、橋脚で隠れてしまいましたが、こちらは架橋当時のディテールを、残しているようですね。

表面に石?が貼ってあるせいでしょうか、同じ震災復興橋梁でも、コンクリート打ちっぱなしの錦橋などと比べると、味のある古び方をしていて、やはり雰囲気がいいようです。

FI2617523_4E.jpgかつての、飯田町貨物駅の入り口にかかる鋼桁橋、新川橋。

朱色の塗装が水面に映えて、なかなかキレイです。周りの雰囲気も、明るくなるようですね。船から見ても、このように、目標として目立つ塗装の方が好ましいのですが、皆さんはいかがでしょうか。
もちろん、コンクリート橋まで赤く塗っちゃえ、という意味ではありません。鋼桁橋に限れば、ですが。(水門も青や緑より、目黒川水門のように、赤い方がいいなあ…。)

FI2617523_5E.jpg以前から、ここを通るたびに気になっていた、私設のポンツン桟橋。新川橋上流の、右岸にあります。なんと申しましょうか、コメントがしにくいのですが、うらやましいような…(笑)。
言い方を変えると、インディーズの河岸(笑)といったところ?

満潮時なので、こうして浮いていますが、干潮になると、護岸の段差上にかしいで乗っかっており、その姿がまた、なんとも力が抜けて(ごめんなさい)いて、のどかでイイんですよねえ…。


(18年9月2日撮影)

(『日本橋川…11』につづく)