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新砂水門

FI1629447_0E.jpgせっかく梅雨も明けたというのに、このところ休日もつぶれがちで、自艇で出かける時間がなかなか取れず、当ブログの看板もなかば空手形と化しており、お恥ずかしい限りです。

以前撮影したものですが、久方ぶりに、航行中のスナップをお目にかけましょう。

荒川河口に面した、東京の運河地帯の玄関口の一つである、ここ新砂水門も、よく利用する水門の一つです。
ローラーゲート(板状の門扉が上下するもの)が多い中、この水門はセクターゲートという、円弧形の門扉が回転しながら開閉する形式です。
23メートル余りに及ぶ水路幅をふさぐ、2枚のゲートは、さすがに堂々として、見上げんばかりの大きさです。

ご覧の通り、門扉内側の支持部は、荷重を支える構造が入り乱れて、トラス橋にも似た機械美を感じさせます。
ホンの一瞬ですが、通過して両側に目をやるときというのは、ちょっと嬉しい瞬間でもあるのです。

新砂水門のYahoo地図

名古屋の閘門…2

FI1620158_0E.jpg中川運河側から閘門を見たところです。
見えませんが、この左側には、やはり古めかしい建物のポンプ所があります。

こうして低い位置から見上げると、塔の高さが強調されて、さらに堂々として見えます。デザインは、イギリスのロンドン橋の影響を受けたと思しき、異国情緒に満ちた造作です。後ろの高速道路や、ビル群のなかった建設当時は、さぞや目立ったことでしょう。
稼動状態にないことが、残念でなりません。

もっとも、閘門を横切る一般道は、長さ90メートルの、かつての閘室ほぼ一杯の道路幅で、しかも高さは門扉の上端とほぼ同じくらい。橋桁は閘室上部のほとんどを塞いでいますから、閘室は埋めてしまうほか、なかったのかもしれません。

もし今から、閘門を復活させるとしたら、少なくとも一般道を5メートルは持ち上げねばならず、とてもできない相談だということがわかります。

FI1620158_1E.jpg閘門付近から、中川運河を見たところです。遠方の橋は名鉄やJR・新幹線の鉄道橋です。なお、松重閘門は、夜はライトアップされるそうですから、昼夜問わず電車の車窓から見ることができます。

運河両岸には、今もなお材木商が何軒か盛業中で、水運の盛んだった昔をしのばせます。
水面をのぞきこんでみると、堀川とは違ってあまり水深はなく、仮に通船したとしても、難儀しそうでした。
(川を見たら『自分のフネが通れるか』と反射的に観察する妙なクセあり‥。)

FI1620158_2E.jpg地元の方にお話をうかがったところ、この運河の近くは、水主町(かこまち)という地名が残っているそうです。水主(かこ)とは、江戸時代の言葉で、船員のことを指します。

むかしこの辺りに、江戸通いの大型和船に乗り組む水主や、運河や港で木材を運搬する川舟の船頭が、集中して住まう区画があったのでしょう。

せっかくですから、大きい交差点まで出て、信号の地名表示を撮影してきました。

歴史ある堀川と、保存された松重閘門をいただく町にふさわしい名前ですね。
水主町のみなさん、運河や閘門公園をいつまでも大切になさってください。

松重閘門のYahoo地図
水主町のYahoo地図

【追記】上記の地図を見ていたら、中川河口に閘門らしき表記あり。検索してみると、ありました!(ナゴヤ・ポート・ニュース7月号)こちらは現役の閘門ですな。
【さらに追記】水主町の地図を追加しました。
しかし、名古屋の運河も、調べてみると面白いですね。こちらの方面の治水史というと、木曽川や天竜川を中心とした、河川改良の歴史がクローズアップされてしまうので、名古屋の運河には、今まで目が向きませんでした。

名古屋の閘門…1

FI1620143_0E.jpg7月16日は、名古屋駅近くの某所まで、日帰り出張をしなければならない用事ができ、翌17日も朝が早いので、用事が済んだらまっすぐ早く帰宅しよう、と思っていました。
ところが、新幹線が名古屋に着く直前、窓の外を見ると、見覚えのある古そうな塔が、二本並んで立っているのが目に入ったのです。
以前ご紹介した、「鋼製ゲート百選」に掲載されていた、松重閘門であることはすぐわかりました。
帰りの新幹線までわずか1時間あまりしかありません。用事が済んだらすぐに飛びだし、使い捨てカメラを買い、酷暑の中をあわただしく、写真を撮りまくることとあいなりました。

FI1620143_1E.jpgもともと名古屋には、慶長15年(1610)に開削された、堀川という運河があったのですが、これと丁字に交わる中川運河が建設され、両運河の連結点に設けられたのが、昭和7年に完成した、この松重閘門とのこと。

上の写真は、堀川側の門扉と巻上げ設備、左の写真は、閘門前から堀川の下流側(名古屋港側)を望んだものです。

FI1620143_2E.jpgこちらは、堀川の上流側を見たところです。

左が閘門ですが、閘門の前は大きく掘り広げられたポンドになっており、かつては多くのフネが、ここで閘門の開くのを待ったことがしのばれます。
河岸には、小型艇もぽつぽつ係留され、静かな水面とあいまって、なにかノンビリしたたずまいです。
かつては、名古屋城建設のための資材も、この堀川を通って運ばれたのでしょう。
東京で言えば、小名木川や神田川のように、歴史ある水路なのですね。

FI1620143_3E.jpg閘門に戻りますと、門扉はご覧の通り、コンクリート製で固定されています。
松重閘門は、廃止となって久しい、記念物として外観だけを保存された閘門なのです。

もともとはストーニーゲートという形式の門扉が、印象的な塔状デザインの支柱にまたがったモーターによって上下されていたのですが、教会の尖塔のような意匠が幸いしたのでしょう、外形のみは往時のまま、昭和51年に廃止になったあとも、「松重閘門公園」として保存されることとなり、平成5年には、都市景観重要建築物にも指定されたそうです。

【追記】公園として整備されているのは、中川側のみ。公園内は浮浪者がおり、残念ながら、あまり清潔ではありませんでした。

「松重閘門」でGoogle検索してみました

妄想とこだわり

FI1604572_0E.jpgリンクさせていただいている、narrowboatさんのコメント欄で、こちらも当ブログ創設時からのリンク先、JO_NA_KAさんより、関宿閘門が突破できない件で、「ペラにこだわらなくてもジェットでも外輪?でも帆?でもいいのでは。」というコメントをいただき、ハッとしました。

まったくJO_NA_KAさんのおっしゃるとおりで、川走りそのものが好きであれば、私の艇のような、プロペラ船外機艇が走れない水路は、それこそ外輪のような、河川航行専門の装備を持った艇を特注するか、もっと小型の艇、カヌーなりインフレータブル(ゴムボート)なりに乗り換えて、踏破?すればよいわけです。

それをしないのは、私が怠惰な人間であるのも原因ですが、まあ、それなりのこだわりもあって、ある種ふんばっているところもあるのです。

前にもお話した通り、私は妄想癖があり、以前「こんな河川用小型艇があったらいいなあ」と、方眼紙上に、河川用艇のデザインを書き散らしたりしたこともありました。
幅広で喫水の浅く、乾舷の低い、しかも分厚い頑丈なキールを持ったFRPハル。トンネル状に凹んだハルに、半ば収まったプロペラは、もちろん船底より上に位置する。ペラはシュラウドリング付きならなお良い。舵は、低速でもよく効く、大舵面のバランスドラダー‥。

言うなれば、戦前、列強と言われる諸国が、租界警備のために長江に常駐させていた河用砲艦と、つい40年ほど前まで利根川水系を走っていた、和船改造の発動機船を足して2で割って、小型プレジャー版にしたようなモノを、思い描いていました。

こんな艇が一般に向けて発売されたら、借金をしてでも買いたいところですが、川走り人口が爆発的に増えでもしない限り、あまりにも実現には遠過ぎますから、本当の妄想で終わりそうです。

妄想はさておき‥私がなぜ、川走りをより楽しめそうな、もっと小型の艇や、インフレータブルを選ばずに、先代、現愛艇と二代に渡り、「俗」な20ft前後のバウカディ(船首に船室のあるタイプ)に乗っているかと申しますと、「船内泊」の魅力には、抗しがたいものがあるからです。

河原の虫の声が聞こえる川面で、夜光虫の光る波静かな湾内で、ハッチに蚊帳を降ろして夜風を入れながら過ごす夏の夜は、不思議なほどに艇との一体感がいや増す、実に素敵な時間です。

仮住まいとは言え、自らの住みかと一緒に川や海をゆくことができるのは、言葉では言い表しにくい、幸福感があるのです。「命を託している」実感が湧くのでしょう、自然、艇への愛着も増そうというものです。
過酷な外海をゆく、ヨット乗りの方々から見れば、お笑い種かもしれませんが‥。

かつて利根川を往来した、高瀬やベカの「セイジ」と呼ばれる、タタミ三畳ほどの小さな居住区に夢を結んだ船頭たちも、似たような心境だったのでしょう。彼らは非常に綺麗好きで、毎日セイジを拭き上げたそうですが、私も全く同じ心持で、先代艇で初めて船内泊をして以来、やたら掃除をするようになってしまいました。

遊びブネ乗りとはいえ、一般の人よりほんの数ミリ、高瀬の船頭に近づいた気がしています。
(気がしているだけかも。)


次回は、本日の出張先で撮影した、古い閘門をお目にかけます。

(写真は曙北運河、越中島貨物駅のガーダー橋。平成17年6月5日撮影)

通船

FI1586200_0E.jpg私は変わり者なのか、小型船舶免許を取りたいと思い始めた子供のころ、
「将来自分が乗るフネは、モーターボートのような俗(!)なモノでなく、曳船のように、鉄でできている硬派なフネにしたいものだ!」
と考え、落書き帳に、まるで軍艦のような、リベットだらけで、しかも蒸気エンジンのついた、コドモの妄想大爆発の「理想のフネ」想像図を描きなぐり、一人悦に入っていました。

いま思い返してみると、軽くて取り回し容易な上、「鉄のフネ」より船価の安いプレジャーボートの方が、水路探検をするにも断然合っており、また現愛艇も、こだわって選んだだけあり、非常に気に入ってもいます。
しかし、こうして水路をうろつく道々で、写真のようなフネブネ‥通船や曳船と呼ばれる連中に出会うと、昔の妄想がよみがえるのか、こんなゴツイので江戸川を攻めたら面白かろうなあ‥、と妙な欲望が頭をもたげて、ついカメラを向けてしまうのです。

FI1586200_1E.jpg通船(つうせん)という言葉は、「この川は通船できる」といったように、「フネの通航」という意味もありますが、名詞としては、狭義では沖がかりする本船(大型船)と岸壁の間を、人や物資を乗せて港内を往復する小型船、言うなれば水上タクシーを指すことが多いようです。

工事現場の警戒船や、ダルマ船を引く曳船など、港内作業をする地場のフネ、言わば「仕事をする小型船」というジャンルでひっくるめて「ツーセン」と呼んでいる人もありましたが、こちらは少し解釈を広げすぎのきらいがあるようです。

写真は、上の写真が曳船タイプ、下の写真がいわゆる「通船」、人員輸送用のフネです。

曳船は、見通しのいいように、昔の電車のようなキャブを立て、スターンデッキには曳航用の装備をしています。バウに古タイヤのフェンダーをたくさんぶら下げているのは、バウで大型船の横っ腹を押して、旋回を助けたり、着岸を手伝ったりする作業があるためです。
対して通船は、スターンデッキに手すりやベンチを備えていたり、乗船者を収容する長いキャビンを乗せていたりと、どちらも外観から用途が歴然として、いかにも「仕事をするフネ」と言った感じがします。

雑然として、あまり良い風景でないと思う人もいるでしょうが、私にとっては、たくましい「鉄のフネ」「仕事をするフネ」のたむろするこの水路は、忘れかけた子供のころの夢(イヤ、妄想)を思い出させてくれる、楽しく、かつ血が熱くなる場所でもあります。

(写真は亀島川にて平成17年6月5日撮影)

(15:59・写真2枚目差し替え、本文若干変更しました。)