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浦安市郷土博物館で購入したもの

FI2412234_0E.jpg(『境川東水門』のつづき)
浦安市郷土博物館の売店で、3冊の本を購入しました。いずれもA4判・並製本です。

左の「浦安 文化財めぐり」(浦安市教育委員会・平成13年発行)は、マットPP装丁、全4色の美しい印刷による、有形無形文化財のガイドです。
一読して、失礼な感想ですが、砂州の上に発達した集落である浦安に、これほどの古刹や石仏があることは驚きでしたが、言い換えればそれは、干潟がもたらした恵みが、非常に豊かであり、多くの人を養い得たことに、他ならないのかもしれません。各章の終わりに挿入された、コラム的なエピソード集も面白く読めます。

中央の「浦安のベカ舟」(浦安市教育委員会・平成11年発行)は、漁業権放棄以前の、ベカを中心とした浦安の造船技術と、周辺の文化についてまとめられたもの。
多岐に渡る工具や釘の、側・平面図がつけられているのは親切で、初めての方でも、複雑な工程を理解する助けになるでしょう。動力化船に使用された、焼玉ほかのエンジンについても触れられています。掲載の技術や工具、実船が博物館で見ることができるのは、言うまでもありません。

右の「水に囲まれたまち」(浦安市教育委員会・平成8年発行)は、太古以来の水上交通から、京葉線、湾岸道路に至るまでの交通史を中心に、浦安の歴史を説き起こしたものです。
陸上交通のみの目線で見ると、浦安橋の開通が昭和15年、東西線の開通が44年と、「陸の孤島」のレッテルにたがわないのですが、水上に目を転じると、さすが「水に囲まれたまち」、用途に応じた多種多様な船が建造、運航され、濃厚な舟運文化が花開いていました。
寄席や芝居小屋があり、周辺の町村から客を集めていたことからも、浦安が単なる漁村や、まして「陸の孤島」などではなく、古くから地域の中心的存在であり、経済力のあった町であることが理解でき、興味深く読めました。

FI2412234_1E.jpg本を買ったら、係の女性が「以前作ったものだけど、よかったらどうぞ」と、オマケにつけてくれたのが、博物館のマスコットキャラクター「あっさり君」(笑)のシールと、なんと、あっさり君の形に抜かれた海苔!
これは嬉しい余禄です。ありがとうございました。

このあっさり君、浦安の干潟の、かつての特産物であったアサリを擬人化したもので、漁師らしいねじり鉢巻を回し、やはり浦安の名物であったベカに乗っているというもの。
海苔養殖も、ベカの仕事であり、浦安の大切な産業でしたから、「あっさり君海苔」は、まさに浦安の象徴を凝縮したノベルティと、言ってよろしいでしょう。

色が淡いせいか、一瞬、あっさり君が剥き身に見えて、ギョッとしたんですけど(笑)、よく考えてみると、上に書いたような、さまざまな意味が込められていることが解り、和船をデザインしたキャラクターが珍しいということもあって、今では結構気に入っています。

(この項終わり)
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境川東水門

FI2398992_0E.jpg(『浦安市郷土博物館…2』のつづき)
博物館を出ると、目の前には、境川がほぼ南北方向に走っています。かつての浦安に生きる人々にとって、漁港であり、生活の道でもあった境川も、今やひっそりとして、船影もまばらです。

私は以前から、この境川を航行してみたかったのですが、(この日、出港停止にならなければ、攻略してみるつもりでした!)写真の境川東水門は常時閉鎖されているため、二分された境川を、江戸川方と、東京湾の両方から入ってみるほかは、なさそうですね。

この水門は、ふたつの水門が併設された二重構造で、水門に挟まれるようにして橋がかけられ、道路が通っています。
この道路の部分だけ、周囲の土地より一段高く、まるで堤防のようなので、気になって観光マップを見たところ、「浜土堤」と呼ばれた、かつての防潮堤のなごり、ということが解りました。
撮影地点のYahoo地図

FI2398992_1E.jpg境川の上流側(江戸川方)を見たところです。
博物館で購入した「浦安 文化財めぐり」によると、境川は現在、全長4.8kmあり、昭和39年からの埋め立てで、かつての3倍もの長さになったとありました。

ご覧のとおり、左岸には、レンガを基調とした、落ち着いた感じの親水護岸が整備され、静かな水面と合い増して、好ましい雰囲気を醸し出しています。
右岸はまだ、整備が緒についたばかりのようですが、遠からず左岸同様の姿になるのでしょう。低いテラスの部分が、水面近くまで低められており、船もつなぎやすそうで、係留が許されるのなら、船での食事や買い物に、利用してみたいくらいです。

水面はもとより、テラスにもあまりゴミは見られず、瀟洒な親水護岸とともに、この川が大切にされていることが見て取れました。ここまで整備されるには、住民の方々の努力も、並大抵ではなかったでしょう。
ベカやマキ船が舷を接してひしめく、かつての風景は、博物館の中でのみのものとなりましたが、これからも境川は、浦安の象徴として生き続けるに違いありません。

FI2398992_2E.jpg水門の下流側(東京湾側)から見てみました。歩道が、水門の周りをコの字状にとりまき、扉体はよく見えません。
写真には写っていませんが、左側には排水機場がありました。

このような、二重構造の水門は、他にもいくつか見られるのですが(上流の江戸川端にある、境川西水門も二重です)、閘門でもないのに、なぜこのような構造になっているのか、私にはわかりません。

両方から水圧がかかることを、考えているのかな?とも思ったのですが、その割には、扉体がふたつとも、フラットな面を下流側に向けています。はて?
ご存知の方がおられたら、ご教示いただきたいものです。

FI2398992_3E.jpg水門の支柱の側面に、銘板が貼ってありました。

これによると、上流側は「副水門」と称しており、下流側の補佐役、といったニュアンスに読めました。
扉体の大きさも、副水門の方が、高さを低く作られているのです。そういえば、水に浸かっているのは「主水門」(?)の方で、副水門は引き上げられていましたね。
あくまで緊急時のみ使用し、ふだんは温存している、ということなのでしょうか…。

FI2398992_4E.jpg水門の下流側に少し歩くと、やはり親水テラスがあり、多くの船が河岸棒にもやわれてたむろする風景を眺めて、しばし休憩することにしました。水面をのぞき込むと、澄んだ水越しに底の砂が見え、小さな魚がたくさん泳いでいました。

テラスには、可愛らしい先客がいました。丸々と太った大きなアヒルと、鴨です。
アヒルさんたちは人慣れしていて、博物館の駄菓子屋で買った、ベビーカステラをちぎって与えると、喜んで食べてくれました。
すると、それを見ていた鳩や、遠くの水面に浮かんでいたカルガモの群れまでが、餌をねだって押し寄せ、時ならぬトリの楽園状態(笑)。

夕方ともなると、さすがに強風下、海風の冷たさに震えあがりましたが、博物館といい、境川といい、浦安の心意気を感じることができ、出港できなかったことを補って余りある、楽しい休日となりました。

(『浦安市郷土博物館で購入したもの』につづく)

(18年3月12日撮影)

浦安市郷土博物館…2

FI2398875_0E.jpg(『浦安市郷土博物館…1』のつづき)
船大工氏に招かれ、さっそく打瀬舟の船上へ。木造船に土足で上がり込むのは、靴の跡がつきそうで、少し抵抗があるのですが…美しく整備されているだけに、なおさらです。
船体長は6mほどでしょうか、船体は展示のために新造したもので、「これもオレが造ったんだよ」と船大工氏。エンジンは再生品だそうです。

機関室のフタを上げると、油の染みた架台の上に、小さいけれど、ごついエンジンが納まっているのが見えました。立ち昇るオイルのかおりは、このエンジンが生きている、何よりの証しです。
右の長い棒がクラッチレバー、メーター(壊れていますが)の横にある、ラッチ付きの小さい握りが、キャブレター調整レバーです。

FI2398875_1E.jpg船大工氏の説明を聞いていると、スタッフジャンパーを着た女性が乗り込んできて、「回そうか?」と言いながら、機関室にもぐり込み、慣れた手つきで準備を始めました。

昔の舶用エンジンですから、もちろん人力始動です。クランクを回す腕に、力がこもりました。お役を奪われた?船大工氏は、「こんな重いものを、女の子が回しちゃうんだからなあ、まったく型なしだよ。」とくさしながらも、孫に孝行されたおじいちゃんの雰囲気で、ニコニコして見守っています。

やがて、ボムボムボムッ、と腹に響く爆音とともに、左舷の排気口から、白い排気と冷却水が勢いよく吐き出されてきました。キャブレターを開けたのでしょう、爆音はいよいよ高まり、船体がビリビリと振動しているのがわかります。エンジンの音を聞きつけて、集まってきた他の見学者の方々も、あまりの音と煙に驚いています。
2サイクルエンジン独特の、オイル臭もかぐわしい白い排気に包まれて、私は興奮の極みでした。

FI2398875_2E.jpgこちらも、動態保存されている、舶用焼玉エンジンです。
船大工氏の話では、なんと、江戸川に沈んでいた沈船から引き上げて取り外し、3年あまりをかけて復元、可動状態に整備したとのこと。サルベージに労力を割いてまで保存に取り組んだあたり、この種のエンジンの絶滅ぶりをうかがわせ、興味深いものがあります。
結構なカサがありますが、昔のエンジンのことですから、出力は数十馬力程度だそうです。私の艇と同じか、低いくらいの馬力ですね。

焼玉エンジンとは、プラグの代わりに、外部からの熱で燃料に着火させる、「焼玉」というしくみを備えた内燃機関です。昔は舶用や機械の動力に多用され、珍しい例では、機関車にまで使われたこともあるそうです。

こちらはさすがに、搭載できる船を作る余裕はないようで、街の鉄工所風にしつらえた小屋の中に納まっていますが、展示のしかたとしては、実にいい感じです。
古い自動車や、蒸気機関車などの動態保存は、今や珍しくありませんが、船舶関連のものはまだしの感があります。
それが、ここでは先ほどの打瀬舟に加え、焼玉エンジンと、2台の舶用機関が動態保存されているのですから…浦安市の心意気や、ここにありといったところでしょうか。

FI2398875_3E.jpg興奮また興奮のひとときが終わり、頭を下げてお礼を述べると、船大工氏は「今度は焼玉を動かすから、またぜひ来てください。他の展示もゆっくり見てらっしゃいよ」と、笑って送り出してくれました。本当にありがとうございました!

いまひとつの目玉展示物は、昭和27年前後の浦安の一角を再現した、小さな町並みです。天ぷら屋、三軒長屋といった10軒の木造家屋のうち、4軒が実際使われていた移築物で、浦安市の文化財にも指定されています。
この類の展示は、どうしてもアレンジがきつ過ぎて、わざとらしくなってしまうきらいがありますが、実際拝見すると、思ったより自然な感じで、路地を抜けるときなど、子供のころを思い出して、なにかジーンときてしまいました…。

写真正面の船宿は、「もやいの会」(博物館ボランティア)の詰所にもなっており、船大工や船頭の経験のある方々の、お話を聞くことができます。
左隣の「漁師の家」に入ってみると、土間の台所の上の神棚、上がりかまちの棚に仏壇、そこここにまつられた幣や注連縄…小さな家ながら、まさに神様と仏様に囲まれつつ、暮らしていたことが実感でき、圧倒される思いがしたものです。
展示物ながら、神棚も仏壇もきちんと祀られて、粗末な扱いをされていないところにも、好感が持てました。

FI2398875_4E.jpg船宿の右隣、「タバコ屋」を称する2階建て家屋の室内を、裏の縁側から見たところです。
猫の額のような縁側や、急な階段の雰囲気が、亡くなった祖母の家と似ていて、懐かしくなりました。
頭を丸髷に結った祖母が、「こづかいあげるから、駄菓子屋でも行っておいで!」と、商家の女らしい、枯れた声で言っていたのを思い出し、ふたたびホロリ。トシのせいかな、涙もろくなったのでしょうか。

他にも、館内で見た、浦安の歴史をまとめた映画では、苦渋の選択で漁業権を放棄して、浜で漁船を燃やすシーンで、お恥ずかしいですが涙ボロボロ…。
もちろん和船建造のお話やエンジンでも、感動のあまり目が潤みましたし、なんだか、泣いてばかりのヘンな奴になってしまいました。

まあ、それほど素晴らしい博物館ということです。ハイ。
「見学したけど、全然泣けなかった!」という、苦情はなしですよ…。

(18年3月12日撮影)

(『境川東水門』につづく)

【追記】コメント欄の、鎌海豚さんのお返事にも書きましたが、焼玉エンジンが、プラグの代わりに焼玉で着火させている、というのは間違いです。
ディーゼルエンジンと同様に、圧縮されるときの熱で着火させるのですが、圧力が強くとれないため、焼玉で噴射された燃料を予熱する、ということが判明しました。お詫びしてここに追記いたします。

浦安市郷土博物館…1

FI2393190_0E.jpg去る3月12日は、本年初出動の予定でしたが、ご存知のとおり強風で、不安になりつつマリーナ事務所に出頭したところ、「東京灯標風速20数メートル、出港停止!」と言い渡されガックリ…。またしてもメンテだけして帰る羽目になりました。

まあ、遭難してのっぴきならなくなるよりマシと、気を取り直し、帰りは寄り道をして、以前から興味のあった、浦安市郷土博物館を、訪ねてみることにしました。

この博物館は、浦安周辺の和船建造技術の保存と、いにしえの町並みを再現した屋外展示に、力を入れていることで知られています。
江戸川河口の三角州につくられた街、かつての浦安は、戦後しばらくまで陸上交通が乏しかったため、漁業はもとより、人の往来や流通にまで、船が深く関わってきました。軒先に水路があり、船がもやわれているような情景が、日常の中にあったことでしょう。
それを再現して見せてもらえるのですから、水運好きとしては、興味の沸かぬはずはありません。

FI2393190_1E.jpg境川のほとり、浦安市役所前にある博物館の受付で来意を告げると、入館は無料とのこと、パンフレットをいただき、いそいそと館内へ。

木の香りに満ちた展示室には、頭上のラックや床上に、和船がところ狭しと置かれ、木造船の質感と大きさに圧倒される思い。
仮屋(作業場)も再現されていて、展示の一環として実際に作業もしていると見え、船大工らしい初老の男性が、使い込まれた工具を前に談笑していました。
写真は投網舟です。杉の柾目と、銅釘で打った銅板が美しく、しばし撫でさすりつつ見惚れました。危険防止のためでしょう、一本水押(ミヨシ)の先にかぶせものがしてあるのは、仕方がないとは言え、ちょっと残念でした。

FI2393190_2E.jpg我々に説明をしてくれた、船大工の男性(もちろん博物館の方です)に、「落とし釘」は?「木殺し」は?…と質問をぶつけてみると、ニヤリと笑って、作業場に招き入れていただき、熱心にお話を聞かせて下さいました。
少しは話が通じると、思ってくれたのでしょう。子供のころから、造船所に遊びに行っていた甲斐がありました!

上の写真が落とし釘です。
和船を作るには欠かせないもので、平たい形をしており、一本一本、専門の鍛冶職が鍛えます。これで数枚の板を縫い付けるように打つと、一枚板と、ほぼ変わらない強度を持つようになります。
これが作れる職人は、もう国内に何人もいないことは聞いていたので、どこから仕入れたのか質問すると、「横浜の方にいたんだけど、最近亡くなった」とのこと…。

木殺しとは、板の接合する面を、玄翁(木づち)で叩いて圧縮し、水に触れたときに板が膨れて、防水の役目をさせる技法です。
船大工氏が現在造られている、浦安ベカや、手舟(テブネ)といった種類では、木殺しの技法は用いず、もっぱら「すり合わせ」によるとのことでした。
すり合わせとは、板の接合面に、専用の鋸を入れてケバ立たせ、やはり組み立てたあとに板が水を吸って膨れ、よく防水するように加工するやり方です。下の写真は、すり合わせの説明を受けているところ。両側から板を押さえ、合わせ目に鋸を入れるのです。

FI2393190_3E.jpgこれが、船大工氏が作った「手舟」です。

棚板(側面の板)の開きが少なく、幅の割りに長さのあるファインな船型で、いかにもスピードが出そうですが、上手に漕ぐのには熟練がいりそうです。でも欲しいなあ…。
「一丁櫓で漕ぐと、面白いくらい早いよ。ただ、幅がなくてグラグラするから、人は何人も乗せられないがね」と、笑って説明してくれました。
もとはボラなど、すばしこい魚を網に追い込むために使われたものらしく、搭載量よりも、速度が要求されたのでしょう。

木材は外国産ですか、と伺うと、バカ言っちゃいけないよ!という顔をされてしまいました。「印旛沼の近くで採れたのがいいんだよ」とのこと。これは失礼しました!
建材は言うに及ばず、墓石や食品に至るまで、大陸産が幅を利かせている昨今、和船にその魔の手(?!笑)が及んでいないとは、ホッとすると同時に、感動ものでした。

FI2393190_4E.jpg話は素材選びから、工具の使い方までに及び、船大工氏の熱のこもった話術にぐいぐい引き入れられ、興奮した私の顔は、きっと紅潮していたと思います。一時間くらいだったでしょうか、実に濃厚な、充実した時間を過ごした気がしました。
まさか、このあとさらに興奮するイベントが続こうとは…。

説明が手舟を離れ、屋外展示の水路に浮かぶ二本マストの船、「打瀬舟」に移ると、「エンジン、動かしてあげようか?」と船大工氏。
旧艇と別れて以来、久々に2サイクルエンジンの爆音と、オイル臭のする排気を、間近で体験できることと相成りました!

浦安市郷土博物館のHPはこちら

(18年3月12日撮影)

(『浦安市郷土博物館…2』につづく)

あの本が!

FI2375411_0E.jpg少し前のことになりますが、いつもお世話になっている古書店に、一歩足を踏み入れたとたん…
「あっ、キミが前から探していた、運河の本が入ったよ!」と、ご主人に呼び止められたのですから、まあビックリするやら嬉しいやら。
以前から、読みたい読みたいと騒いでいた、矢野剛著「運河論」(巌松堂書店、昭和10年4月発行)が、ついに手に入ったのです。

なにぶん、本邦唯一と思われる運河の専門書ですので、数年がかりで手に入れば、めっけもんだろう、とのんびり構えていました。
それが、依頼してわずか数ヶ月で探してくれたのですから、市場に出てきた、運のよさもさることながら、古書店の眼力、実力も大したものです。

探し当ててくれた、古書店の息子さんは、「いやあ、お客さんの『読みたい』っていうパワーが吸い寄せたんだよ」と謙遜していましたが、体裁も解らない本を、多くの本の中からピタリと見定める目の確かさに、さすがプロ、と感服しました。

以来、少しづつ読み進んでいますが、戦前の発行ながら、内容は思った以上に濃厚で、氷解した謎あり、今まで知らなかった運河の詳細なデータありと、内水路好きとしては、これ以上楽しい本はないであろう、と言っても言い過ぎでないものです。
製本も非常に丁寧で、保存状態も悪くなく、よくぞ残っていてくれたと、書物のありがたさが身にしみています。

とりあえずご報告まで、内容は、これから折を見て、順次ご紹介させていただきたいと思っています。