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新中川の橋づくし…3

FI2617497_1E.jpg(『新中川の橋づくし…2』のつづき)

上:上一色橋(蔵前橋通り)
下:JR新金貨物線、新中川橋梁

新中川橋梁は、やはり中央がトラスの鉄道橋。右岸に渡ると、線路は川と平行になり、上流方に進んでゆきます。
撮影地点のMapion地図

FI2617497_2E.jpg上:奥戸新橋(奥戸街道)
下:八劔橋

八劔橋は、左岸の葛飾区奥戸にある、神社の名前を採ったものです。




FI2617497_3E.jpg上:三和橋
下:細田橋

ともに人道橋と車道橋が、分離された造りです。細田橋は、左岸にある奥戸運動場への、連絡橋の役目も果たしています。


FI2617497_4E.jpg上:高砂諏訪橋
下:高砂橋(中川)

上の高砂諏訪橋が、新中川最上流の橋です。「入り口の橋」としては、平凡な人車分離の桁橋で目立ちませんが、目印としての役割は、少し上流の高砂橋が果たしているので、致し方ないのかもしれません。

斜張橋、高砂橋は言うまでもなく、新旧中川の分流点に立つ橋で、高砂から柴又帝釈天に至る道路(なんて呼ぶんでしょう?)を渡しています。

FI2617497_5E.jpg中川上流側からの高砂橋のアップと、京成電鉄本線、中川橋梁を撮ってみました。
乗り入れの都営浅草線、京浜急行の電車が次々と通過する様子は、ステンレス・アルミ車ばかりの他線と違って、なかなかカラフルで楽しいものです。

この右岸(写真の左)には、いつもお世話になっている千秋さんのブログによると、「怪無池」という、魅力的な小さな池があり、釣り人さんやアヒルさんの、憩いの場となっているとのことです。

(18年8月5日撮影)

(『中川を下って』につづく)

新中川の橋づくし…2

FI2617496_1E.jpg(『新中川の橋づくし…1』のつづき)
鹿本橋から、鹿骨新橋を見たところです。
植込みと、橋脚の位置にあわせたベランダが設けられており、お散歩にはもってこいという雰囲気ですね。
撮影地点のMapion地図


FI2617496_2E.jpg上:松本橋
下:小岩大橋(千葉街道)

小岩大橋は、交通量が多いだけに、がっちりした鈑桁橋です。
参考までに、通過時は、中潮のほぼ満潮時でした。21ftクラスでしたら、おそらく通過に問題はないと思われますが、ハードトップや、マスト類のついている艇の方は、橋下通過時はご注意くださいね。衝突痕のある橋桁が、結構ありましたので…。

FI2617496_3E.jpg辰巳新橋

曲線美が夏の空に映える、白いニールセンアーチ、いいですねえ。
桁橋のつづく中、一定の間隔で、上部構造を持つ、下路式の橋がアクセントのように現れて、飽きさせません。



FI2617496_4E.jpgでは、こちらでもアクセントと申しますか、橋ばかりではなんですから、一回休み(笑)ということで、樋門です。

辰巳新橋の下流側、右岸にありました。後ろは小岩ポンプ所です。


FI2617496_5E.jpg上:JR総武線・新中川橋梁
下:上一色中橋

中央にトラスを配した、総武線の鉄橋。後ろにPC桁橋の、快速線がありますが、1点と数えました。
上一色中橋は、「標準型」の桁橋です。橋脚は、近くで見ると、ちょっと古風な感じがして、味わいがあります。


(18年8月5日撮影)

(『新中川の橋づくし…3』につづく)

新中川の橋づくし…1

FI2617495_1E.jpg(『旧江戸川下流部…2 』のつづき)
今井水門をくぐり、新中川を遡行しつつ、下流側から全貌の見える橋、全てを撮影しました。
上:新今井橋(新大橋通り)
下:瑞江大橋(今井街道)
水路の開鑿が、比較的遅く行われたせいでしょう、川に対して、大きな角度を取って斜めに横切る、道路の線形に合わせた橋が少なくありません。

FI2617495_2E.jpg明和橋(明和橋通り)
架けられた年代にしては、古風なスタイルの美しい鋼アーチです。全体像は、タイトル画像でお見せしましたので、アップをご覧に入れます。

明和橋のタイトル画像ですが、正面から全体像を撮影すると、真上に送電線が何本か入ってしまい、ちょっと目障りでしたので、ブラシツールを使って消してしまいました。実はフィクションというお粗末…。

明和橋のスペックについては、こちら松尾橋梁株式会社)に掲載されています。

FI2617495_3E.jpg上:涼風橋
下:春江橋

上の涼風橋は、最近できた橋らしく、地図にも掲載されておらず、最初は名前がわかりませんでしたが、検索してみると、えどがわトピックス江戸川区サイト)に、新しい橋の名前が「涼風橋」と決まった、という記事があり、完成予想図と見比べて、どうやらこれに違いない、と判断しました。

う~ん、桁橋は全貌を撮ろうとすると、どれも、あまり変わらない絵柄になってしまう上、なによりデジカメが安物ですから、遠景を撮るとピントが甘くなりますねえ…。もっといいカメラが欲しいなあ…。

FI2617495_4E.jpg上:南椿橋・首都高7号・新椿橋
下:一之江橋(京葉道路)

首都高をはさんで、下流側に南椿橋、上流側に新椿橋が隣接してあるので、一点としました。
一之江橋は、京葉道路だけに車列が絶えることがなく、新中川でも最も交通量の多い橋でしょう。上流側右岸には、防災用岸壁があります。

FI2617495_5E.jpg上:大杉橋(大杉橋通り)
下:鹿本橋(鹿骨街道)

ここでようやく斜張橋が登場、なんだかホッとしてしまいした。明和橋と同様、橋名が通りの名前にもなっているあたり、地域のシンボルとして、見られていることがわかります。
鋼桁橋は、新中川開鑿時に標準化して架けられたのでしょうか、同じタイプの橋がいくつか見られます。


(18年8月5日撮影)

【20年11月3日追記】1段目、本文を一部訂正しました。

(『新中川の橋づくし…2』につづく)

旧江戸川下流部…2

FI2617494_1E.jpg(『旧江戸川下流部…1』のつづき)
緑の鋼桁橋は、江戸川の2本の水路と、妙見島をあわせてひとまたぎする、浦安橋です。
旧浦安橋はトラス橋で、昭和15年開通。浦安待望の、そして長い間、唯一の橋でありました。(水門から下流の旧江戸川は、今もって橋の乏しい地域ではありますが…)

右岸手前が、前項で触れた「蒸気河岸」のあったところです。明治43年より、内国通運の船着場として創設され、末期は深川の高橋(『小名木川…4』に写真あり)、行徳方面の通船が発着、昭和19年まで使用されたとのことです。
かつて、河港として栄えた場所の、そのほとんどは現在、船影もまばらな寂しい水面となっていますが、ここ浦安は、その用途を変えたとは申せ、たくさんの出船入船を目にすることができるので、なにか、救われる思いがするのです。

FI2617494_2E.jpg妙見島東岸には、ボート・ヨット乗りさんにはお馴染みのマリーナ、ニューポートマリンクラブがあります。
川の中洲にマリーナがあるというだけで、川走り好きとしては、意識が吸い寄せられる(?)感じがします。レンタルボートもあるなど、サービスも充実しているそうで、東京湾奥では、古くからのマリンスポーツ拠点として著名ですね。

ニューポートの周りは、工場が多いので、このタンカーのような無骨なフネと、モーターボートが舷を並べる光景も見られます。う~ん、カッコいいブリッジのタンカーだなあ…。

FI2617494_3E.jpgここでちょっと、以前から気になっていた、強烈な物件をひとつ…。
左の写真は、当代島水門…の跡、と言ってよろしいと思います。

もとはもちろん、棚状の梁の上には、巻上げ機室の上屋があり、スライドゲートの扉体が吊り下げられ、通船もしていたのでしょう。身にまとっていたものを、全てはがされた姿はなんとも異様で、コンクリートの鳥居の出来損ないというか、物悲しい雰囲気すらあります。(別に、嫌がっているのではなく、廃墟の雰囲気も好きなのですが…)

これは、昭和48年まであった、船圦川(ふないりがわ)の水門で、川はもちろん、舟溜りとしても利用されていました。現在はご多分に漏れず、埋め立てられて、船圦緑道となっています。水門をふさいだコンクリート板に、余水吐らしい、ヒンジつきの丸いフタが付いているところを見ると、暗渠化されたのかもしれませんね。
撮影地点のMapion地図

右写真は成れの果て…ではなく、稼動中です。スライドゲートの新井水門。後ろには、新井排水機場があります。左の杭に、白ペンキで「ヨシノヤ」と書かれている…船宿の名前でしょうか?

FI2617494_4E.jpg当代島水門跡の、ほぼ向かいにある、新川東水門です。さすが都建設局と申しましょうか、当代島水門跡の、北風の音が聞こえてきそうな(笑)雰囲気に比べて、こちらは明るい雰囲気です。
しかし、水門の立派さに比べて、水路の短さはご覧のとおり…。それでも小さなポンドとして、ここをねぐらとする船がいるのが、いじましいくらいです。

ご存知の方も多いとは思いますが、かつての新川は、中川をはさんで小名木川に接続する、関東水運のメインラインの一つ、幹線運河中の幹線運河でした。
ここが今でも、運河として機能していれば…河口波や浅瀬に悩まされることなく、江戸川~隅田川間を、行き来できるのですが…と、例によって栓のない妄想。水路の行き止まりの部分は、上を都道450号線が通っており、短い区間ですが暗渠化しているようです。

FI2617494_5E.jpg新中川が、旧江戸川に合流する、今井水門に来ました。手前は第一橋、瑞穂大橋です。折りしも、水門を通過したボートが、待ちかねたようにスロットルを開けて、こちらに向かってくるのが見えます。
(平成5年の同地点の写真は『今井水門と中川』にあります)
撮影地点のMapion地図

新中川は、戦後になってから開鑿された放水路です。ここを通るたびに、気になっていたのは、架けられた橋の多さでした。
宅地化が始まってから完成した、というせいもあるのでしょう、短い区間に、多くの橋があるという点では、隅田川や、江戸川にはない特徴を持っているとも、言えるのではないでしょうか。

というわけで、思いつきではありますが、新中川の橋を、全部撮影してみました。
もっとも、すぐ横に人道橋が併設されている類のものは、勝手に1本と数えてしまったので、「全部」というのには語弊があるのですが…。(撮り忘れたものも、あるかも知れないし…もう一度、よく確認してみよう)
次回より、ご覧に入れたいと思います。

(18年8月5日撮影)

(『新中川の橋づくし…1』につづく)

旧江戸川下流部…1

FI2617493_1E.jpg(『三枚洲の水路』のつづき)
お久しぶりの、旧江戸川河口です。京葉線江戸川橋梁の後ろに、湾岸線舞浜大橋が平行して設けられています。
写真では、見えづらいかもしれませんが、右から2本目と、3本目の橋脚の間が航路です。誰が書いたのか、2本目の橋脚正面に、「←」が書かれているのが、座洲事故の多さを物語っているようです。広々とした水面にもかかわらず、写真左岸、東京側は浅瀬が広がっているのです。

何度も触れましたが、利根川行きに惹かれて、幾度も江戸川遡行に挑戦したころは、この橋が、冒険への入り口(笑)のように思えて、鉢巻きを締めなおし(もちろん、心の中で…)たものです。

FI2617493_2E.jpg河口からしばらく行くと、右手に見えてくるのが、見明川(みあけがわ)の入り口です。水面に影を落とす、堀江橋の平べったい形が、土手の草の青さにマッチして、夏の午後らしい、のどかな風景です。

埋め立てが急速に進む、昭和40年代以前は、広大な砂洲の間に、「圦(いり)」と呼ばれる水路が縦横に流れていたそうですが、この川もかつては、そんな浅瀬の澪筋のひとつであったのでしょう。
撮影地点のMapion地図

FI2617493_3E.jpgやはり右岸の、さらに上流に進むと、コンクリート堤防が途切れて、結構な規模のポンドが姿をあらわします。

これは、「堀江ドック」と、ちょっとハイカラな呼び方をされている舟溜りで、昭和24年、キティ台風の被害で壊れた堤防を復旧する際、あわせて建設されたものだそうです。地場の漁船専用で、外来艇の使用はできませんからご注意。

FI2617493_4E.jpg青い鋼アーチ、東西線江戸川橋梁の近くまで来ました。橋の向こう左寄りには、東京では珍しい中洲、妙見島も見えます。島の西水路は、屋形船や遊漁船の舟溜りで、やはり外来艇は立ち入り禁止です。

写真右岸は、浦安市の当代島。かつては渡し舟や、東京行き通船の発着所があり、現在は東西線浦安駅にも近く、昔から浦安の中心地として、栄えている街でもあります。

FI2617493_5E.jpg東西線の橋のすぐ近く、下流側にあるのが、写真の境川西水門。以前紹介しました、境川東水門と対をなす、「浦安の母なる川」、境川を守る水門です。
昭和28年、木製マイタゲートにて創設、現水門が建造されたのは、昭和40年だそうです。(木製マイタゲートの時代、見たかったなあ…)
戦前の浦安をモデルに書いた、山本周五郎の小説「青べか物語」にも登場する、通船発着所「蒸気河岸」は、この少し左、東西線橋梁の、少し上流側にありました。
撮影地点のMapion地図

(参考文献『浦安 文化財めぐり』浦安市教育委員会、平成13年発行)

(18年8月5日撮影)

(『旧江戸川下流部…2』につづく)