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憧れの利根運河…4

FI2199369_0E.jpg(『憧れの利根運河…3』のつづき)
水路橋の上からは、野田導水機場が間近に見えました。もうちょっと背の高い施設を想像していたのですが、こぢんまりとしていて、この中にポンプが仕込んであるとは、ちょっと意外な気がしました。主な設備は、地下にあるのでしょう。
向かって左側、正面の壁に取り付けられた銘板には、昭和50年3月竣工とあります。

この導水機場は、利根川の水をポンプアップして、利根運河を通じ江戸川に流し、東京の水道水不足を補うために造られました。
戦後しばらく、流域の余水を、排水するだけの用途に使われていた利根運河は、このとき「野田導水路」として、生まれ変わったのです。

ただ、この時点ですでに、利根川の木下から手賀沼を経て、松戸に至る「北千葉導水路」の建設が始まっていたので、それが完成するまでの、暫定的な存在でしたが…。
北千葉導水路が、平成11年に完成したため、現在の利根運河には、恐らく導水路としての役割は、期待されていないのでしょう。それを証明するように、導水機場は静まり返って、水を汲み上げている様子はなく、水路の水は流れもなく汚れて、少々臭いもしました。
運河橋や、江戸川口付近で見られた流れは、利根運河に排水する江川などの水によるものだそうです。

運河としての使命を終え、導水路としても、お役目御免となった利根運河…。
次に脚光を浴びるときは、どのような変貌を遂げるのでしょうか。

FI2199369_1E.jpg導水機場の上に立つと、ようやく、利根川の水面が見えてきました。取水口の格子の上には網が張られ、異物を吸い込まないようになっています。

明治時代、利根運河が造られた当初は、江戸川から利根川に向けて、水が流れるよう、僅かな勾配をつけた設計になっていたそうですが、明治29年7月の洪水で、利根川の河床が上がり、逆に江戸川に向けて、流れるようになってしまったとのことです。
その後も、利根川の河床は、少しづつ浅くなり続け、運河時代の末期は、当初の数倍の人夫を雇わないと、船を曳くことができないほど、流速が早くなってしまったそうです。

FI2199369_2E.jpg利根川に着きました。電車やクルマの車窓から、何度か見たことはありますが、水辺に立つのは、実はこれが初めてです。
写真は、運河利根川口の砂嘴の上から、下流側を見たところです。顔を刺す冷たい風を忘れて、水際にしゃがみ、澄んだ利根川の水に手を触れてみました。
かつて、自艇での利根川行きを夢見た身としては、感無量でした。
「利根運河さえ通船できれば、プロペラの一枚くらい吹っ飛んでも、気合でフネを利根川に持ってきたのに…」と、子供染みた妄想をしてみますが、もちろん詮のないこと。

前述のように、明治以来、堆砂により上昇を続けた河床は、戦後、高度成長期になって、セメントの骨材として盛んに川砂を採取したため、現在では逆に、江戸川より低くなっているそうです。
また、かつての運河利根川口は、現在位置より、数百m下流側にありました。

FI2199369_3E.jpg砂嘴の上から、上流側を見たところです。
この砂嘴はかなり大きく、運河利根川口の正面を、完全にさえぎるような形で突き出ており、内側には潅木の生えた茂みもあるほどで、できてから、相当の時間が経っているようでした。
浚渫もされずに、放置してあるということは、導水機場の揚水能力に障害があっても、さほど困らないということなのでしょう。もしかしたら、既に稼動状態にないのかも知れません。

対岸の上流には、鬼怒川の河口があり、河面には、いくつもの大きな砂州が顔を出していて、いかにも通船が難しそうな雰囲気ですが、目を凝らすと、何艘かの船外機艇が岸にもやっているのが見えて、なぜかホッとした気持ちになりました。
例え小型艇でも、川にフネの往来があるのは、川走り好きとしてはやはり、嬉しいものですね。

FI2199369_4E.jpg砂嘴から導水機場を見てみると、水路の至るところに、砂州というよりは、汚泥と呼んだ方が適当な浅瀬があり、やたら警戒心の強いカモさんたちの、格好の餌場となっていました…。

長年、本の上でしか知らなかった利根運河ですが、実際に訪れてみると、周囲の雄大な風景と相増し、想像していた以上に、魅力的な水路だと思いました。

魅力あふれる運河を、自艇とともに、走ることができないのは残念ですが……この内陸航路を拓くということが、単に利根運河ひとつを復活すれば、済む問題ではないということは、江戸川を何度か航行して、素人船長なりに身に沁みているつもりです。

救われるのは、利根運河が、単なる遺跡として、放っておかれているのではなく、さまざまな方面から研究され、土木史上にその名を残し、また地域の人々に愛されて、美しく保たれていることでしょうか。
(この項終わり)

(18年1月3日撮影)

【追記】利根運河の水質浄化について』(野田市HP市政の疑問にお答えします)に、最近の詳しいいきさつが掲載されていました。

北千葉導水路の完成にともない、「野田暫定導水路」としての、役目を終えた利根運河には、平常時の流水がなくなり、宅地化による雑排水の増加も手伝って、水質の悪化が懸念されていましたが、平成11年の協議により、「利根運河の環境をにらみつつ、環境用水として利根川の水を流すことが可能」となったそうです。
どのくらいの量の水を流して良いのかが、明記されていませんので、細かいことは、決まっていないのかもしれません。

なお、この記事では、野田暫定導水路としての竣工は昭和49年、北千葉導水事業の稼働開始は、平成12年4月1日とあり、他の文献と少し差があるのですが、それが解釈の違いなのか、管轄によって発令日?が違うのか、今のところは不明です。

【さらに追記】ウェブ上で公開されている、利根運河散策に役立つ地図はいくつかありますが、「ちば再発見~歴史・自然そぞろ歩記 利根運河マップ」(さわやか千葉県民プラザ)がよくまとまっており、手書きの地図も味わい深く、お勧めできると思います。

憧れの利根運河…3

FI2190972_0E.jpg(『憧れの利根運河…2』のつづき)
最後は、利根川口周辺を訪ねることにしました。できれば、運河沿いに行きたかったのですが、堤防上は自転車道のみ、運河に平行する一般道はほとんどなく、北方に大迂回せざるを得ませんでした。

運河水門と管理橋を、江戸川方より見たところです。
写真右側に、水堰橋近くから砂利道が延びていて、水門近くにある小公園脇に、クルマを停めることができました。
幸い空も晴れてきて、陽光に輝く青い扉体を堪能することができました。風は相変わらず強く、扉体がゴォン、ゴォンと、鐘のように鳴っていたのが印象的でした。
「新版 利根運河」によると、扉体の幅は26m、高さ10.8mとのことです。

FI2190972_1E.jpg水門の管理橋から、江戸川方、水堰橋を撮影。
このあたり、水はほとんど流れておらず、砂洲にも草が茂って、水路というよりは「澱み」といった感じがあります。

水堰橋の名は、その名の通り、運河の完成時から、ここに水堰(水門)があったことにちなんだものです。旧水堰は、前述した昭和16年の水害で壊れてしまいました。水堰橋も、旧橋が高度成長期に、トラックの通過に堪えられなくなったため、運河を横断する形で土手を作り、橋の代わりとしていた時代もあったそうです。
利根運河は、一時期完全に分断されていたのですね。
撮影地点のYahoo地図

FI2190972_2E.jpg管理橋を渡った、水門南側には、「野田導水路操作所」と表札に書かれた建物があります。こちらから水門を操作したり、各所のカメラで監視をしたりするのでしょう。
もっとも、最近ではほとんどが遠隔操作となり、操作所は無人のことも多いようですが…。
ちなみに野田導水路とは、利根運河が、導水路に改造されて以降の正式名称で、現在は旧名に復しています。

水門の利根川側には、江戸川口と同じ、境界表示板がありました。(なぜか、運河と直角に立っていましたが…)水門から東は、広大な利根川の河川敷です。

FI2190972_3E.jpg水門横に立つと、利根川の河川敷が一望できました。
大陸さながらの雄大な風景で、青空の下、枯野の中央を運河の水が貫くさまは、一枚の絵を見るようでした。はるか彼方、常磐自動車道利根川橋、つくばエクスプレス利根川橋梁も見えます。
河川敷ですので、運河の両岸にそそり立つ堤防はなくなり、水面の周囲が開けて、明治時代の、運河開削時を思わせるような風景です。

私が運河とともに、憧れて止まなかった、利根川本流まではもう一息です。

FI2190972_4E.jpg河川敷の運河沿いには、未舗装ながら立派な道がありましたが、車輌進入禁止とのことですので、ほてほてと歩いて利根川に向かいます。
幸い、日当たりも良く、また、ススキの茂みが風から守ってくれたので、堤防の上を歩くほど、つらくはありませんでした。

水門から、1kmほど歩いたでしょうか、錆の目立つ鋼桁橋がありました。一見廃橋のようにも見え、銘も見当たりませんでしたが、帰宅してから、「新版 利根運河」の折り込み地図を見たら、水路橋という名前がついていました。
江戸川方から見て、利根運河の最終橋になります。

(18年1月3日撮影)

(『憧れの利根運河…4』につづく)

【追記】三段目、野田導水路が正式名称とのくだり、「一級河川 利根運河」が、現在の正式名称とのこと。お詫びして訂正いたします。(もうボロボロ…)

憧れの利根運河…2

FI2190966_0E.jpg(『憧れの利根運河…1』のつづき)
幅の狭い、両通の堤防道をこわごわ走り、利根運河の西の果て、江戸川口にやって来ました。空は雲って、風はますます強く、時には立っているのも、つらくなるほどです。

久々に見る、江戸川中流部の水量は豊かで、十分な水深があるように思えますが、下流側を見ると、対岸近くに砂洲があり、澪筋は限られているようでした。
運河堤防の上流側には、結構な高さのある、砂嘴ができていて、護岸の半分以上を覆っているのが見えました。

以前、旧愛艇で、利根運河を間近にしながら引き返したときは、この運河入口に入りこんで、碇泊する心づもりでした。ぜひ水上から、この風景を見てみたかったですねえ…。
撮影地点のYahoo地図

FI2190966_1E.jpg江戸川口にかかる、深井新田橋(写真下)のたもとから、運河の利根川方を望んだところです。

江戸川と利根運河の間には、水門が設けられていないので、運河も江戸川の高水位に合わせて、堤防が高くなっており、さながら渓谷のおもむきです。
ゆるい曲線を描く河道は、工事のしやすい低地を選んだとともに、洪水時の流圧を、やわらげることも考えて、設計されたものなのでしょう。
なお、深井新田橋は、江戸川口の改良工事の一環として、旧橋を取り壊して新たに架け替え、昭和50年に完成したとのことです。

画面中央の水面に、落差工があるのか、段差が見えますね。「新版 利根運河」に掲載の、昭和45年ごろの写真を見ると、このあたりには2径間の水門があったようですから、その痕跡かもしれません。
遠方に見える橋は、松戸野田有料道路の、運河大橋です。

FI2190966_2E.jpg運河堤防上に、管理境界を示す看板がありました。
最初、なぜ運河の入口でなく、少し入ったところにあるのか、不思議な気がしましたが、考えてみると、この看板までが、江戸川の堤防の敷地内、すなわち江戸川の河川敷なのでしょう。

下の看板は、江戸川の水辺に立てられていたものです。この魚は、ナマズかしら? ヒレから、電気のようなモノを発しているところを見ると、電気ウナギかも…。いずれにせよ、こんな魚がヌッと顔を出したら怖いので、ここでは遊びません(笑)。

(18年1月3日撮影)

(『憧れの利根運河…3』につづく)

憧れの利根運河…1

FI2190961_0E.jpgすでに何度かお話ししたように、私は過去、何度か江戸川遡行をこころみたものの、利根川との分岐点である関宿はおろか、利根運河すら拝めずに、引き返したことがあります。

かつて、国内有数の内陸運河であり、堆砂の進む利根川中流部に悩まされた、通航船舶の、救世主とも言える存在であった、利根川と江戸川の中流部をむすぶ水路・利根運河は、江戸川遡行の敗退以来、「新版 利根運河」ほか、崙書房の刊行物を、繰り返し読みふけった私にとって、大げさではなく、まさに憧れの運河でした。

ご存知のように、利根運河は、昭和16年に洪水で破壊され、運河としての半世紀の命に終止符を打った後、戦中~戦後にかけて改造を施され、昭和50年からは、導水路として使用されつつ、今日に至っています。
通船ができない状態だと解ってからは、自艇の航路としての興味はうせた代わり、外輪船や高瀬舟の通った、いにしえのメインラインを、この目で見てみたいという欲望が、頭をもたげました。

訪れる機会がないまま、10年近く過ぎてしまいましたが、ようやく1月3日午後、駆け足ながら主なところを、見て回ることができました。(自艇ではなく、クルマです、ハイ…)
最初にたどり着いたのは、東武野田線の運河駅。そのものズバリのネーミングが魅力的で、運河周囲の雄大な水田風景とは対象的な、住宅密集地の中に、こじんまりと建っていました。運河沿いの、お散歩コースにも入っているようで、この鉄道の歴史を解説したボードも設置されています。

FI2190961_1E.jpg運河駅に隣接した運河橋から、江戸川方、運河水辺公園(右)を望んだところです。

当日は、厳しい寒さに加えて、風速10数メートルの強風が吹きすさぶという、寒がりの私にとっては、ツライことこの上ない日でしたが、利根運河の美しい水面を目の当たりにして、寒さも吹き飛ぶような気持ちになりました。
撮影地点のYahoo地図

FI2190961_2E.jpg公園は、水路をはさんで、階段状の観客席と、対岸にステージがしつらえてあり、両岸の交通のために、水面には2つの小さな橋がかけられています。
小さな橋の上から、利根川方を向き、先ほどカメラを構えた運河橋を撮ってみました。手前が運河橋、影になった向こう側、アーチだけのぞかせているのが、歩道橋のふれあい橋です。

もし、現在でも通船が行われていて、私の艇がここを通ることができたなら、この写真と全く同じ視点で、橋を見上げつつ、通過したことでしょう…。

FI2190961_3E.jpg同じ橋の上から、江戸川方を向いて撮影。
驚くほどたくさんのカモさんたちが、水面に浮かんでいましたが、不忍池などのカモさんと違って、人馴れはしておらず、私の姿を見ると、一目散に逃げてゆきます。寂しいなあ…。

両岸の土手は、何度か改造され、カサ上げや強化もされたとのことですので、通船されていたころとは、だいぶ様相を異にしているようですね。
(昔の利根運河の様子は、『野田のトラ ホームページ 利根運河の四季』の『利根運河 今と昔』に掲載されています。)

FI2190961_4E.jpg運河水辺公園の階段状観客席を、対岸のステージの上から撮影しました。

運河でなくなって久しい、水路を前にした法面に、「利根運河」と大書きされているのを見ると、寒風も手伝ってか、ちょっと寂しくもありましたが、静かな水面と、美しく整備された、緑豊かな土手が作り出す空間は、きっと地元の人の憩いの場として、大切にされているに違いありません。
駅のみならず、橋やお店に「運河」を冠した名前が多いのも、それを裏付けているように思えるのです。

(18年1月3日撮影)

(『憧れの利根運河…2』につづく)

【追記】三段目、アーチ橋は鉄道橋ではなく、歩道橋のふれあい橋でした。お詫びして訂正いたします。

東京水路MAP

FI2186581_0E.jpgこれも、江東内部河川通航ガイドと同様、荒川閘門完成記念式典の会場で、配布されていたものです。

手の平サイズに、たくみに折られた地図を広げると、A半裁くらいの大きさになります。表紙のつけ方、デザインも、なかなか格好よくできていて、散歩のときにも、持ち歩きたくなるような雰囲気ですね。
表紙には、「日頃から携帯して、身近な河川・道路・鉄道の位置関係を把握しておけば、震災時に役立ちます。」とあり、避難民が堤防を走って、船に乗り込むさまが図案化されています。
裏表紙には、リバーステーション、スーパー堤防など、震災時に活躍する、河川施設が紹介されています。

FI2186581_1E.jpg地図を広げた状態です。表面が水路MAP(1:6300)、裏面が主要道路・鉄道路線MAP(1:40000)。
なにぶん、一般向けの防災用略地図ですので、可航水路とそうでないものの区別はしておらず、航行に用いるようには、できていません。
ボート乗り向けの情報としては、船着場(リバーステーション)の位置と名称、管轄(国・都・区および民間)、既設か工事中かが明記されており、これ一枚でほとんどが把握できること、水路の名称が、わりと細かく記してあり、参考となることでしょうか。

こうして見ると、目黒川から江戸川まで、この10年で、結構な数の防災岸壁が造られたものだと、改めて感心しました。阪神大震災の教訓が、国や自治体をいかに動かしたかを、目の当たりにしたような、そんな気がしたものです。

震災に備えて! 東京水路MAP [主要道路・鉄道路線MAP付き]発行:国土交通省・関東地方整備局・荒川下流河川事務所
平成17年発行(奥付がないため、発行月日不明)