FC2ブログ

通船堀に寄り道…2

FI2617503_1E.jpg(『通船堀に寄り道…1』のつづき)

通船堀東縁の左岸に沿った、細い道を進むと、意外な近さで、東縁一の関が見えてきました。写真は右岸上流側から見た、一の関の水門です。通常はもちろん、角落としと呼ばれる堰板ははめられておらず、水は流れるに任せています。

通船堀の左岸の道は、クルマも通れますが、遊歩道として美しく整備されており、二つの関のかたわらには、ベンチや解説板も備えられて、生きた史跡として、大切にされていることがうかがえました。

FI2617503_2E.jpg同じく、一の関の上流側をのぞき込んだところ。

近代閘門のように、注排水専用の側渠やゲートを持たず、舟が通る水門自身で注排水を行うため、排水時の急な水流で生じた、洗掘現象で壊されないよう、上流側をじょうごの口のように、開いたかたちに造ってあります。
材質ですが、常に水に浸かる底面には松を、堰たる角落としを支える、鳥居柱と呼ばれる枠には、ケヤキを用いているとのことです。

FI2617503_3E.jpgこちらは上流側の水門である、二の関を、下流側から見たところです。
痛んでいるところや、補修の痕がおわかりいただけるでしょう。木製の、水に浸かった構造物ですから、保守管理も、さぞかし大変だろうと察せられます。

この二つの関は、現役最末期である、大正時代の図面を元に復元したもののようです。ですから、細部まで江戸時代そのまま、というわけではあるまい、と思っていました。

しかし、手元にある、江戸時代の水門や橋の図面集を見てみると、紀州流の水門というのが、まさにこの関の構造にそっくりで、大筋は300年近く、変わらずに継承されたのだなあと、改めてその古式を認識したものです。

FI2617503_4E.jpg二の関を、上流側にかかる小橋、「にのせきばし」から見たところです。
この橋はコンクリート桁橋で、橋下の空間は極めて狭いため、二の関を少しでも堰上げ(せきあげ)たら、カヌーの類でも通航は難しいでしょう。

毎年行われる実演も、一の関を堰上げて水位を上げ、二の関に舟が鼻先を入れて終わるようで、見沼代用水東縁まで、舟が航行してみせるわけではありません。
もちろん、地元のご努力で、ここまで復元されただけでも、大変ご立派であることは、違いありますまい!

FI2617503_5E.jpg「にのせきばし」から、上流側を眺めてみました。
通船堀東縁の全長は約390m、二つの関で3mの水位差を克服するのですから、かなりの急勾配で、一見しても、坂であることが解るくらいです。

この先にも、橋や水門があるので、いずれにせよ通しの航行はできないのですが、木が茂って、昼なお暗い影を落とす通船堀は、音を立てて流れる水も涼しげで、散歩道としては、絶好の環境に見えました。
一の関の近くでは、小魚が群れて泳いでいるのも見え、水質もまずまずのようですね。

(18年8月20日撮影)

(『通船堀に寄り道…3』につづく)

通船堀に寄り道…1

FI2617501_1E.jpg昨日8月20日(日曜日)の午後は、所用で埼玉県南部をクルマで移動していたのですが、目的地への途上、見沼通船堀の近くを通過することが判明。予定も押していたので、わずか30分ほどの、あわただしい寄り道と相成りました。

享保16年(西暦1731)に作られた、閘門を備えた運河の草分けの一つ、見沼通船堀については、すでに何度か触れましたし、詳しく紹介しておられるサイトも少なくありませんから、説明はかいつまんだ形で、させていただきます。

まずは、かつての見沼通船の差配役、鈴木家のたたずまいを。
通船堀と、同時期の建築という古いもので、毎週土・日曜に、復元された艜(ひらた。川舟の一種)と、母屋をのぞく付属建物の公開が行われています。
撮影地点のMapion地図

FI2617501_2E.jpg八丁橋の上から、芝川の上流側を見たところです。
左に見える橋が、通船堀西縁、右の橋が通船堀東縁の入り口で、水は東縁と西縁から流れ出て、芝川に排水されます。

かつては、二つの通船堀いずれにも、一組の閘門が設けられていましたが、稼働状態に復元されているのは、東縁の閘門のみで、西縁のものはダミーだそうです。

FI2617501_3E.jpg八丁橋の東側橋詰、通船堀東縁のほとりにある、水神社です。

このあたりが、八丁河岸として賑わっていたころは、船頭や河岸の人々の篤い信仰を集めた、まさに、「水」に縁の深い人たちための神社、と言ってよろしいでしょう。やはり通船堀と、同時期の創建だそうです。
とりあえず、土地の神様にご挨拶をと、早速参拝。なぜか、お賽銭箱がなかったので、祠の縁側正面(?)に、置いてきてしまいました…。
私も、遊びブネながら船乗りの端くれ、御利益があるとよいのですが。

FI2617501_4E.jpg二つの通船堀入り口を、正面より撮りました。上が西縁、下が東縁です。
カルガモさんが数羽、のんびりと浮いて、のどかな雰囲気…。

以前、浦安市郷土博物館で見た、海苔ベカ程度の舟なら、竿をさして通航できそうな水量ですね。


FI2617501_5E.jpg八丁橋です。明治になって、鈴木家の差配が終わり、見沼通船会社が設立されたのも、この橋詰でした。

大正末に、通船堀が衰微するまで、先ほど触れたように八丁河岸と呼ばれ、物資の集散地として、機能していました。通船堀の盛衰を見てきた橋と言って、よろしいでしょう。

ちなみに、この八丁橋を通る、赤山街道(県道吉場・安行・東京線)が走る土堤は、かつて芝川を堰き止め、溜池・見沼溜井をつくった、八丁堤の名残りです。今風に言えば、ダムの堤体ですね。

(18年8月20日撮影)

【8月22日追記】5段目後半、八丁堤の項を追記しました。
【8月23日追記】2段目、「西縁に排水」は勘違い(笑)です。東縁・西縁とも、芝川に排水しています。お恥ずかしいですが、訂正させていただきました。

(『通船堀に寄り道…2』につづく)

8月5日のフネブネ

FI2617500_1E.jpg(『中川を下って』のつづき)
最後は、ささやかなフネづくしとまいりましょう。

江戸川は妙見島対岸、いにしえの「蒸気河岸」付近にもやう、屋形船群です。年季の入った肌のコンクリート堤防に、船宿の看板や、手づくり然とした桟橋が立ち並ぶ水辺は、誰もいないのに人いきれを感じさせる、大好きな風景の一つです。

そういえば、和船や、和船を祖とする型のフネ(この屋形船や、ある種のFRP漁船のような)は、接岸時にフェンダーを下げているのを、見たことがありません。
かつての木造和船の場合、小縁(こべり、舷側の縁材)が、防舷材の役目をしていたようですね。昔の写真を見ても、びっちりとメザシ状につながれた舟たちの間には、フェンダーのようなものは、挟んでいないようでした。

先日お世話になった、水郷のサッパも、行き合い舟だろうが、エンマ(水路)の石垣だろうが、気にせずガリガリとこすって通過していたっけ…。

FI2617500_2E.jpg帰路、荒川を下っていると、平井大橋をくぐったあたりで、前方から、いにしえの川蒸気、通運丸や、銚子丸もかくやと思わせるような、古風なシルエットのフネが!

興奮(笑)して、行き足を止めつつ見ていると、さすがに外輪はついていませんでしたが、ニス塗りらしい部分もちらほら見える、なかなか魅力的な河用客船です。新しい水上バスかな?

紺色の船体に、紅い船底色が映えて、とてもステキな感じ。船名は「マルコ・ポーロ」、ふむ。走りっぷりも、馬力過剰な感じがしないあたりが、なんだか川蒸気ぽくて、すっかり気に入ってしまいました。
撮影地点のMapion地図

FI2617500_3E.jpg「マルコ・ポーロ」は、ゆっくりですが力強いウェーキを残しつつ、私の艇の正横を通過してゆきました。見たところ、お客さんはまばらでしたので、チャータークルーズか、もしくは試験航行でしょう。

古典アメリカ風を狙ったと思しき、枯れたバタ臭さ(笑)が、なんとも文明開花の雰囲気と言うか、明治の日本らしさに近いモノがあり、いい感じです。いやー、今まで見た河用客船(平たく言えば、水上バスのたぐい)の中で、最も川蒸気らしいスタイルだったなあ…と、揺れる愛艇の上でしばし、立ちつくしてしまうほどでした。

帰宅してから、何種類かのキーワードで検索してみたものの、どうしてもヒットしないので、あきらめて「ご案内」で、皆さんにご教示をお願いしてしまいましたが、昨日ふと「船 マルコ・ポーロ」で検索したところ、トップにヒット!株式会社 オーシャンキングジャパン(ふね~るレボリューション)の所属船であることが判明。お騒がせしました!

FI2617500_4E.jpgマリーナからの帰り、少し遠回りをして、晴海大橋を渡ったら、眼下の晴海埠頭に、なんと軍艦らしいフネが、数隻接岸中!
こういう機会に出くわすことは、めったにありません。嬉々として、もう横っ飛びの勢いで寄り道決定。近づいてみると、奥(旧石川島重工側)の一隻は、海上自衛隊の護衛艦、「はるさめ」でした。

最近の艦に共通の、エッジの立ったデザインですが、最新艦らしいスマートな中に、昔の軍艦のいかつさも残っていて、バランスの取れたいいフネだと思います。

FI2617500_5E.jpg岸壁手前(客船待合室側)に並んでもやう二隻は、ニュージーランド海軍のフリゲート艦「テ・カハ」と、補給艦「エンデバー」。
「テ・カハ」は、煙突がV字型に開いた、珍しい形をしています。「はるさめ」より小型の艦ですが、兵装は「はるさめ」に劣らないくらい、強力なものです。

恐らく、この2隻は、士官候補生の遠洋航海などで、来航したのでしょう。後ろの「はるさめ」は、ホストシップといって、いわばお出迎え役です。外国の軍艦がわが国に来た場合は、外交儀礼として行うものですが、まるでフネが擬人化されているようにも思え、面白いですね。

(18年8月5日撮影)

(この項終わり)

中川を下って

FI2617499_1E.jpg(『新中川の橋づくし…3』のつづき)
帰路は、中川のウネウネ区間?を利用して、荒川に出るという、これもお馴染みのコースを採ることにしました。
このつづら折り河道については、以前にも紹介しました(こちら)ので、前と違うアングルを中心に、かいつまんでご覧に入れます。

写真上:奥戸橋。上流側から撮影。左岸には、葛飾区総合スポーツセンターがあります。
写真下:平和橋の中央部。桁下端の、ゼブラ塗装の部分、衝突痕がいくつか見えますね。通航する皆さん、お気をつけて…。

FI2617499_2E.jpgこぢんまりとした、2径間のローラーゲートは、(社)東京下水道設備協会が運営する、本田ポンプ所からの排水口を、守る水門のようですね。小さいながらもゴツい風貌で、惹かれるものがあります。

Mapionには表示されなかったので、Googleマップでご覧下さい。
撮影地点のGoogle地図

FI2617499_3E.jpg中川と綾瀬川の合流点まで来ました。
斜張橋・首都高の葛飾ハーブ橋、トラス・上平井橋、その向こうに上平井水門と、個性豊かな構造物が交錯する、魅力的な風景です。

澪筋の限られた、屈曲連続区間もここで終わり、緊張も解けて、少しホッとする風景でもあります。

FI2617499_4E.jpg都内最大の可航水門、上平井水門の裏表を、撮ってみました。

日も傾きつつあるころだったので、腕の悪さに光量不足が加わり、残念な仕上がりになってしまいましたが、裏側の、高潮の水圧に耐えるトラス構造や、ツートンカラーの扉体が、おわかりいただけると思います。

FI2617499_5E.jpgこれも、以前紹介しましたが、中川水門の表裏もご覧に入れましょう。
荒川側から見ると、ディテールに乏しいということもあり、小さく見えてしまう中川水門ですが、中川の面は一転して、ちょっとおどろおどろしいような、迫力ある風貌です。高速道路の、影になっている時間帯ということも、手伝っているのかもしれません。

(『8月5日のフネブネ』へつづく)

(18年8月5日撮影)

【8月19日追記】5段目、中川水門の写真と文を追加しました。

停電お見舞い

FI2617498_1E.jpg新中川のお話の途中ですが、まず今回の大停電の、被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げたいと思います。
30℃前後の気温の中、エレベーターの中に閉じ込められたり、電車の線路を歩かされたりなどの、災難に遭われた方もおられたとのこと、皆さんご同情申しあげますが、死傷者が出なかったことは、幸いではありました。

私は、ありがたいことに、通勤に利用している電車が、若干遅れた程度で済み、停電の被害の大きさは、仕事場に着いてから知ったほどで、申しわけないくらい、実にノンキな朝でした…。

停電の原因となった、旧江戸川の高圧送電線を壊したクレーン船の運用や、その乗組員の行動については、首をひねるような点が多くありますが、情報は限られており、細部は今後、警察によって究明されるでしょうから、素人論評は控えておきましょう。

珍しく、タイムリーな話題を引き合いに出したのは、事故の起こった水域が、通い慣れた旧江戸川で、つい一週間ほど前に通過したばかりということもあり、やはりびっくりはしました。(ただそれだけか、と言われると、まあ、それだけですが…笑)

いつもは人影もまばらな堤防が、見物人や報道陣で騒然としているさまを見て、「あ、そういえば、この辺りの写真を撮ってあったなあ…」と思い出し、探してみると、ありました。前回航行時、8月5日の江戸川河口付近です。
遠くにうっすらと、くだんの送電線が見えています。確か、送電線には旗のような布片がつけられ、両岸の堤防には、大きな看板に「送電線注意!」と、書かれるなど、幾重にも注意を促す処置が、されていたはずです。

送電線の、水面からの最低高は、16メートルほどだそうですが、支えるもののない水面上では、少しの風で電線が大きく揺れるでしょうから、復旧作業はやはり、命がけのものなのでしょう。
艇上からはるかに見上げた、上空の送電線を思うと、電力会社の職員の皆さんの無事と、作業の成功を祈らずにはおれません。