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「ひのくち」

FI2618278_1E.jpg先日、仕事帰りになじみの古書店に立ち寄ったら、江戸時代の挿し絵つき百科事典「倭漢三才圖會」(Wikipediaはこちら)のうちの数巻が、平台の上で、無造作にばら売りされていました。

この手の本は嫌いではないので、面白そうな巻は出ていないかしらと、手にとってぱらぱらめくっていたら…ありました。「五十七 水類」と「五十八 火類」を収録した巻です。特に「水類」の項には、川や壕、堤(土手)など、土木に関連する記事が多く、絵を眺めているだけで楽しめそうなので、買って帰ることにしました。

FI2618278_2E.jpg中でも、ひゅっと吸い寄せられた挿し絵が、やっぱりコレ! 木製の水門です。
原典である、明代の三才圖會に従い「水閘」と書かれた横には、「ひのくち」と読み仮名がふってあるのが見えます。「樋の口」の意味なのでしょう。
「ひのくち」…イヤ~、優しげと言うか、みやびと申しましょうか…扉体のすき間から、水がチョロチョロ流れてくるような、いい響きじゃないですか!

造作から見て、舟が通れるような大きなものではなく、灌漑水路の、川への注ぎ口を守るような規模のものなのでしょうが、単純な線ながら、特徴はよくとらえられていますね。
よく見ると何だか、両脇の土かぶりが浅くて、水が漏ってしまいそうな描かれ方をしていますが、これは構造を見せるため、あえてこう描かれたように思えました。

FI2618278_3E.jpg今ひとつ、ココロ惹かれた絵がこの「湊」(港)。すでにバレているとは思いますが、キャプションの漢文を読み下すのが面倒で、絵しか見ていませなんだ(笑)。

この絵はなかなかディテールが細かく、動きもあって楽しめますね。
石垣で固められた岸に、階段のある荷揚げ場、左手前には高札場も見えます。伝馬の上で櫂を立てた船頭さんは、力漕して来たのかへたり込んで、疲れた顔です。店先には帳面を手にした番頭さん、人足に指示を出しているのでしょうか。
面白いのは、右上で、荷揚げの様子を見ている風の人物が、外国人らしい風体であること、また右下に舳先をのぞかせている船も、唐船らしく描かれていることです。
だとすると、この絵は長崎をイメージして、描かれたものなのかもしれませんね。
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ヴッパータールの表紙

FI2618218_1E.jpg少し前のことになりますが…。水門写真家・佐藤淳一氏のブログ、「Das Otterhaus」の記事、「懸垂式の聖地・ヴッパータール」を拝見して、見覚えのある風景に、思わずあっと声をあげました。

と言っても、私はヴッパータールの街に行ったことはありません。このモノレールが描かれた表紙の古本を、ずいぶん前に手に入れたことを思い出したのです。

佐藤氏の写真を拝見して、その古本の表紙絵と見比べてみたくなりました。ごそごそと数回の家探しの結果、先日ようやく発見できたので、佐藤氏のブログにトラックバックさせていただきます。

件の表紙の本は、「子供の科学」の昭和7年6月号でした。
河上をまたぐ鉄の橋脚に架設された、これまた鉄の線路にぶら下がって疾走する電車…、当時からすればまさに「科学の具現化」(?)にひとしい、斬新な光景に映ったことでしょう。

絵柄の面白さもさることながら、この時代の活版(オフセットはまだ、ほんの一部しかないころです)多色刷りの色彩の鮮やかさ、仕上がりの素晴らしさに、久しぶりに目にしたこともあって、しばらく見入ってしまいました。絵の表紙は、写真にはない味わいがあって、実にいいものです。

表紙画の解説を読んだ覚えはなかったので、改めて目次を探してみると「表紙 架空電車 中川巌」とだけあり、残念なことに、やはり本文記事はなし。
これがドイツの風景を描いたものだとわかったのは、かなり後のことだったような記憶があります。

京浜運河や芝浦の運河沿いで、羽田通いのモノレールと併走するだけでも楽しいのに、懸垂式の電車が、腹を見せながら水路上を圧してすっ飛んでゆく面白さは、例えようがないものでしょうね。
モノレールが上空を走るこの川が、可航河川であるかどうかはわかりませんが、もし船で走ることができたら、電車が頭上を通るたびに、意識がぜんぶそっちに持っていかれ、舵がおろそかになるだろうことは、間違いありますまい!

今回、改めて眺めてみて思ったのですが、水路上の空間を利用して、高架式の陸上交通に用いるやり方、その嚆矢がヴッパータールなのではないでしょうか。
だとすると、昨今何かと話題になる、水路上をなぞって造られた東京の高速道路の、お手本となった可能性もあるように思えるのですが、いかがでしょうか…。

余談ですが、このころの「子供の科学」は、土木インフラや工場内部の図解記事が多く掲載されており、本号の本文記事にも、「インクラインとは何か」と題して、見事な多色刷り図解で、蹴上のインクラインが紹介されていたりと、水路バカ的にも垂涎の内容が少なくありません。

戦前の発行とは言え、技術や乗り物に関心の高かった時期だけに、部数も多く出回っているので、古書店や図書館などで探しあてるのも、そう難しいことではないと思われます。

最近の水運趣味的(?)記事

最近読んだ雑誌の中から、面白かった記事を2つご紹介します。もちろん、水運バカの目から見て…、という但し書きつきですが、どちらも意外性という意味では、近来まれに見るものがありました。

FI2618170_2E.jpg週刊アスキー 08年8月26日増刊「カオスだもんね! ホビー&グルメ編」

週刊アスキー(すみません、今回初めて読みました)連載の、水口幸弘氏描くレポート漫画、「カオスだもんね!」のうち、お菓子やホビー全般に関するテーマの作品を寄り抜いた総集編。

ラジコン飛行機に挑戦したり、ラムネ工場を訪ねたりと、どれも面白いのですが、やはり気になったのは「キャプテンケンとの冒険①~③」と題した、モーターボートで東京の河川をめぐる回でした。

担当編集者の赤澤賢一郎氏が操縦するボートに乗って、八潮市の大場川を出発、中川を下って東京湾に出、隅田川~日本橋川~神田川の都心コースを通り…と、はたから見ても川走り三昧なコースをゆくという、水路バカとしては、もう意識せざるを得ない内容(笑)。見慣れた水路の風景が、漫画に描かれているというだけでも、嬉しいものがありました。

途中、三枚洲で危うく座洲しかかったり、メインタンクの燃料切れで肝を冷やしたりと、ハプニングも盛りだくさん(?)。写真を適宜はさんだ、軽妙な話運びも面白く、楽しめました。初回は1ページを割いて、レンタルボートに乗る際の手続きや、準備についても詳しく書かれているので、これから艇を借りる方にも、参考になると思います。

実は、この本を手にしたきっかけは、おなじみ佐藤淳一氏のブログ「Das Otterhaus」でして。

7月1日の記事、「水門の恋人たち(2)水もしたたる篇」に載っている、寺島令子氏が、佐藤氏主催の水門ツアーのことを描いた漫画を、週刊アスキーに連載されている、というお話。これを、発売一月もたってから急に読みたくなり、バックナンバーを置いている書店に探しに行ったはいいのですが、「カオス」の方に目が行ってしまったわけで…。
あ、寺島氏の掲載号も、もちろん購入しましたです、はい。

FI2618170_3E.jpg世界の艦船 第690集(20年5月号)

こちらはご覧のとおり、海軍艦艇や官船を中心にした、その道の愛好家向けの趣味誌です。フネ好きとして、長年愛読させていただいているのですが、最近は内陸水運に関する記事も、以前より頻度が高く掲載されるようになり、オッ、と思わせるものがありました。

特に今年に入ってからは、1月号に「『北上運河』を舟で行く」「北上運河・東名運河・貞山堀の現況」の2本立て、5月号に「福地運河(二俣水路)」、そして8月号には「水郷『近江八幡』を巡る」と、ストライクゾーンに砲丸をぶち込むような記事が続き、嬉しい限りだったのですが、中でも興奮の度合いが高かったのが、5月号の記事でした。

この「福地運河(二俣水路)」、大内健二氏の筆によるもので、「知られざるもう一つの宮城県の運河」という副題がつけられているとおり、貞山堀をはじめとする沿海運河群の影に隠れがちだった、旧北上川と現北上川(旧追波川)を結ぶ内陸運河、福地運河にスポットを当てたもの。

北上川の河川改修については、結構な数の書籍やサイトで触れられていますが、福地運河のことを詳しく紹介した記事は、公刊誌上ではこれが初めてではないでしょうか。
もちろん私も知らなかったので、わずか4ページの記事ながら、大げさではなく衝撃を受け、興奮しつつ何度も読み返したものです。

昭和9年、北上川の河川改修と同時に完成した運河の延長は、旧追波川(おっぱがわ)の区間も含めると、約9km。(Mapion地図
波荒い牡鹿半島を迂回せずに、石巻湾と追波湾をショートカットできる航路として、現在でもわずかながら、小型船の通航があるとのこと。通船が途絶えると、庭園の泉水と化してしまう水路が少なくない中、今なお可航水路として存続している事実に、感動すら覚えました。

筆者大内氏は、「(前略)この運河の存在は現在では地元の人々以外にはほとんど知られておらず、まさに幻の運河と呼ぶにふさわしい存在であることに興味が注がれるのである」と書かれており、この運河への思い入れの深さがうかがえます。

…と、ここまで書いて、ハタと思い出しました。
この水路、以前、今給黎教子氏が小型ヨットで日本縦断をした際、通ってなかったっけ?

さっそく、彼女の公式サイト「今給黎教子 公式ウェブサイト」に行ってみたら…ありました。ログブック「I'm here!」の13ページに、旧北上川から、追波川に入るシーンが始まっています。
またも自分のもの覚えの悪さを、さらけ出す結果になってしまいました。

ともあれ、この記事を読んで、ますます宮城を訪ねてみたくなったのは、言うまでもありません。

柳橋の写真

FI2618129_1E.jpg過去の記事「永島丸の写真」と一緒に、古書店で見つけた「定点撮影」の写真を今一組、ご覧に入れましょう。
私にとってはなじみ深い、神田川河口に架かる、柳橋の古写真です。

一枚目は、明治20年8月架け替えの、洋式木造桁橋時代の柳橋を写したもの。右半分しか写っていないのが惜しいですが、当時の河畔の様子は、十分彷彿できます。

大きく張り出した、石垣造りの橋台地は、和式桁橋時代より変わりがないようですね。潮の引いた時間帯らしく、護岸の水際には藻や貝のついた部分が黒々と露出しているのが見られます。

舟は、手前に何艘か艫の部分が見える程度ではあるのものの、岸辺に突かれた河岸棒、右手前の舟の上に満載された、粗朶束か何かの積み荷など、河岸が賑わっているさまが感じられます。
「東京の橋 生きている江戸の歴史」によると、江戸時代は川口出口の橋とも称し、創架は元禄11年(西暦1698年)らしいとのこと。

FI2618129_2E.jpg二枚目は前回と同じく、昭和初期撮影の写真。現在の柳橋は、昭和4年に竣工した、震災復興橋です。

過去の記事「神田川…8」に掲載した、最近の写真とくらべると、むしろ寂しい感じがします。これは、震災復興事業による、橋や護岸の工事があり、船宿が一時立ち退いていたためのように思われるのですが、いかがでしょうか。

ともあれ、現在も舟遊びの拠点として、江戸以来変わらぬ繁盛を見せてくれているこの界隈。柳橋も神田川の顔として、末永くその優美な姿を留めていてほしいものです。

永島丸の写真

久しぶりに、なじみの古書店を訪ねたら、ちょっと気になるものが見つかりました。

古びた台紙に2枚づつ、これまた古そうなモノクロ写真のプリントが貼ってあるものが、何枚かバラで出ていました。手に取って写真を検分してみると、隅田川の橋を撮ったものが多いのです。

昔の川景色となれば、捨て置けません。さらによく見ると、2枚組みの一枚は、木橋が写っており、ピントや再現性を見ても、幕末か明治に撮られた雰囲気。もう一枚は、昭和に入ってからのものらしく、現代でもおなじみの、隅田川の鋼橋たちの姿が写され、画像も前者より鮮明です。
どうやら、今で言う定点撮影だな、と見当がつきました。昭和初期と、明治の昔を比べるための、2枚組み写真だったのです。

貴重な写真でもあるので、何枚か買っていこうかなあ、と、本格的に物色を始めると…両国橋を写した組写真に、衝撃的なモノが写っていました!

FI2618117_2E.jpgナント、外輪蒸気船です!!

主題が背後の橋―洋式木造橋時代の、両国橋―なので、全体像が写っていないのが惜しいのですが、2隻の船がフレームに収まっており、特に左の船は、スプラッシャー(外輪カバー)に大書きされた、「永島丸」という船名が、はっきり読み取れます!

帰宅してから、さっそく、関東の川蒸気の百科全書である、「図説・川の上の近代」(過去の記事『川蒸気本の決定版』参照)を開くと…。

永島丸は、通運丸に遅れること約3年の明治13年7月に、池上久蔵を出願者として、上川航路(東京~江戸川・利根川上流および渡良瀬川)に就航。航路の重なる通運丸とは激しい競争になり、船員同士の喧嘩まで起こるほどでしたが、早くも明治16年3月、過当競争に敗れ、3年に満たないわずかな期間で、廃業に追い込まれたそうです。

ちなみに、永島丸船隊は、第一~第五の5隻がありましたが、全て内国通運に買収され、それぞれ第十七号、第十八号、第三号、第十九号、第七号の通運丸となったとのこと。マル通のフラグを掲げて、中には、大正末まで生きながらえた船もあったようです。

川蒸気の写真は、関東に覇を唱えた、通運丸フリートでさえ少ないのに…。最初に出会ったナマ(?)の川蒸気写真が、わずか3年しか存在しなかった、永島丸のそれだったとは!
ともあれ、あこがれの外輪船との思わぬ出会いに、久しぶりに小躍りしたくなるほど、嬉しくなりました。

FI2618117_3E.jpgついでと言っては何ですが、組写真の片割れ、昭和初期編もご覧に入れましょう。

背景は、平成の今でも現役の両国橋。こちらも手前に船が写っています。当時で言う、一銭蒸気…内燃機関の小型曳船が、客用艀を曳航する方式で、現在の水上バスの大先輩に当たります。
写真は鮮明で、曳船のディテールがよく捉えられており、上屋の設けられたポンツン式の船着場とともに、河川舟運史の記録としても、貴重な写真と思います。