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閘門通過!…4

FI1417656_0E.jpgやがて3度目のサイレンが鳴り、目の前のゲートが上がると、広々とした江戸川本流が眼前に広がりました。

その開放感と申しましょうか、感銘は表現しにくいのですが、喜んで閘門に入り、注水の10数分をわくわくしながら楽しんでいたにもかかわらず、やはり閉塞感があったということなのでしょうか。
とにかく広い水面のありがたさ、美しさが身に沁みた覚えがあります。

引き波を立ててゆっくりとゲートをくぐり、振りかえると、もう4度目のサイレンとともに、ゲートがワイヤーを震わせながら下りてゆく最中でした。

このころはまだ20代、若造が何を生意気な、と思われるでしょうが、今まで生きてきた中で、こんな高揚した、充実した数10分はなかった!芯から感動できた時間だったと、最近でも夢に見るほどです。

閘門に限りませんが、オカの乗り物では絶対得られない、「質量過剰」の感動…でっかいモノが走り、躍動するさまを目の当たりにできる、血湧き肉踊る面白さ…これこそ、海や川をゆく、ボート乗りの特権であるような気がするのですが、皆さんはいかがでしょうか?

ちなみに、現在は、情報を掲示する電光掲示板も、事務所から船舶に指示を与えるラウドスピーカーも装備され、私のようになすすべもなく途方に暮れるということはありません。
江戸川水閘門に関する情報・お問い合わせはこちら(江戸川河川事務所)へ。
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閘門通過!…3

FI1417651_0E.jpgゲートから滴り落ちる水滴を浴びて、ロック内に艇が入ると、間なしに再びサイレンを鳴らし、「ゴォン」と鉄の音をさせつつ、ゲートが降りてきました。
まるで誰かに見られているようです。

まあ、カメラで見ながら、閘門を運転しているのですから、あまり意外性はないのですが、声一つかけられず、大きな門が閉まるのは、やはりどこか不安なものです。

岸の濡れた部分を見ると、旧江戸川と江戸川本流の水位差は、1mほどでしょうか。
ゲートが完全に閉まると、注水が始まったのでしょう、エンジンを止めた艇は、水流で少しづつ回され始めました。

時々エンジンをかけて、岸に触れないよう姿勢を保つのですが、爆音は思いの他護岸に反響し、うるさいことこの上ありません。

静寂とともに、ひたひたと水位が上がってゆく、このひとときが大切なものに思えて、ついには立って岸につかまるという、情けない姿勢で、満水までの十数分を過ごすハメになりました。

閘門通過!…2

FI1417635_0E.jpg 閘門は沈黙したままです。
右の土手の上に、連絡用の小さな電話ボックスらしきモノが見えるのですが、土手の基部は傾斜のあるコンクリ護岸で、桟橋も無く、艇を横付けするすべがありません。

時々前後進を繰り返して、艇の位置を保ちつつ、なすすべの無い時間を過ごします。

フト気がつくと、かすかに放送らしきものが繰り返されていることに気がつきました。注意していないと、聞こえないくらいの小さな音量です。
耳を済まして聞くと、「現在降雨量が少ないので、閘門開閉は××時・××時…の一日×回に制限されている」ということらしいのです。テープの自動放送のようでした。

少し安心し、それなら待てば良かろうと、杭にもやいを取り、一服することにしました。

ところが、ノンビリする間もなく、突然大きな音でサイレンが鳴り響き、肝を潰しました。

次にゴォンと鈍い金属音がし、閘門を見ると、ゲートを釣っているワイヤーが緊張し、ゲートを吊り上げているではありませんか!
ゴンゴンゴンと音が高まると、水面下にあったゲートの下端部が現れ、ザーッと水飛沫を上げて高々と吊り上げられます。

ゲートが滴らせる水飛沫の向こうには、赤錆びたコルゲート鉄板で護岸された、ロックの内部が見えていました。

イヤッホウ!
開いた!開いた!
柄にもなく、恥ずかしい奇声をあげた私は、もやいを慌てて解くと、勇躍、艇を閘門に前進させました。

河川航行の醍醐味、閘門通過の初体験であります。

閘門通過!…1

FI1417621_0E.jpg今でこそ「いっちょ閘門通過を堪能してくるか!」と、気軽に行ける環境になりましたが(その割りに年2回程度しか訪れない…忙しくなったから。)、当時は「閘門が存在する」という知識はあるものの、どうやると閘門を利用できるのか、お金がかかるのか、そんな基本的なことすら知りませんでしたし、教えてくれる人もいませんでした。

以前も書きましたが、江戸川を訪れる際に図面を貰いに行った、当時の建設省の方からも、閘門通過時の注意などは、特になかったと記憶しています。

今思えば、中央官庁の方が、現場とも言える施設の細事について、さして関心が無くとも不思議ではないのですが。

話を戻して、写真の施設の正式名称は「江戸川水閘門」と言います。水門と閘門が、一緒に設けられていることを表わす名称です。
外観からすると、そんなに古いようには見えませんが、完成は昭和18年と言いますから、建設開始は戦前、当時築50年余りの歴史ある設備だったのです。

閘門初体験者であるモノ好き青年(私)は、水門に突っ込んで逆巻く濁流にぼろブネをくつがえされることもなく、左の門状構造物を閘門らしいと推測し、土手に挟まれたアプローチに進入しました。

しかし、閘門は開かず、人影は無く、案内書きもありません。
途方に暮れるとはこのことです。

【追記】江戸川閘門の地図はこちら

今井水門と中川

FI1417613_0E.jpg現在、江戸川本流の最下流部は、行徳可動堰を擁する江戸川放水路ですので、葛西を河口とするくねくねと曲がった、かつての最下流部を、特に「旧江戸川」と呼んで区別しています。

その旧江戸川を、単なるモノ好きから遡行してゆくと、東京付近では珍しい、人家(どころかマリーナも)のある中州、妙見島の東水路を通過。またしばらく走ると正面に見えてくるのが、写真の今井水門、新中川と旧江戸川の分岐点です。

この写真を撮った平成5年当時は、「そんなに広い川幅でもないのに、7枚も門扉があるなんて…」と、程度の低い感想しか持ち合わせませんでしたが…。

この中川が、太古は荒川・利根川の本流であったなど、歴史のある河川であること、写真の新中川は、戦前に計画され、昭和38年にようやく完成したこと…などを知り、がぜん興味が沸いてきました。
今ではすっかり通いなれた道、魅力的な橋や水門のある新中川、屈曲や浅瀬の多い、スリリングな旧中川…「川走り好き」のツボを刺激する、実に素敵な水路だと思っています。
(実は旧中川は、いっぺん通って懲りてたりして。)

当時の話に戻りますと…。
この辺りは小型船舶、屋形船の係留が延々と続き、徐行をし続けなければならない区間でもありますが、徐行しても「もっとゆっくり走れ!」と、ものいいがつくかと思えば、「徐行してくれてすまないね」と言わんばかりに、頭を下げてくれる人もあり、悲喜こもごもと言うか、人生色色と言うか、複雑な気分になったものでした。