関宿で見たもの…2

説明文によると、明治40年に、総武線の江戸川橋梁として架設されたものの一径間を、三分の一の長さに加工して、保存橋梁としたものだそうです。
江戸川ゆかりの橋というわけですね。

ミヨシ近くに甲板類似の板を張るあたりは、「サッパ」と呼ばれる利根川下流の足舟に似ていますが、トモタテイタ(船尾材)は船外機を装着できるように、垂直に近くされ、しかも強化されているようです。
棹が載せてあるのが、いかにも川舟、といった風情です。
一艘欲しいなあ。

ここでご紹介した、wata2002さんのサイトの画像は、このイベントの時に撮影されたものなのでしょう。
閘門の開閉があるということは、カヌーが通れるくらいの水深を確保しなければ、意味がありませんから、水門も閉じられるのでしょうか‥。
7月10日までに、私の艇で、がんばってここまでたどりつけば、閘門を通過して利根川に行けるかなあ‥‥(遠い目)。
JO_NA_KAさん、さんどさんもいかがでしょうか。インフレータブルをクルマに積んで、閘門だけ通過するのも、面白そうですね。
【追記】要は毎年7月の第2日曜日あたりに、閘門開閉のイベントを行っているらしいです。
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関宿で見たもの…1

これは水閘門の上流側に繋留されている、小型浚渫船です。
後部に立っている杭を川底に打ち込んで、左右にスイングしながら、操縦席直下のノズルで泥土を吸い込む構造のようです。
後に浮いているのは、フロートのゲタを履いた泥土排出パイプで、これを連結して1本とし、河原に泥土を排出するのでしょう。

説明の類が見えませんでしたので、なんとも言いようがないのですが、こちらは浚渫装置にドリル様のものを備えていますね。

浅い川底を、幅の広いキャタピラで移動するようにできているのでしょう。
キャタピラを支持している箱状の部分は、浮力をつけるためにあるのでしょうか。
しかし、何のために水閘門上流側に、浚渫船を常備しているのでしょう。
通船があるわけはないので、航路の水深を確保するためとは考えにくいのですが‥。
水門に、土砂が堆積して、機能を損なわないようにするためのものなのでしょうか。
というわけで、文末に疑問形が連続するご紹介になってしまいました。
関宿水閘門を訪ねて

午後から時間が空いたので、JO_NA_KAさんに刺激を受けたということもあり、かねてから見学してみたかった、関宿城博物館を訪ねてみました。
(今回は残念ながら自艇ではなく、クルマでの訪問です‥)
ご存知の通り、関宿は、利根川と江戸川の分岐点に位置し、かつては銚子~江戸間をメインラインとした、水運の要衝として栄えてきた町です。
目的は、水運関連の展示が充実していると評判の、博物館の見学の他に、関宿水閘門の現状を、この目でぜひ確かめたいということがありました。
最初の写真は、関宿水閘門の水門部分を、上流側から撮影したものです。
昭和2年に完成したものですので、やはり古色蒼然の趣があります。
この右に隣接して、閘門が設けられています。

扉は、8.54メートルの高さがあるマイタゲートで、煉瓦造りの基部を持った重厚な雰囲気のものです。
水門は8基の扉を全開にし、水はかなりの流速で、低い落差を音を立てて流れていました。閘門もご覧の通り、2つの扉を開いて、水を流しっぱなしにしています。
まったく閘門として機能していないのがわかります。
この流速では、動力船でも、遡行するのはちょっと危険でしょう。

下流の旧江戸川にある、江戸川閘門と比べても、かなり大きい閘室に見えます。
この閘門が計画された大正時代は、既に利根川と江戸川を短絡する利根運河があり、関宿回りで大型船を通船させる頻度は高くなかったはずですが、これだけの長さの閘室が必要とされたということは、衰えたりといえど、まだ水運への依存度が高かったということなのでしょう。
注排水には相当の時間がかかったでしょうね。

泡立つ水面を透かして、水面下数センチのところに、コンクリの底床面が見えました。
これでは、仮にジェットスキーなどで強行突破しようとしても、ハルを砕かれてしまうでしょう。
これには本当に、ガックリきました。
wata2002さんのサイトを以前拝見して、全開状態(※追記注)の閘門を、たくさんのカヌーが行き来する画像が公開されていたので、「チルトアップして棹で艇を進めれば、イケそうだな!」などと皮算用をしていたのですが‥。
水門のほとんどを閉じて上流側の水位を上げ、閘門をきちんと機能させれば、通船は不可能ではないでしょう。
しかし、水門下流の流路の状態を観察すると、至るところに倒木や浅瀬が顔を出し、現状では、まず閘門に到達することが難しい状況に見えました。
今回の訪問で「もしかしたら、自分の艇で利根川にいけるかも‥」という一縷の望みが、すべて絶たれてしまったわけで‥。
う~ん、やはり、夢は夢のままにしておいたほうが良かったかなあ。
【6/28・書き忘れの追記】閘門上部フェンスに貼られたお知らせに、「7月10日は閘門開閉のイベントあり」と書かれているので、少なくとも7月10日は、閘門を通って利根川に出られる可能性アリ。(現物の写真はここに)
それより、まず閘門にたどりつけるかどうかが問題なのですが。
※「全開状態」は間違い。稼動状態が正しい。つまりイベントで、閘門の門扉のどちらかが閉められて、機能していたということ。
【関宿水閘門の地図】
初島の自由港?

平成7年ごろだったと思いますが、フネ好きの知人を乗せて、一度だけ初島に行ったことがありました。
当時ですでに10ン年落ちの木っ端ブネ、それに素人船長ですから、三浦から伊豆東岸へ、ろくに陸影も見えない相模湾を、コンパスを頼りに横切るのは、さながら鳥のヒナが、生まれて初めて、高枝から高枝へ飛び移るのに似て、大冒険の感があったものです。
例によって、薄もやのかかった風の弱い日を選び、緊張の面持ちで出港しました。
さて、無事初島に着いて、ぐるりを廻ってみると、熱海通いの定期船が入る小さい港のほかに、もうひとつ、海図にも描いていない、防波堤に囲まれたポンドを発見。
港口まで近づいて覗き込むと、接岸しているのはプレジャーばかりで、しかも防波堤以外は何の設備も見当たらず、鉄骨がむき出しの部分も見え、建設中の雰囲気でした。
思い切って入港し、ボラードのある正面の岸壁に接岸すると、岸壁に立っていた初老の男性がもやいを取ってくれました。
お礼を言いながら「ここは繋いでもいいんでしょうか?」と訊くと「ああ、構わないんだよ」との答え。「漁協とかに断らなくていいんでしょうか?」「(笑いながら)大丈夫、大丈夫」…どこが管理している港なのか、結局よくわかりません。まあ、おじさんは大丈夫だというし、一休みすることにしました。
岸壁から離れて、少し小高いところで一服しながら、撮ったのがこの写真です。
ちょうど、先代愛艇と同型の、ハードトップ付きの艇が入港して来たところです。
すぐ隣に接岸したので、走っていってもやいを手伝ったところ、向こうも同型艇に出会うのが珍しいのか、しばらく話し込んでいきました。
落ち着いて周りを見回すと、ボートに乗ってきた人たちが、岸壁でバーベキューをしたり、酒盛りをするグループもあり、のんびり釣り糸をたれる人、海水浴をする子供たち…この、誰が管理しているのかもわからない、少々殺風景なミニ・マリーナで、皆思い思いに楽しんでいました。
まさに自由、というか、無政府状態。まあ、治安が悪い感じはしませんでしたが…。
だいぶ経って、ここにマリーナ付きのリゾートホテルが完成したことに気づき、ありゃ、やはり勝手に入港して悪かったかしら…と頭をかきました。ゴメンナサイ。
と、いうことは、この港も現在は有料だということですな。
あの日、遠路?はるばるやって来て、少々心細くあった我々を、温かく迎えてくれた「初島自由港」の、おだやかな表情を思い出しつつ、そういや、自分が寄港した中では、タダで利用できた港ってここだけだったなあ…と、みみっちい感慨をもよおすのであります…。
私の名前は‥

最近撮影した「橋の名前」を、4枚ご覧に入れましょう。
【新亀島橋・亀島川】

【亀島橋・亀島川】

【豊海橋・日本橋川】

橋の研究をされている方は、沢山おられるようですが、このような水上に向けた橋名の表示方法を、専門に調べている方がおられたら、ぜひお話を伺いたいと思っています。
【永代橋・隅田川】